日々是好日

撮った写真や思っていることなどを気の向くままに書いています。

トレド

2021-03-03 07:00:00 | 海外旅行

トレドは「もしスペインで1日しかなかったら、迷わずトレドへ」と言われるくらいスペインでは有名な観光地。

城塞都市トレドは中世時代に建てられたイスラム教、ユダヤ教、キリスト教が融合して造られた歴史的建造物が多くあり、3つの宗教が入り交じった街並みは独特な雰囲気となっている。

またこの街はエル・グレコが暮らしていた街だったので、彼の数多くの作品が残されている。

 

トレドは2度目だった。

三方をタホ川で囲まれている旧市街にはアルカンタラ橋から入った。

ソコドベール広場に着いてびっくりしたことは、前に来たときと違ってあまりにも人が多かったこと。

ほとんどが中国人で、そこら中から聞こえてくるのは中国語ばかりで、ここは中国なのか? と思ったほどだった。

たまたまその日が中国人デーだとは思わない、きっと最近は何時でもこうなのだろう。

着いたそうそう何だかガッカリした気分になった。

そんな中、大聖堂を目指して、人波をかき分けて歩いた。

 

[トレド大聖堂]

歩いていると前方に扉が見えたがここからは入れなかった。

狭い路地を回り込みファサードの前の広場に出て、更に角を曲がったところにチケットセンターがあった。

 

またここでもガッカリしたことに遭遇した。

というのは、大聖堂に入るためにチケットを購入すると、料金には英語版のオーディオガイドが含まれていた。

で、それを借りるために、デポジットとしてパスポートを預けなければならなかった。

肌身離さずに持っていなければならないパスポートを預けるのはちょっと・・・・

オーディオガイドはいらないと言ってもダメだった。

他の人たちは素直に預けているかなぁ~

でも、しょうがないのでパスポートを預けて大聖堂に入ることにした。

大聖堂内部のきらびやかさには目を見張るものがあった。(撮影は禁止だった)

今までスペインの大聖堂といわれる場所は多く見てきてどこも優劣が付けられないほどどれも素晴らしいものだったのだが、この大聖堂にはそれに加えて美術館さながらの聖具室があった。

聖具室とは聖杯や聖衣などを保管するための部屋なのだが、この部屋にエル・グレコ、ラファエロ、ティッツァーノ、ゴヤ、カラヴァッジォなどの作品展示されていた。

ここだけでも入場料(10€)を支払った甲斐があったのかも。

 

でも、とにかく人が多く、少しうんざりしながら、1時間ほど大聖堂を堪能し、次はあまり人がいない場所、と思い「エル・グレコ美術館」に向かった。

ユダヤ人街を通り抜け、美術館に着いた。

ここは静かだった。

 

 

美術館となっているが、ここは別名「エル・グレコの家」で、彼が住んでいたユダヤ人地区の家の一つを改築したものらしい。

入り口を入るとパティオがあって 2階部分は庭を取り囲むように回廊になっていた。

落ち着いた、小さな美術館だった。

のんびりと庭で休むこともできた。

 

 

 

この美術館には「トレドの景観と地図」という有名な絵があり、この絵を見ただけでも満足だった。

 

次は、せっかくトレドに来たのだからもう一つエル・グレコ最高傑作の一つ、「オルガス伯の埋葬」があるサント・トメ教会に行ったのだが、またここで中国人団体に捕まってしまった。

長い行列ができていて、とても入れる状態じゃなかった。

しょうがないからサント・トメ教会は諦めて、ソコドベール広場から出ている「ソコトレン(Zocotren)」という赤い列車型の観光ミニバスで街を一周した。

その街によって名前は色々だが、スペインのほとんどの街にはこのような観光トレインがあり、街を回ってくれる。

ソコトレンは途中下車はできないけれど、見どころでは少し時間をとってくれる。

そして、ソコトレンの1番のおすすめポイントは、タホ川の対岸の展望台。

ここで数分間の時間をとってくれ、降りて写真撮影もできた。

ここからの写真が正にエル・グレコの「トレドの景観と地図」だった。

 

 

 

 

