日々是好日

撮った写真や思っていることなどを気の向くままに書いています。

アドリア海沿岸3ヶ国周遊ツアー⑥ クロアチア・ザグレブ

2020-08-26 07:00:00 | 海外旅行

プリトヴィッツェから2時間ほどでザグレブに着いた。

ここでは半日の観光が予定されていた。

ザグレブは今までのアドリア海沿岸のリゾート地とは違って、歴史のある建物が点在し、中世の雰囲気が味わえるヨーロッパらしい街並み残っている街。

見どころがコンパクトにまとまっているため、半日もあれば十分だということだった。

ということで、ずっと徒歩で街の観光になった。

 

大型バスの駐車場から大聖堂に向かって歩き始めた。

すぐ目の前にあったのが「石の門」

かつてザグレブは大聖堂を中心とした聖職者の町「カプトル」と、聖マルコ教会を中心とした商人の町「グラデツ」という二つの街に分かれていて、それぞれが異民族の侵入を防ぐために石の壁で囲まれていて、そのため街に入るためには門を通らなければならなかったと説明があった。

当時、グラデツの街に入る門は6ヶ所あったが、現存しているのはこの「石の門」だけになってしまったらしい。

石の門の中には聖母マリアが祀られた小さな礼拝堂があった。

ザグレブの市民は毎日ここに来て聖母マリアに祈りを捧げていると言うことだった。

 

[石の門]

 

そして「石の門」を出たところにあったのが、「聖マルコ教会」

この教会はポスターなどに良く使われていて、カラフルな屋根瓦に特徴があり、クロアチアらしい景色となっている。

 

 

屋根はクロアチアの国旗の色合いと同じで、これは左がクロアチア・スラヴォニア・ダルマチア王国を表す紋章、で、右がザグレブ市の紋章となっていた。

ここは教会には入らずに、前の通りを歩きながら建物を見るけだった。

 

この教会の前で中国人ツアー客と一緒になってしまった。

スピーカーを使って説明していたのでうるさかった。

スピーカーがなくても声は大きいのに。

 

道なりに歩いたら見えてきたのが「ロトルシュチャク塔(時計塔)」

13世紀に建てられた街を見張るための塔で、今は正午に大砲を鳴らしている。

 

 

 

そして「ザグレブ大聖堂」

「ザグレブ大聖堂」は尖塔の高さは105m、建築様式はネオゴシックで、珍しいのは白い壁に囲まれていること。

これはオスマン帝国から守るために造られたものらしい。

 

[ザグレブ大聖堂]

 

守護聖人は聖マリア。

 

 

 

[大聖堂内部]

 

ステンドグラスもたくさんあったが、あまり派手さがなく、それよりも床のタイルの方が印象深かった。

 



教会内の壁にはキリル文字の原形となった「グラゴール文字」と呼ばれるスラブ語圏最古の文字があった。

 

 

 

大聖堂の前にあったモニュメント。

「Monument of the Assumption of the Blessed Virgin Mary」

 

 

 

大聖堂の近くにある「ドラツ市場」にも行ったが、時間が遅かったので、お店はほとんど閉まっていた。

 

[店じまいした市場]

 

この市場は「ザグレブの胃袋」と呼ばれ、観光客にも人気があり、お土産なども買えて、人気はハチミツとラベンダーのグッズらしい。

後ろにある塔は「聖マリア教会」、ちょっとおしゃれな塔だけが見えた。

 

[大聖堂と聖マリア教会]

 

ザグレブの中心といえば「イェラチッチ広場」。

 

 

イェラチッチというのは、イェラチッチ伯爵のことで、彼は軍人であり政治家でもあって、19世紀にクロアチアの自治権を求めて戦ったクロアチアの英雄。

広場にはイェラチッチ伯爵の銅像があり、ランドマークになっている。

 

団体でのザグレブ観光を終えた。

この後はフリーとなり、街歩きをしたり買い物をしたりして、ツアーの最後の1日が終わった。

自分の中では東欧といえば、ヨーロッパの他の国と比べて何となく近寄りがたかったが、このツアーに参加してみてイメージが変わった。

今回行かなかった旧ユーゴの国をもっと回ってみたいとも思った。

 

 

 

 

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アドリア海沿岸3ヶ国周遊ツアー⑤ クロアチア・プリトヴィッツェ

