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私の祖父達の、最長移動地から見えて来るもの

2023-04-20 17:38:39 | パソコン相撲
新潟の実家の明治生まれの家族は、最長どこまで行ったのだろうか。
これはおしなべて家族だけではなく、この地方の明治生まれの方に言えるのかも。
当時も今も、まずは東京に目がいく。日本海側なので、越後山脈の向こうが気になる。
江戸時代であれば、三国街道の清水峠を越えて上野の国へと。そして江戸へ。
明治以降は信越線、上越線、国道17号線、高速で東京へと繋がる。
とかく新潟の人は東京となる。上信越国境のドカ雪のない地にあこがれる。
また群馬に入ると関東の匂い、高崎からは東京に来た感じに昔はなった。
これは昔の東北の人達が、宇都宮に着いたら東京に来たって感じと同じか。

ここで明治晩年生まれの祖父、祖母、タケ婆の夫、タケ婆を。
もっと遡って、明治初期生まれの曽祖父、曾祖母を辿ってみよう。

祖父(明治42年生まれ)
51才、祖母と二人で、東京へ嫁いでいった長女宅へ行く。初上京。
71才、京都に住んでいる末っ子の次男の結婚式に、みんなで出席する。

祖母(明治44年生まれ)
50才、祖父と二人で、東京へ嫁いでいった長女宅へ行く。初上京。
59才、私を連れて北陸本線まわりで大阪万博へ行く。
69才、京都に住んでいる末っ子の次男の結婚式に、みんなで出席する。

タケ婆の夫(明治25年生まれ)
68才、娘の旦那の車でタケ婆と一緒に東京の娘宅へ行く。初上京。

タケ婆(明治33年生まれ)
59才、娘の旦那の車で夫と一緒に東京の娘宅へ行く。初上京。
63才、一人で上越線に乗り東京の娘宅へ行く。共に熱海まで行く。

曽祖父(明治元年生まれ)、曾祖母(明治5年生まれ)
共に県外に出てはいない。となりの町や村だけかと思う。

これらの様に、私の家族だけではなくて、この地方の昔が見えて来る。
新潟は長岡あたりの明治生まれの方は、中年以降に初上京し、京都へは滅多にないかも。
まとめると、祖父は京都、祖母は大阪、タケ婆の夫は東京、タケ婆は熱海。
曽祖父、曾祖母は隣の村々が最長移動地であった。
昔は東京が遠かった。まして京都、大阪はもっと先、四国、九州は夢の地やも。

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