トレドと言ったらこの風景に決まってる。

自力でここまで来るにはバスかタクシーを利用しなければならないので、ソコトレンはオススメ。

せっかくならばソコトレンの「右側の席」が良い。

なぜならば、ソコトレンのコースは右回りだから、この席ならばずっとトレド旧市街を見ながら乗っていられるから。

 

せっかくのトレドも前に来たよりもガッカリなことが多かった。

でも、あまりにも有名な街だから人が集まるのはしょうがないのかもしれない。

この日はトレドに1泊し、翌日はアランフェスに行く予定を立てていた。

 

アランフェスについては以前書いた。

トレドと違って静かな街だった。 → アランフェス

 

 

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ポルトガル・リスボンからのデイトリップ

2021-02-23 07:00:00 | 海外旅行

ポルトガル、リスボンとコインブラを結ぶ間には素朴で魅力的な街がたくさんある。

リスボンからの距離は100~150km、日帰り旅行も可能なのだが、ポルトガルの交通事情を考えるとなかなか行きにくい。

そこで、リスボンからプライベートの日帰りツアーを利用して行ってみた。

コースは自由に組み立てることができたので、トマール、バターリャ、ナザレ、オビドスを巡ることにした。

途中にファティマがあるが、ここは以前にコインブラから路線バスで来て、観光したので、ファティマは除いた。

ファティマの記事 → ポルトガルの旅② ファティマ

 

リスボンから約2時間で「トマール」に着いた。

トマール(Tomar)にはポルトガル最大の修道院で世界遺産になっている「キリスト修道院」があり、そのふもとに小さな街が広がっている。

修道院の起源は12世紀、アルフォンソ1世がイスラム勢力との戦いに勝ったテンプル騎士団に与えた土地に、堅牢な城塞と聖堂を築いたことから。

それ以降、400年間もの間、増改築を繰り返したため、建築様式もその時代のものとなり、ロマネスク、ゴシック、ルネサンス、マヌエルなどの建築様式となり、それらが融合したポルトガル最大規模で、最古の修道院となった。

それ故に中世ポルトガルの建築様式のすべてを1ヶ所で見ることができる、非常に希少な場所となった。

 

早速、修道院の見学をした。

キリスト修道院は小高い丘の上に建っていたので、駐車場から坂道を上った。

 

[坂道を上ったところにある門]

上部にある鍵穴のようなものは狭間。

 

[城壁]

門を入ったところには城壁があった。

 

[円堂]

ロマネスク様式の円堂には鐘楼があり、外側は16角形になっている。

 

 

円堂の前の階段の上から振り返ってみたら、城壁に囲まれた中に広々とした庭園が広がっていた。

 

[南門のファサード]

円堂の隣にある門はゴシック様式かと思ったが、これがマヌエル様式らしい。

 

 

南門から入ってみた。

チケット売り場のすぐところにあったのが回廊で、下部はすべてアズレージョで装飾されていた。

 

[墓の回廊]

 

 

[沐浴の回廊]

かつては貯水池があり、修道士たちが沐浴や洗濯をしていたらしい。

 

 

 

[円堂内部]

外部は16角形だったが、内部は8角形になっていた。

天井が高いのはいつでも参戦できるように、騎馬で礼拝に参列出来るためらしい。

 

[テラスの大窓]

マヌエル様式なのだが、この様式はあまり知らなかった。

国王マヌエル1世時代に多かった建築様式で、当時は大航海時代だったので、船や鎖などの形を取り入れたものが多いということだった。

 

 

キリスト修道院を見て次はバターリャまで移動した。

距離は50kmほど、約1時間でバターリャの「サンタ・マリア修道院」に着いた。

この修道院も世界遺産に登録されている。

ゴシック様式とマヌエル様式の堂々とした建物だった。

 

[サンタ・マリア修道院]


この修道院は、カスティーリャ王国(現在のスペイン)から侵攻を受けた戦い(カスティーリャの戦い)での勝利を記念して建てられたもの。

規模は小さいが、存在感のある建物だった。

ここには建設途中屋根がない礼拝堂があるらしく、どうしてなのかその理由ははっきりしていないようだ。

この修道院は中には入らずに前でフォトタイムだけだった。

バターリャはここに世界遺産の修道院があるのが不思議なくらい小さい街で、特に他の見どころはなかった。

 