2020-08-25 07:00:00 | 海外旅行

3ヶ国の旅行で最も楽しみにしていたプリトヴィッツェ。

ドブロヴニクからずっと走り続けてプリトヴィッツェに着いたのは夜の8時だった。

 

マラ・カペラ山脈とリチカ・プリェシャヴィッツァ山脈に囲まれたプリトヴィッツェ湖群国立公園には16の湖、92の滝があり、世界自然遺産にも登録されている。

湖は透明度が高く、太陽の光の影響でブルーやエメラルドグリーンなど、様々に色が変化する。

ずっと前のことだが、野村不動産の「プラウド」というマンションのCMに世界の絶景が使われていたことがあった。

そのCMの一つの風景が素晴らしくて忘れられず、すぐに調べたらそれがプリトヴィッツェだった。



ホテルはプリトヴィッツェ湖群国立公園の中にあったので、翌日は朝早くから行動することができた。

この公園内は大きく分けて下湖群エリアと上湖群エリアに分かれる。

両エリアともゆっくり見るにはそれぞれが4時間くらいかかってしまう。

このツアーは全部で3時間しかなかったので、最短のコースを設定してあった。

ホテルから出て、反時計回りに下湖群エリア、上湖群エリアと歩き、その後は船で戻るというコースだった。

 

木道は歩きやすいように良く整備してあり、ほとんど平坦の道なので、気軽にハイキングすることができた。

どこを歩いても回りがうっとりするような景色なので、立ち止まったり写真を撮ったりしてゆっくりと歩いた。

途中には展望台もあり、高い位置から全体を眺めるとスケールの大きさが良く分かった。

 

[展望台から]

 

 

[ヴェリキ滝]

下湖群の北の端にある高さ78m、公園内最大の「ヴェリキ滝」。

 

 

 

水が澄んでいるので魚もたくさん見えた。

 

 

 

 

 

 

ハイキング中はどこを見ても絵になる景色だった。

湖の反対側の土手には花もたくさん咲いていた。

 

 

 

ハイキングが終わって遊覧船で湖を渡った。

遊覧船の回りにはボートに乗っている人もいた。

 

残念だったことはこの日は数日前に嵐のような日があり、上湖群の木道が壊れてしまって、上湖群最大の滝「ヴェリキ・プルシュタヴツィ」まで行けなかったこと。

それぞれの滝の名前は分からないが、流れ方、水量、音、色がすべて違っていた。

「自然ってすごいなぁ」と思わずにはいられない場所だった。

 

午後になって、後ろ髪を引かれる思いで、バスに乗り込み首都ザグレブに向かった。

 

 

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アドリア海沿岸3ヶ国周遊ツアー④ クロアチア・ドブロヴニク

2020-08-24 07:00:00 | 海外旅行

この日の予定はクロアチア最大の見どころ、「ドブロヴニク」と「プリトヴィッツェ」。

この2ヶ所は460kmも離れているので、午前中にドブロヴニクを観光して、午後からはずっとバスになる。

この距離は東京から岩手県、盛岡までに匹敵する。

これを一気に走るのだからすごい。

プリトヴィッツェ到着予定は夜8時過ぎ。

 

泊まっていたチャフタットからドブロヴニクまでは30分くらいだった。

ドブロヴニクは「アドリア海の真珠」とも呼ばれ、クロアチアの中でも人気のある観光地。

過去には震災の被害や内戦による破壊もあった。

今では世界遺産となっているが、これらの時は「危機遺産」としてリストに載っていたりもした。

城壁で囲まれ、中世の雰囲気が残っている旧市街には多くの歴史的建造物がある。

また、オレンジ色に統一された屋根が並ぶ風景には思わず見入ってしまう、それほどきれいな場所になっている。

 

 

朝早くから観光しようとして、早めに出発したのに、この日はクルーズ船が数隻入っていたため、ものすごく混んでいた。

クルーズ船1隻の乗船客が3,000人としても、それが数隻なので最低でも1~2万人が狭いドブロヴニクの街に押し寄せたのだから。

街に入る前に街の北側にそびえている「スルジ山」に登ることにした。

午後からは霧が出ることが多いので、午前中の方が良いということだった。

朝なのにケーブルカー乗り場も混んでいた。

それでもやっと乗り込んで頂上からドブロヴニクの街とアドリア海を一望した。

オレンジ色の屋根と青い色の海のコントラストが見事だった。

ところがこの日はまだ朝だというのに霧が出てきてしまった。

時々晴れる時がシャッターチャンスだった。

 

