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自由、民主主義の先にあるもの

2022-09-12 06:28:49 | パソコン相撲
人類の歴史は、自由、民主主義を理想として、追い求めて来たのでしょうか。
絶対的な真理の様に見えます、私もそう思います。でも、違う意見もあるのです。
この自由、民主主義の先に、もし、まだ何かあるとすると、何でしょうか。
こう考えたらどうでしょうか。自由過ぎたら人はどうなるのか。
民主主義を謳歌し過ぎたら、人はどうなるのか。これらは、人とは何かに行き着きます。

様々な難問を解く鍵は、歴史にあると言います。
人類の草創期は、類人猿から枝分かれしたのち、言葉と言う宝物を得ました。
自然界での生存競争を生き抜くために、言葉によって団結し戦っていったのでしょう。
やがて野生との戦いに勝利していくと、今度は人同志の争いとなるのではないですか。
人類は出アフリカから始まり、山越え谷越え川越えと大陸大移動をしました。
それはもう、何派に分かれてのごちゃ混ぜの、行きつ戻りつだったでしょう。
言葉は小集団ごとに、あるいは山ごとに、谷ごとに、無茶苦茶にありました。
お互いの言葉が通じなければ敵、その敵とは戦う、生き抜くためにです。
戦いに勝った方は、自分達に組み入れて、自分達の言葉を使わせるのでは。
そうして徐々に大きな集団となっていき、村の形成となっていったのでしょう。
まづ、言葉なのです。その言葉のやりとりが、民主主義の始まりなのでは。

自由について考えます。
人類は自由から始まっているとも言える、と思うのです。
まだ、その観念はなかったにせよ、お互いに寄り添って生きていたのでは。
野性との食うか食われるかの日々であればこそ、まとまっていたのでは。
獲ってきた獲物を火で燻しながら、みんなで分け与えて、その日を過ごした。
そんな中、言葉は生まれていき、絆は深く結ばれていくようになったと思う。
だがである、これは必然であるが、人は欲というものに動かされるようになる。
たくさん獲物をとりたい、たくさん食べたい、子供がたくさんほしい、と。
そんな欲が欲を生み、隣の集落の土地が欲しい、自分達に組み入れたい。
欲は力となり、力は欲となりで、ぐるぐる回って行き出し、その土地の主が出来る。
主から豪族、そして小領主、統一王朝、古代国家と続く道のりに入る。
ますます力の世になっていった。そう、ますます個人の自由は失われたのでは。
ほんの一握りの支配階級が多数の民の上に立つ、民の自由はどうなる。

人類は欲を憶え、欲は力となり、力は力となりで、そして自由を失ったのでは。
続く長い封建社会で民は凄惨を舐めた、自由とは一部の階級のみだった。
これらの時代は、無理がある限り永遠に続く訳ではない、次の時代が来た。
民のマグマは世界各地で爆発していった。フランス革命、ロシア革命、明治維新へと。
やがて各国は近代戦争の渦に飲まれる、力と力はぶつかる、激しく領土を争う。
第一次世界大戦、第二次世界大戦を経て人類は、ようやく思い知った。
力対力では解決しない。人類共倒れとなる。武器を置こう、話し合いだ、と。
こうして、ようやくにして民主主義に至ったのではないですか。

この民主主義と自由とは、切っても切れないのではないでしょうか。
人類の大昔に生みだした、「言葉」から民主主義が始まり、長く埋もれていても。
戦後、「言葉」による民主主義に、また戻る事が出来た、とそう思うのです。
私の結論、自由、民主主義の先にあるのは、自由、民主主義だと。
昨今、この永遠の真理が揺らいでいるのでは・・・・

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