バターリャからは海沿いに出て、次に目指したのは「ナザレ」

ナザレは今まで訪問した街と違って、紺碧の海、赤煉瓦の街並みが美しいところだった。

最初に展望台に行き、街全体の様子を見た。

 

[展望台から見たナザレの街]

 

ここは漁師町なのだが、日本の漁師町と比べるとちょっとイメージが違う。

多分、ヨーロッパに多い赤煉瓦の街並みなので、それが紺碧の海に映えてリゾート地のような雰囲気になっているから、漁師町とは思えないのかもしれない。

この街には海岸線にある漁師町のプライア地区と、断崖の上のシティオ地区があり、シティオ地区には「ノッサ・セニョーラ・ダ・ナザレ教会」があった。

 

[ノッサ・セニョーラ・ダ・ナザレ教会]

 

バロック様式の教会で、教会の基礎の聖堂は14世紀に建てられ、他の建物は17世紀に建てられた。

この教会は旧約聖書をモチーフとしたアズレージョが見どころになっている。

 

 

[メモリア礼拝堂内部のアズレージョ]

光の具合で色がくすんでいるが、実際にはもっと青い色のタイルだった。

 

また、ナザレの海岸は世界的なビッグウェイブサーフィンスポットとしても知られているらしい。

 

ナザレの次はオビドスに向かったのだが、ガイドさんがその途中にあった「カルダシュ・ダ・ライニャ」という街に寄ってくれた。

この小さな街は「王妃の温泉」という意味で、レオノール王妃が硫黄の温泉がリュウマチに効能があることを知り、ここに鉱泉病院を設立した街。

この街はその温泉と陶器の産地で知られている。

鉱泉病院のそばで市場が開かれていた。

市場で買い物体験をさせてくれるのが目的だったようだ。

ガイドさんオススメの果物を買ったり、売り手とのやりとりが楽しかった。

 

[鉱泉病院]

 

[市場]

 

そして、最後の目的地「オビドス」へはほんの15分ほどで着いた。

オビドスは2度目となる。

最初に訪問した時のことを過去記事で書いた。 → 「オビドス」

 

オビドスの街を歩き、すべての日程を終え、リスボンに戻った。

 

 

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台湾周遊⑤ 高雄から台北へ

2021-02-16 07:00:00 | 海外旅行

ツアー最終日だった。

朝から高雄観光に出かけた。

前日に行けなかった「蓮池潭」へ。

ここは名前の通り、蓮の花が咲く人造湖で、その周辺一帯が公園になっている。

清朝時代に孔子廟が建てられ、その時に廟に面した池に蓮の花が植えられたのが由来らしい。

ここで最も有名な観光スポットが、虎と龍が出入口になった2つの塔、「龍虎塔」だがこれはそんなに古いものではないらしい。

多分観光客が多いので、観光用に後になってから造ったのだと思う。

湖の中に7階建ての2つの塔を建て、その間に短い橋を架けて、両方の出入り口に虎と龍をそれぞれ配し、観光客がその中へ入れるようになっていた。

中国風味満載で、テーマパークのアトラクションのようにも見える。

決まり事は龍の方から入り、虎から出る。

こうすれば幸運に恵まれ、悪運を避けられるとか。

 

 

龍の入り口から入ったら胴体部分はきらびやかな陶磁器で描かれた絵が壁いっぱいに飾られていた。

そのまま塔に上って全体像や付近の風景を見ることもできたが時間の関係で上らず、そのまま虎の出口から出てしまった。

龍と虎の口まで行く間の橋はここも「九曲橋」だった。

ジグザグと9回折れ曲がっていて、聞くところによると、悪魔は真っ直ぐしか歩けないので、橋を曲げてあると。

 

橋の手前にはきらびやかな建物があった。

保生大帝を祀った道教寺院「慈済宮」で、祀られている神様が医者なので、ここでは健康や病気からの快復を祈願するらしい。

 

[慈済宮]

[露天]

