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私の酒遍歴

2022-09-20 20:09:45 | パソコン相撲
私の酒の始まりは、祖父の部屋で飲んだ養命酒である。
小学校の頃から、薬用だから、まあいっかてな感じで、祖父が飲ませてきた。
当時、私はなんか良い匂いがして、体はポカポカするわで、薬かと思った。
その養命酒は毎日飲むのがいいらしい、祖父は毎日、肴は身欠きニシンでと。

そして中学校の頃からは、山で捕まえて来たマムシを漬けた、マムシ焼酎ときた。
私が風邪を引くと、上を裸にさせてから、口に含んだ焼酎を背中に吹きかけてきた。
それを飲ませもする。これは強い。生臭さが半端ではない、毒も残っているのでは。
野良仕事の合間にマムシを見つけると、喜んで捕まえて酒詰めするので、順次並んでいる。
何年も前のなんか、もう溶けかかっている。その方が、効果大なのだろう。
マムシ焼酎は御免である。後年、奄美や沖縄でハブ酒を飲んだのも後悔している。

高校になってからはビールである。父からだったが、苦くて一口で、よした。
婆ばに連れられて、蔵に入ってウメ酒を飲み出したのも、この頃か。

社会に出てからは、それは生ビールとかを、がぶがぶと飲むようになっていった。
それからは、麦焼酎、ウイスキーといったのか。沖縄に行くようになってからは泡盛か。
中国大陸に憑りつかれてからというもの紹興酒、白酒へとなった。
浙江省は魯迅の故郷、紹興の小店で買って飲んで悦に浸った。
それもあってか、中国の文化財の魔力にはまって「麦と兵隊」の世界へと入ってった。
マオタイ酒は初めは良かったが、もっとええ酒を知る。角さんを超えたわい。
数十回と派兵、いや旅を重ねるうちに、湖南省産の酒に出会う。毛沢東の地や。
後を引くは引くはで、まるで紅楼夢、金瓶梅の地に来たようじゃったわ。
わしは、マオタイなんぞは、もう飲まん。ええ酒が大陸には五万とあるわい。
なんか、だんだんと酔ってきた。酒池肉林、もっとええ酒はねえけ。

ああ、そうそう、ベトナムの山奥で百姓が作り売ってた50度越えのがあった。
村のかっちゃん、ばっちゃん達がの、自家製のを並べておったわ。
似たようなポリ容器に、でかでかと度数のみを書いていたな、40、50、60てっな。
いやこれが旨いのなんのってな、わしはこの密造酒まがいのに唸った。
ああ、中国を超えたかに思った、酒もまったくの手作りがええ。
おそらくは、南米のジャングルの部族の酒はピカ一でねえかや。唾液酒は別。
酒、酒、酒、次は韓国のマッコリだが、あんま良くねえのう。

日本人は日本のが、一番と体に収まるんでねえの。
おらは、生酒だなや。燗よか冷やじゃて、原酒、にごり酒、どぶろくも好みだて。
やっぱ、おらん越後、東北、北陸、信州、甲斐んのが特にええな。
ここで越後ん酒ん中で、どこがええらか教えますて、聞いてくらっしゃい。
県境の山奥んがええらよ。新潟市なんかの下流んよか、水が違うらて。
比べてみればわかっから、試してくらんしょ。

あー、こりゃこりゃ、酔ってくっと越後ん訛りが出てくるすけ、まあのう。
んでの、そいやった、おらん酒遍歴の流れやったら、そらこうらて。

養命酒で幕明け、マムシ焼酎で喝喰らい、ビールで苦さ知り、ウメ酒で悦を知り、
麦焼酎で酔わないええ酒を知り、ウイスキーでたまげ、泡盛で南国を知り、
中国酒で大陸浪人となり、ベトナム密造酒に唸り、やっと日本の生酒に辿り着いた、
ってこったて。

こいが、おらん酒遍歴ですて。酒、万歳。

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