 

[スルジ山から]

 

 

(旅行社パンフレットより)

 

城壁にと囲まれたドブロブニク旧市街への主な入り口は3ヶ所あり、メインの門は上にドブロブニクの守護神「聖ヴラホ」像がある「ピレ門」。

門をくぐり、旧市街に入るとすぐに見えてくるのがオノフリオの大噴水。

ドブロヴニクは飲料水不足だったが、イタリアの職人によって12km離れた水源から水を運ぶことができ、この噴水が造られ、水不足が解消された。

16角形の噴水の側面には彫刻が施され、今でも飲料水として飲むことができる。

 

 

旧市街の中で自由時間となったので、人混みをさけて城壁を歩いてみることにした。

チケットは門を入ってすぐのところにあるツーリストインフォメーションで購入することができた。

城壁の長さは2km、40分くらいで一周することができる。

城壁に上る階段は数ヶ所あるが、オノフリオ前の階段から上った。

 

[フランシスコ会修道院の脇にある城壁への階段]

 

反時計回りにしばらく歩くと城壁の中で最も高い場所のミンチェタ要塞に着いた。

 

[ミンチェタ要塞]

 

[城壁から見た風景]

 

 

城壁を一周してからは街歩き。

ピレ門から入って真っ直ぐ続く道がメインストリートのプラツァ通り。

通り沿いにはたくさんの土産物屋、カフェ、レストランなどが軒を連ね、そこからは細い路地が網の目のようになっている。

車両の進入は禁止なので、のんびりと歩くことができた。

 

 

[プラツァ通り]

 

[路地の様子]

 

[路地の様子]

 

 

プラツァ通りをまっすぐ進んだ先は、街の中心部「ルジャ広場」。

回りにはスポンザ宮殿や聖ヴラホ教会などがある。

 

[聖ヴラホ教会]

 

街の守護聖人、聖ヴラホが祭られている。

 

 

[オルランドの柱]

 

聖ブラホ教会の前にある「オルランドの柱」は巻き毛で、謎めいた笑みを浮かべているイケメンの像。

ヨーロッパで最も美しい英雄像の一つと言われている。

 

[ラグーサ共和国旧総督邸]

 

ラグーザ共和国の総督の住居として使用された邸宅。

現在は文化歴史博物館として使用している。

 

 

また、広場の南側には大聖堂があり、大理石でできた祭壇の奥には、ティツィアーノが15世紀に描いた「聖母被昇天」が飾ってある。

 

[大聖堂]

 

 

有名な薬局で買い物もした。

ピレ門から入ってすぐ左側の城壁への階段のところにあるフランシスコ会修道院には併設して世界で3番目に古い薬局の「マラ・ブラーチャ薬局」がある。

この薬局は中世から受け継がれるレシピに基づき作られた、ここでしか手に入らないコスメを販売しているというので、観光客の人気になっていた。

ここも混んでいて、狭い店の中は人でいっぱいだった。

普通の薬局のように商品が並べられているのではなく、調剤薬局のような感じだった。

 

 

3時間ほど自由時間があったので十分に歩き回る時間があった。

お昼を港近くのレストランで取った後、プリトヴィッツェに向かって長いバスの旅となった。

 

 

 

 

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アドリア海沿岸3ヶ国周遊ツアー③ クロアチアとボスニア・ヘルツェゴビナ

2020-08-23 07:00:00 | 海外旅行

 

 

この日の予定はトロギールからスプリットに行き、その後はお隣の国、ボスニア・ヘルツェゴビナを少しだけ観光してから再びクロアチアに帰ってくるという、忙しい予定だった。

数回国境越えをしなければならなかった。

島国の日本に住んでいると国境越えは大それたことだと思うが、陸続きの国だったら大げさに考えないで普通に行き来しているようだ。

 

トロギールからスプリットまでは30km、40分くらいで着いた。

 スプリットはザグレブに次ぐクロアチア第2の都市で、 古代ローマ帝国のディオクレティアヌス帝の宮殿があった。

皇帝の死後、数百年の間には宮殿も廃墟となってしまった。

宮殿跡の廃墟に市民が勝手に家を建てたりして、住みついてしまったのがこの街の起源となっているらしい。

その街が「ディオクレティアヌス宮殿があるスプリットの歴史的建造物群」として 世界文化遺産となっている。

 