慈済宮の前には果物などを売っているお店が並んでいた。

果物まで色が鮮やかだった。

 

朝からきらびやかでゴテゴテした中国を思いっきり見せられて、疲れてしまいそうだった。

でも、池の中の蓮の花を見てホッとした。

良い悪いは別として、やはり日本人と根本的に違うと思った。

 

 

蓮池潭で30分ほど遊んでから台南へ移動した。

台南では2ヶ所の観光が予定されていた。

 

1ヶ所目が「赤崁樓 (せきかんろう)」

赤崁楼は台南で最も古い史跡で、1600年ごろの台湾がオランダの統治下にあった時のもの。

重税などに不満を持った台湾人がオランダ人を襲ったのだが、鎮圧されてしまい、数千人もの台湾人が亡くなったらしい。

こういった事件があったので、オランダ人たちは二度と攻撃されないよう、身を守るために頑丈な城、「赤崁楼」を建てた。

その当時の建物は全壊してしまったが、清朝時代に残った城の基礎の上に新しい建物の「海神廟」と「文昌閣」を建てた。

現在はそれが「赤崁楼」となっている。

 

 

 

門を入るとすぐに見えてきた、台湾の英雄、鄭成功と家臣の像。

鄭成功はオランダ支配から台湾を解放に導いた民族的英雄。

 

 

石碑の台になっている亀に似ているのは、贔屭(ひき)と呼ばれる中国の伝説の生き物。

 

台南での見学2ヶ所目は「延平郡王祠」

民族の英雄、鄭成功を祀ってある祠で、日本統治時代は開山神社という名の神社だったらしい。

 

[延平郡王祠]

ここで鄭成功の母親が日本人だったと知った。

 


「鄭成功」のこと

中国人海商で平戸を根拠地として活動した鄭芝龍(ていしりゅう)を父に、平戸川内の田川マツを母に1624年7月14日平戸で生まれました。

幼名を福松、中国名を鄭森と言います。

鄭成功は、わずか7歳で単身海を渡り、21歳の時、明の隆武帝より明王朝の国姓「朱」を賜ったことから、人々は彼を「国姓爺」と呼びました。

後に清朝との戦いの中、父芝龍が清に投降しますが、鄭成功は「抗清復明」の旗印を揚げ不利な戦いを続ける中で、台湾に進攻し占拠中のオランダ人を追放しました。

その後、政府を設置し法律を定め、開拓を行い、民を養い大いに時運の挽回を図りますが、ついに病のために1662年39歳で亡くなりました。

長崎県平戸「鄭成功記念館」HPより

 


延平郡王祠の後は途中に1ヶ所だけ寄り、後は直行で台北へ向かった。

寄った場所が「嘉義北回帰線標誌」

台湾には、台湾海峡側にある嘉義市と太平洋側の花蓮県静浦を横断するように北回帰線(北緯23.5度)が横切っている。

それで北回帰線が通過している主な自治体はそれぞれが北回帰線標誌を建てている。

嘉義にある「嘉義北回帰線標誌」もそのうちの一つで、ここには歴代の北回帰線標誌が展示されていた。

地球の太陽に対する傾きは一定でなく、少しずつずれているために北回帰線を表す標柱がいくつか建てられたようで、6代目まであるらしい。

1~5代目までは日本統治時代に作られて、戦後作られたのは6代目だけだとか。

 


 

毎年夏至になると太陽が北回帰線上に直射するので、正午には影がなくなる現象も見られるらしい。

そして、この北回帰線を境に北側は亜熱帯、南側は熱帯の気候になるとのことだった。

 

これですべての観光地は見終わった。

あとはところどころで休憩をとりながら、台北に戻るだけだった。

 

今回のツアーのガイドさんは話し好きの人らしく、バスの中でも色々なことを話してくれた。

台湾人が尊敬している日本人技師の八田與一(はったよいち)のこと。

彼は台南市に烏山頭(うさんとう)ダムを建設したのでダム周辺は台湾最大の穀倉地帯になっていて、今では台湾の教科書に載るほどの人だとか。

台湾では○○のお店のパイナップルケーキが美味しいとか、飲茶なら○○店などがオススメだとか。

せっかくオススメしてくれたので、台北に戻ってからすぐにそのお店にパイナップルケーキを買いに行って食べてみた。

でも、やっぱり日本のケーキには勝てないと思った。

 

