日々是好日

撮った写真や思っていることなどを気の向くままに書いています。

ポルトガルの旅③ リスボン1日目

2020-08-31 07:00:00 | 海外旅行

この日からリスボン。

リスボンはヨーロッパ最西端に位置するポルトガルの首都で、かつてはここから太平洋を渡って新大陸を目指した冒険家たちの出発点となった場所。

テージョ川の河口にあり、丘に囲まれた街で、日本とも古くから交易があったため、何となく親近感を持っていた。

 

ファティマからバスで1時間半、リスボンに着いた。

バスターミナルで売っていた公共機関の1日乗り放題のチケットを購入し、タクシーでホテルに荷物を預けに行った。

ホテルは高台にあり、ケーブルカーの「グロリア線」がすぐそばにあった。

 

 

すぐに街の様子を見に出ようとした。

街へはケーブルカーで下ればすぐのつもりだったが、この時はケーブルカーが修理中のため、使えなかった。

仕方がないので、線路を歩いて下まで行った。

後で調べてみたらこの「グロリア線」は3つあるケーブルカーの中で最も急斜面を走るケーブルカーだということだった。

 

ケーブルカーの線路を上から見たら、途中に動いていない電車が止まっていて、その脇をたくさんの人が歩いていた。

 

近づいてみると電車は落書きでいっぱいだった。

両側のお店には配達の車が堂々と線路脇を走っていた。

 

フリーのチケットを持っているので、バスもトラムも乗り放題だから、取りあえず遠くの方から回ってみようと、28番のバスで西の方に行ってみた。

そして終点近くにあったのが「エストレラ大聖堂」

ここはポルトガル女王ドナ・マリア1世が息子の誕生を祝って建てた教会で、荘厳なネオ・クラシック様式の外観、そして白い壁がきれいだった。

鐘楼が2つ並んでいて、登るとリスボンの街を一望できると聞いたので、早速登ってみた。

大聖堂は無料で見学できるが、鐘楼は有料だった。

 

[エストレラ大聖堂のファサード]

 

[鐘楼の上]

 

この教会の内部の装飾はバロック様式になっていて、中には祭壇があり女王の棺が安置されていた。

 

バスやトラムに乗り放題はうれしい。

西から一気に南にあるアルファマ地区を目指してバスに乗っていたら、地元の年配の女性が声を掛けてきて、「サン・ジョルジェ城」はリスボン市内で一番お勧めの場所だから、アルファマよりも「サン・ジョルジェ城」へ言った方が良い、と言ってバスをわざわざ降りてお城のチケット売り場まで案内してくれた。

 

[サン・ジョルジェ城の城門]

写真では分かりづらいが、中央にはポルトガル王国の紋章と1846年という表示があった。

 

チケット売り場のすぐ先は広場になっていて、中央には「アルフォンソ1世」のブロンズ像があり、その先に進むと展望台になっていた。

サン・ジョルジェ城はリスボンで一番高い丘の上にあるので、ここから街が一望できた。

 

[展望台からの眺め]

大きなテージョ川と遠くには「赤い吊り橋(4月25日橋)」と「クリスト=レイ像 」がぼんやりと見えた。

 

城壁に行くまでは庭園や常設の展示場があり、その敷地内にはクジャクがたくさん飼われていた。

 

 

クジャクは人に慣れているようで、全く驚いた様子はなかった。

ポルトガルはクジャクが多いようで、どこの公園に行っても良く見られた。

ホテルの窓の下、隣の建物の屋根にも野生?のクジャクがいたのを見た。

 

サン・ジョルジェ城の城壁には塔が11基あるらしい。

そして城壁の上を歩くことができた。

 

 

 

 

お城の周囲は深い森になっていた。

 

右奥、遠くから見たサン・ジョルジェ城。

 

 