[ディオクレティアヌス宮殿の城壁]

外側から見ても何となく廃墟だった感があった。

 

宮殿への主な入り口は東西南北に4つあり、それぞれに「銀の門」、「鉄の門」、「金の門」、「青銅の門」と呼ばれている。

「銀の門」から入った。

銀の門をくぐった先には東西に12本の列柱に囲まれた中庭が広がっていた。

中庭には皇帝がエジプトに遠征した際に持ち帰ったと言うスフィンクス像があった。

 

 

その東側には大聖堂と鐘楼があった。

 

[大聖堂と鐘楼]

 

聖ドムニウス大聖堂は八角形をした高い壁が特徴的な建物だった。

これはディオクレティアヌス帝の霊廟として建てられ、改装、増築された部分もあるが、八角形の壁面は建設された当時の姿のままらしい。

 

 

[鐘楼]

 

鐘楼に登るとスプリットの街が一望できた。

 

 

南側には皇帝の住居の玄関があり、そこは天井に穴があいていてドームのような円形の空間があった。

かつてはモザイクや彫像などで飾られていたらしいが、今ではこのドーム型の空間は音が良く反響するということで、無形文化遺産に登録されている「クラッパ」の合唱が行われている。

(クラッパはダルマチア地方に伝わる、男性アカペラ合唱のこと)

クロアチアではどこに行ってもクラッパの合唱を見せてくれる。

前の日もトロギールで行っていた。

 

 

 

 

それにしても廃墟となった宮殿に、勝手に家を造ってしまって住んでいるなんて考えられない。

 

 

 

 

これらの家はきれいな方で、城壁の裏側などは崩れそうな家がいっぱいあった。

 

 

この後はボスニア・ヘルツェゴビナのモスタルへ。

アドリア海沿岸はずっとクロアチアではなく、少しだけボスニア・ヘルツェゴビナになって、再びクロアチアとなっている。

要するにクロアチアが海岸線の「ネウム」という街で分断されている様な感じになっている。

だからこの先のドブロヴニク方面に行くには必ずボスニア・ヘルツェゴビナの「ネウム」を通らなければ行くことができない。

 

 

 

途中休憩するために、ネウムに少しだけ立ち寄った。

国境の街なのでスーパーマーケットではクロアチア通貨のクーナでも、ボスニアの通貨マルカでも、ユーロでも買い物ができた。

 
 

ここはから内陸部に入って「モスタル」に向かった。

ボスニア・ヘルツェゴビナの世界遺産の街モスタル。

モスタルはイスラム文化とヨーロッパ文化が融合した独特の旧市街が見どころとなっていた。

今まではずっとオレンジの屋根が続く明るい雰囲気のアドリア海沿岸を走っていたが、山間部に入ってきたら緑の山々と石壁のグレーの街並みに変わってきた。

走っている時に車窓から見える家の壁には紛争時の弾丸の跡がくっきり残っているのも見えた。

民族間や宗教に関わる紛争については複雑で良く分からないが、普通の市民同士が争っていたのだと思うと、ショックだった。

 

街を流れている大きな川がネレトヴァ川、この川を挟んで東側がイスラム系地区、西側がカトリック系と住み分けられている。

そして両方の地区を結ぶ橋が「スターリ・モスト」。

(ガイドさんは石橋と言っていた)

「スターリ・モスト」は、負の世界遺産として登録されている。

紛争時に両側の民族が対立していて、甚大な被害があったから。

この橋も破壊されたが、2004年に復興工事が完了し、今では東側と西側を結ぶ平和の象徴となっている。

 

 

 

[橋の東側・イスラム地区]

 

橋の周辺には土産物屋がたくさん並んでいて、活気があるように思えたが、不景気で若者たちの仕事がなくて困っていると現地のガイドさんが言っていた。

 

 

モスタル観光を終え、再びネウムで国境を越えて、この日のホテルがあるクロアチアのチャフタットまで200km、3時間半かかった。

チャフタットはドブロヴニクから更に南に20kmのところにある静かな港町で、「小さなドブロヴニク」と言われている。

1晩泊まるだけのホテルだったが5つ星だった。

海に面したリゾートホテルで、目の前にアドリア海が広がり、遠くには豪華客船がたくさん見えた。

 

 

 

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アドリア海沿岸3ヶ国周遊ツアー② クロアチア

2020-08-22 07:00:00 | 海外旅行

 

 

オパティアのホテルは海辺の高台にあり、外観はヨーロッパ調。

ツアーのホテルなので期待はしていなかったが、ロケーションは最高だった。

夜遅く着いて朝早く出発するし、ホテルは寝るだけでいいと思ってるから、これで十分だった。

ホテルのすぐ下は海で、5分くらいで行けた。

桟橋の近くにある遊歩道を散歩していたら、岸壁にウニがいっぱいへばりついていた。

ここでは食べないのかな?