こうして台湾周遊の旅は終わった。

 

「台北で見かけた花」

歩いていて普通に見かけた花は、鮮やかな花が多かった。

 

[モクセンナ]

 

[オオベニゴウカン]

 

名前は分からないが、ノウゼンカズラに似ていて、葉が大きい。

 

 

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台湾の旅④ 花蓮から高雄へ

2021-02-15 07:00:00 | 海外旅行

朝、「統帥大飯店」を出てから、海沿いを走り、最初に寄ったのが「八仙洞」

ここは旧石器時代の遺跡として観光名所になっている。

台湾最古の遺跡で、自然に形成された海蝕洞窟。

この辺りの海に面した岸壁には他にもたくさんの洞窟があるらしい。

 

 

 

行った当時はその中でも特に規模の大きい洞窟が、霊巌寺という寺院になっていて、中に入ると読経が流れ、観音様や仏像がたくさん並んでいた。

ところが現在は寺院が撤去されて、旧石器時代の遺跡の姿を取り戻しているらしい。

この場所は世界遺産登録を目指しているらしいから、手を加えずに、自然のまま登録したいのかも。

 

[クラリンドウ]

洞窟の入り口に咲いていた。

 

近くの観光案内所の前では観光客相手に「アミ族」の人たちが伝統の踊りなどを披露していたり、一緒に写真を撮ったりしていた。

「アミ族」は台湾東部地区に住んでいた原住民だとか。

 

 

 

八仙洞のから海沿いを走り、次の見学地の「三仙台」に着いた。

三仙台は元々は細長く伸びている岬だったのだが海水に侵食され続け、一部が島となって残った場所。

その島に行くためにアーチ型の橋を造り、その橋の姿が美しいとされている景勝地。

ちなみに三仙というのは、中国の伝説の仙人(呂洞賓、李鐵拐、何仙姑)の名前で、この三人の仙人が訪れたことのあるということで「三仙台」と名付けられたらしい。

ここでは島には渡らずに、橋のたもとからその景色を眺めただけだった。

 

 

 

橋の向こうはどうなっているのかと聞いてみたら、2時間ほどで周遊できる歩道があることはあるが、整備されているのは途中までで、島には希少な動物やサンゴなどがあり、自然保護区になっているとのことだった。

 

[三仙台で咲いていた花]

 

そのままずっと海沿いを臺東市まで走り、臺東から高雄までは電車に乗り換えた。

3時間ほどの鉄道の旅だった。

ガイドさんのあとに着いていくだけだったから、電車に乗るのも楽だった。

 

高雄に着いたらマイクロバスが待っていて、すぐに観光の定番となっている「寿山公園」へ。

この公園は広くて動物園などもあるが、行ったのは国民革命で命を落とした兵士たちを祀ってある忠烈祠。

中国の宮殿のような建物だった。

 

 

 

忠烈祠は高台にあるため、高雄市内が一望できたのだが、天気は良いのに何となく霞んでいるようだった。

 

[高雄港]

 

[高雄の街並み]

 

高雄では「清澄湖」へも行った。

清澄湖はもともとは工業用貯水池として造られたられた人造湖だったが、市民の憩いの場として開放した広大な湖。

中国杭州の西湖をモデルにしているため「台湾の西湖」と呼ばれている。

 

 

[九曲橋]

中国庭園によく見られる橋で、ジグザグと九回折れ曲がり、九という数字に魔除けの意味があるらしい。

 

高雄での1日目はこれで終わり、ホテルへ向かった時は夕方になっていた。

ホテルは「BEST HOTEL」、漢字では「大多飯店」と書く。

漢字に直すと面白い。

翌日は午前中だけ高雄を観光してから台南へ移動する予定。

 

 