サン・ジョルジェ城を見てから、本来行くはずだったアルファマ地区に回った。

アルファマ地区はサン・ジョルジェ城の下の方に広がっている迷路のように入り組んだ、リスボンで一番古い街。

下町と言った雰囲気がある。

 

[アルファマ地区の路地]

 

路地を歩いていたら、この家の人が顔を出し、上から声を掛けてきた。

 

壁は落書きでいっぱいだった。

 

アルファマ地区でファドを聴かせてくれるお店。

ファドはアルファマ地区が発祥の地らしい。

 

 

アルファマ地区を歩いてから、ホテルに戻る途中で、リスボン名所のサンタ・ジュスタのエレベーターにも乗ってみた。

サンタ・ジュスタのエレベーターは、地形の高低差が激しいリスボンの街中にあり、高台に行く時に利用するもので、上に行くと橋のようになっていて道路をまたいでいた。

上には「カルモ考古学博物館」や展望台などがあった。

 

 



 

[エレベーターから繋がる通路を下からみたところ]

 

エレベーターを体験してから、ホテルに向かったのだが、朝は修理中だった「グロリア線」のケーブルカーはまだ動いていなかった。

歩いてこの坂を登らなければならないと思うと、疲れがどっと出てしまったようだった。

下るのはあんなに楽だったのに・・・・

 

この坂の上には「サン・ペドロ・デ・アルカンタラ展望台」があった。

この展望台は以前「消臭力」のCMで使われていて、その時は有名だった覚えがあった。

あの時使われていた映像は素晴らしい場所のように見えたが、なんてことの無い普通の展望台だった。

でも、リスボンの街を一望できた。

 

[アルカンタラ展望台から見た夕暮れのリスボンの街]

 

 

1日目のリスボンはこれで終わり、ホテルに戻ってホテルスタッフに相談して翌日からの観光コースを決めた。

ケーブルカーを使わずに行くことも忘れずに聞いた。

 

 

 

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ポルトガルの旅② ファティマ

2020-08-30 07:00:00 | 海外旅行

ポルトからバスで南下してコインブラへ着いた。

コインブラに着いては以前に書いた。→コインブラ大学とファド

コインブラは12世紀頃の100年余り、ポルトガルの首都だったこともあった。

今では1290年に「コインブラ大学」が設立されたことによってポルトガルの文化的中心地となっている。

 

コインブラからバスで1時間半のところにあるファティマを訪れた。

コインブラとリスボンの中間辺りにある小さな村だったファティマ

1917年に起こったとされるファティマの奇跡以来、ローマ・カトリック信者を中心に国際的な巡礼地となっている。

ファティマの奇跡とは、ファティマに住む羊飼いの3人の子供の前に天使が現われ、祈りの言葉と身をかがめるような祈り方を教えた。

その後も天使の訪問は続き、1917年5月13日にその3人の子供たちの前に聖母マリアが現われ、毎月13日に同じ場所へ会いに来るように言った。

オオカミ少年のような扱いを受けた子供たちはそれでも聖母マリアに会い続けてさまざまなメッセージを託された。

聖母からのメッセージは大きく分けて3つあった。(その内容は調べてネ)

そのようなことから聖母マリアの出現した日、5月13日と前日は「聖母出現祭」が開催され、その時は多くの信者がファティマに祈りに来るので、ファティマにあるバジリカの規模は大きくて3つの礼拝堂と30万人が集まれる広場がある。

 

ホテルはバスターミナルのすぐ前にあったので、荷物を置いてから市内巡回バスに乗った。

バスは村を回り、村の中心から2km離れている「ファティマの奇跡」の起こった場所にも寄った。

 

[子どもたちの生家]

 

家の中は小さなミュージアムになっていた。

 

[聖母マリアが現われた場所に建てられたモニュメント]

 

この後、蝋人形館に行ったら「ファティマの奇跡」について詳しく説明があった。

聖母マリアに会った3人の子どもの中の一人、女の子のルシアはその後、シスターになっていた。

そして2005年2月13日に98歳で亡くなったそうだ。

 