 

この日の予定はシベニク、トロギールの市内観光だった。

また長いバスの旅が始まった。

シベニクまで340km、朝早く出たのに昼食をはさんで、シベニクに着いたのは昼の2時。

それでも海岸線を走ったので、景色を見ているだけで満足だった。

クロアチアの海岸線は深く入り組んだ入り江が多く、本当に驚くほどの絶景だった。

 

 

遠くに「聖ヤコブ大聖堂」のドームが見えてきた時、シベニクに近づいたのが分かった。

 

 

シベニクは、クロアチアの古都で、中世の街並みが残っているところ。

教会も数多くあるが、15世紀から約120年かけて造られた「聖ヤコブ大聖堂」は石だけで造ってある世界最大の教会、高度な建築技術で造られたということで「シベニクの聖ヤコブ大聖堂」として世界文化遺産に登録されている。

そのためか、観光客も多く、観光地化した感じだった。

建設当時はゴシック様式だけだったのだが、完成までの長い間にはルネサンス様式も取り入れられ、両方が見事に融合していた。

 

 

[ファサード]

 

左右対称で中央にゴシック様式の入口、屋根はルネッサンス様式の半円形となっていた。


[ライオンのドア]

 

左右にはアダムとイブの彫刻、上部には71人の顔。

この顔は建設に関わった街の有力者だと言われている。

 

ガイドブックにはこの教会の洗礼室の天井の装飾がみごとなので、必見と書いてあったが、残念ながらこのツアーは中には入らずに、外観を見るだけだった。

 

[レプブリカ広場の市庁舎]

 

左右には階段があり旧市街に行くことができ、向かって左側にはユライ・ダルマティナッツの像が立っていた。

 

 

[ユライ・ダルマティナッツの像]

 

大聖堂の建築は途中から地元の建築家、ユライ・ダルマティナッツが指揮をとった。

彼はベネツィアの影響を受けたので、このころからルネサンス様式が取り入れられたようだ。

ところが、完成を見ることなく亡くなってしまったらしい。

 

大聖堂を見学した後は市内観光だった。

大聖堂のすぐ後ろに立つ聖バルバラ教会、更に進んで聖イヴァン教会など。

 

[聖イヴァン教会]

 

 

[聖イヴァン教会近くの街並み]

 

少し自由時間があったので、街を散策した。

シベニク観光にかかせない4つの要塞があるのだが、そこまでは時間が足りなくて、断念した。

 

そしてバスで1時間余のトロギールに向かった。

トロギールは紀元前3世紀頃に古代ギリシャ人が建設した歴史のある街。

長い歴史の間、ハンガリー王、ベネツィア、ハプスブルグ家などに支配されたこともあったようだ。

トロギールは島のようになっていて、本土とは運河で隔てられている。

中世そのままの旧市街はかつては全部が城壁で囲まれていたが、今ではその一部しか残っていないようだ。

そして、ここも世界遺産に登録されている。

 

 

旧市街には北門から橋を渡って入った。

北門の上には街の守護聖人である聖イヴァン・ウルスィニ像が立っていた。

 

 

北門を入ると狭い路地が続いていた。

街全体が小さいので、石畳の路地をのんびりと歩きながら両脇にある建物などをみて回った。

 

 

[時計塔]

 

旧市街の中心、イヴァナ・パヴラ広場に面して立っている時計塔。

脇のステージでは観光客向けにクラッパの合唱を披露していた。

(クラッパ=ダルマチア地方に伝わる、無形文化遺産にも登録されている伝統的な男性アカペラ合唱のこと)

 

 

 

 

[聖ロブロ大聖堂]

 

時計塔の向かい側にある「聖ロブロ大聖堂」、 正面入り口の彫刻はクロアチアを代表するロマネスク美術の傑作らしい。

 

[聖ロブロ大聖堂の鐘楼]

 

 

この日はトロギール市内のホテルに泊まった。

 

 



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