村の中心地、バジリカに行ってみた。

ものすごく広い場所だった。

10月には10万人を超す人々で大広場が埋め尽くされる程の巡礼地だから当然なのだが、やはりその広さには驚いた。

 

[バジリカ]

 

 

一歩足を踏み入れた時、広い空間を見て驚いたのだが、バジリカに対して正面に向かい合っていたのが「聖三位一体教会」。

美術館か博物館の様な感じで、教会とは思えない現代的な建物だった。

 

[聖三位一体教会]

 

[聖三位一体教会の内部]

 

この教会は2007年に完成したらしく、内部も近代的になっていて、祭壇も金色であまり厳かな気分にはなれなかった。

 

ここからバジリカに向かって歩いて行くときに左側に大勢の人が集まっていた場所があった。

この場所が「出現の礼拝堂」で、写真が暗くて良く分からないが、奥に白いチャペルがあり、そこが聖母マリアが最初に現れた場所だとか。

キリスト教徒にとっては最も重要な場所らしく、礼拝を行っていたので、キリスト教徒でもないのに後ろに並んでみた。

 

 

礼拝を終えてバジリカへ。

近くに来ると圧倒される大きさだった。塔の高さは65メートルある。

早速中に入ってみた。

アーチ型をした高い天井、さすがに荘厳な感じのする内部で、撮影は自由だった。

 

 

 

 

教壇横にはキリストの受難が描かれていた。

ステンドグラスに見とれていると信者が寄ってきて、受難を受けたイエスのことだと思うが、説明をしてくれたけれど、ポルトガル語が良く分からなかった。

 

 

外の回廊にも、聖家族が描かれていて、これもなかなか見応えがあった。

 

 

バジリカの横にはロウソクを燃やす場所もあり、多くの人がロウソクを買っていた。

せっかくだから一番小さなロウソクを買って立ててきた。

 

 

この後、バジリカの外にある土産物屋を見て歩き、ガイドブック(地球の歩き方)に載っていたレストランで食事をし、ホテルに戻った。

 

 

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ポルトガルの旅① ポルト

2020-08-29 07:00:00 | 海外旅行

スペイン、サンチャゴ・デ・コンポステーラからポルトガルに入り、ポルトガルの旅はポルトから始まった。

ポルトはポルトガル第2の都市で、ポルトガルの国名の由来となっている街。

ローマ時代から交易で栄えていて、今でもポートワインの出港地として知られている。

また、ポルトの旧市街地は、「ポルト歴史地区」としてユネスコの世界遺産に登録されている。

 

[サンチャゴ・デ・コンポステーラのバスターミナル]

 

 

面白いことに、スペインでは時間や乗り場がいい加減だったバスもポルトガルに入ったら驚くほど時間通りに運行されていた。

国をまたぐバスターミナルは街から少し離れたところにあったので、地下鉄のカーサ・デ・ムジカ駅からホテルのある旧市街に入った。

ここでも係員に「シニア?」と聞かれた。

ヨーロッパはどこでも、何にでもシニア料金がある。

鉄道、美術館などの入場料など、一般と比べものにならないくらい安くなっているところもあった。

 

取りあえずホテルにチェックインしてから街歩きをした。

やっぱりポルトはポートワインと言うことで、「Real Companhia Velha」というワインセラーに寄るコースがあるツアートレインに乗った。

このワインセラーはポルトガルで一番古いらしい。

 

 

 

 

ツアートレインはここで見学と試飲をしてから街に出て、主な見どころを回ってくれた。

街の様子を頭に入れた後、旧市街から歩き始めた。

カテドラル(ポルト大聖堂)→サンベント駅→グレゴリスの塔→レロ・イ・イルマオン→サンフランンスコ教会と回った。

坂道が多くて結構大変だった。

 

カテドラルは高台にあるためランドマークとなっていてここから旧市街が一望できた。

 

 

12世紀初頭に建てられたポルトで現存する最古の建造物で、世界遺産「ポルト歴史地区」の構成遺産の一つとなっている。

小高い丘の上にあるのは、最初は大聖堂ではなく要塞として築かれたらしいからだとか。

 

 

 

カテドラルもアズレージョで有名らしく、回廊はずっとタイルの装飾となっていた。

 

 

 

次がサンベント駅。

ポルトを歩いているとあちこちにアズレージョと呼ばれるポルトガルのタイル装飾が見られるが、中でもサンベント駅のアズレージョは見事だった。

この駅は最初は修道院だったらしく、それを改築して駅にしたようだ。

 

 

 

改札口左側の壁には「12世紀のアルコス・デ・ヴァルデヴェスの激戦(Torneio de Arcos de Valdevez)」の様子のアズレージョ。

このようにそれぞれの絵にストーリーがあるとのこと。

 

 

 

 

[駅のホーム]

 

駅で素晴らしいアズレージョを見てから徒歩で5分先のところにあるポルトのシンボルの「クレリゴスの塔」(Torre dos Clérigos)に登ってみた。

この塔は「グレゴリス教会」にあり、18世紀に完成したバロック様式の教会になっている。

入場料を払い塔に登るのだが、人気があるようで混んでいた。

 

[中央がグレゴリスの塔]

遠くからでもひときわ高く見えていた。

 

 

[グレゴリス教会]

 

[グレゴリスの塔]

 

[グレゴリスの塔から見た街]

 

[グレゴリスの塔から見た街]

 

 

塔から降りて「レロ・イ・イルマオン(世界一の書店)」を探した。

すぐ近くにあったが、お店自体の入り口はあまり広くなく、数件隣のチケット売り場の方にたくさんの人が並んでいたので、本屋よりもこちらの方が分かりやすかった。

レロ・イルマオンの記事はこちら

 

 

 

 

 

バルで食事をした後、通った道を逆にドウロ川方面に下って、再びカテドラルを通り過ぎ、ポルトの名所でもあるドン・ルイス1世橋(Luís I Bridge)」を渡った。

ドウロ川に架かるドン・ルイス1世橋はポルトでも一番有名な橋で、ポスターなどによく使われている。

この橋は19世紀に建設され、世界遺産にも登録されている。

設計者はエッフェル塔を設計したギュスターヴ・エッフェルの弟子らしい。

 

 

橋は2段になっていて、上段は人と電車、下段は人と車が走れるようになっていた。

 

[橋の上段]

すぐそばを電車が通り過ぎていった。

上には下を眺めたり、写真を撮ったりして立ち止まっている人も多かった。

歩いているときに後ろから声を掛けられた。

その人が言うには「自分は警官だが、今パトロール中で、後ろを歩いていた人がリュックの蓋を開けようとしていたので注意するように」と。

私服だし、本当に警官なのかと尋ねたら手帳を見せてくれた。

もしかしたらその手帳もあやしいのかもしれないので、あまり関わらずにやり過ごしてしまったけど、本物の警官だったのならごめんなさい。

 

 

[橋から見たドウロ川]

 

 

橋を渡った先には庭園などあったが、すぐに引き返すことにして、戻りは下を歩いてみた。

 

 

下を歩くとこのような感じだったが、渡ってから上の道路に出るまでがハンパなく急な坂道になっていたので、最初から上の道を戻れば良かったと後悔した。

 

有名な橋の見学も終わり、「サンフランシスコ教会」と「アルマス礼拝堂」に寄ってからホテルに戻った。

 

[サンフランシスコ教会]

 

クレリゴス教会と同じバロック様式の教会で、すぐ隣には「ボルサ宮」があった。

サンフランシスコ教会の内部は撮影禁止、ボルサ宮は個人では内部の見学はできなかった。

 

 

[アルマス礼拝堂]

教会全面が美しいアズレージョに覆われていて一見の価値がある教会だった。

中には入らずに、外から眺めただけ。

 

プランニングの仕方が悪く、同じ道を通ったりして無駄なことも多かったが、1日掛ければ十分に歩いて回れる街だった。

 

 

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ツユクサ

2020-08-28 07:00:00 | 植物

青い花を思い浮かべてみた。

青と言っても紫がかったものや、水色の花はたくさん並べられるが、真っ青な花はあまりないと思う。

そんな中で唯一身近に見られたのが「ツユクサ」だった。

「ツユクサ」は鮮やかな青だと思う。

 

ツユクサは日本に古くからあり、万葉集にも詠まれている。

別名「月草」、「蛍草」とも呼ばれ、万葉集では「月草」で登場している。

その内容は心変わりや命の儚さを詠んでいるものが多い。

それは、「月草」が染め物の原料として使われていていて、これで染めたものは色がすぐ落ちてしまうからと、移ろいやすさやはかなさの代名詞となっているようだ。

 

 

 

 

黄色の部分は雄しべの一部、雄しべは全部で6本あり、2本は長く普通の雄しべなのですが、残りの短い4本は昆虫の目を引くために、黄色になっているらしい。

 

 

---------- ツユクサ ----------

 

高さは15~50cmで直立することはなく、茎は地面を這う。

6月~9月にかけて1.5 ~2cmほどの青い花をつける。

花弁は3枚、上部の2枚は青く大きいが、下部の1枚は白くて小さく目立たない

雌しべが1本、雄しべが6本ある。

一日花で、早朝に咲いた花は午後にはしぼんでしまう。

青花、白花がある。(Wikipediaより)

 

 

 

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塩原自然研究路・「富士山」で見つけた花

2020-08-27 07:00:00 | 植物

ある年の8月の終わりに富士山に登った。

これは「ふじやま」と言って、誰でもが知っている日本一の富士山とは違い、別名「新湯富士」と呼ばれ、栃木県、奥塩原にある。

1180mの低い山だがトロイデ型の小さな活火山になっている。

 

ゆっくり登って降りるまで3時間くらいのコースだが目的は花の写真を撮るためだった。

塩原の新湯温泉に車を止めて、登った。

新湯温泉は塩原温泉郷の中の一つで、日塩紅葉ライン沿いの温泉地。

硫黄の臭いが立ちこめ、山肌から煙がモコモコと出ているような小さな温泉地で、標高は1000mとなっている。

だから高低差は200m弱しかない。

 

塩原自然研究路はコースがいくつかあるが、この日は温泉(ゆせん)神社への石段を登り、分岐点で富士山方面を選んだ。

硫黄の臭いがする中、15分くらい登ると「新湯爆裂噴火口跡」という噴煙展望台があった。

ここが唯一の展望場所で、後はずっと林の中を歩いた。

あっという間に山頂に着き、ここからはヨシ沼まで下り、沼を一周して新湯温泉に戻った。

 

 

 

--------  目的の花の写真  --------

 

[アケボノソウ]

東京、埼玉県などではレッドリストに入っているらしい。

 

[キツリフネ]

ツリフネソウが群生していた中にポツリと黄色のものがあった。

 

[ツリフネソウ]

 

 

[オクモミジハグマ]

一番上の花は3個つくらしいが、終わりかけだったので確認できなかった。

 

[シシウド]

ぼけ気味の写真のため幻想的に見える。

 

[オトギリソウ]

兄が弟を切ってしまったという伝説がある花、薬草。

 

[ミヤマアキノキリンソウ]

同じような花がたくさんあるので、少し自信が無い。

 

[レンゲショウマ]

この花を見つけたときは飛び上がるほど嬉しかった。

 

[サワギキョウ]

水辺や湿地に生えるので「ヨシ沼」に咲いていた。

 

 

この他にも名前の分からない花がたくさん咲いていた。

 

 

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