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台湾周遊③ 台中から花蓮へ

2021-02-14 07:00:00 | 海外旅行

台湾3日目は周遊ツアーに参加した。

ツアーの係員がホテルまで迎えに来てくれ、マイクロバスでの移動だった。

最初に台中市にある「宝覚禅寺」まで約2時間半。

台中にはあまり見どころはないようで、宝覚禅寺だけ見た。

ここは金色の大仏様があることで有名なお寺。

 

[宝覚禅寺]

 

[大悲講堂と友愛鐘楼]

 

日本のお寺とはちょっとイメージが違っていた。

木造の日本式のお寺を、大きな建物で覆ってあった。

そして道路からも見えた大仏様。

 

 

大仏というか七福神の大黒様や布袋様を大きくしたような感じだった。

顔がにこやかで、思わずこちらも微笑んでしまいそうだった。

このお寺の境内には台湾人の住職が建てた、戦死した日本人の慰霊塔があった。

説明によると、今でも現地に住んでいる日本人が管理しているとか。

 

次は台中から日月潭(ユーリエタン)へ。

「日月潭」は、台湾の3大観光地の1つにもなっていて、台湾最大の淡水湖。

標高が750mほどの場所にあり、高原のリゾート地としても有名な場所になっている。

この湖は、朝夕に霧が立ちこめることがあり、日の出のころが一番美しいとされている。

そして景色の美しさはもよとり、陽の具合で水の色が変わって、紺碧になったり翡翠色になったりするらしい。

ガイドさんによると、湖の西側に拉魯島が浮かんでいて、島の東側が太陽、西側が三日月の形にみえることから日月潭と呼ばれるようになったと。

 

 

 

この湖の北側には「文武廟」があった。

学問の神、孔子と武の神、関羽、岳飛を祀っている廟で、三殿に分かれていて、各殿の門扉の極彩色の絵、オレンジ色の屋根、赤い柱などは中国的な豪華さを感じた。

 

[文武廟入り口]

 

[文武廟から見た日月潭]

 

[文武廟の屋根と日月潭]

 

[文武廟内部・関羽と岳飛]

 

関羽(赤い顔)は台湾の他の廟でもよく見かけた。

関羽は武人でありながら算盤を発明したと言われていて、商売の神様にもなっているらしい。

 

この後はタロコ(太魯閣)渓谷に向かうのだが、途中の道路沿いに面白いものを見つけた。

ところどころ、道路の両側に明るいネオンで飾られた小屋があった。

例えると、昔流行ったトラック野郎の電飾でギラギラしたトラックのような感じの小屋といったイメージを思い浮かべるといいかも。

ガイドさんに聞いてみると台湾の「ビンロウ販売所」で、この辺りや台湾南部の道路ではよく見られるらしい。

ビンロウとは?

漢字では「檳榔」と書き、ヤシ科の植物。

ビンロウの実は悪魔の実といわれていて、麻薬のような効果があるので、眠気覚ましになるらしく、主に長距離の運転手さんたちが買うらしい。

噛んでいるうちに口の中が真っ赤になるのが縁起がいいとか金運がいいとか言われている。

特に違法でもないようで、台湾では普通に売られている。

台湾の街を歩いていると、道路が汚れているのを時々見かけた。

これはビンロウを噛んだ時に出る水分を吐き出した汚れだとか。

それよりもその販売所ではきれいなお姉さんが店番をしていると聞いたのだが・・・

何となく、秋田県の山の方をドライブしているときによく見るババヘラアイス売りと、被ってしまった。

 

そして「タロコ渓谷」

ここは台湾の原住民「太魯閣族(Taroko Tribe)」が住んでいたところで、大理石でできた切り立った岩盤と川の流れが美しい大渓谷。

ここでは遊歩道を歩いたり、景色の良い場所ではバスを止め、写真タイムなどがあった。

 

 

 

 

 

 

 

[長春祠]

タロコ渓谷を通る道路は花連と台中を結んでいて、工事中に亡くなった人たちの慰霊のための廟。

 

 

 

[燕子口]

覆い被さった大理石でできたトンネルのような場所を歩いている時に見えた。

大理石の絶壁にいくつか穴があいていて、その中に燕が住んでいるらしい。

「燕子口歩道」と名が付いていた。

 

 

このエリアは雨が降った翌日などは、落石が発生するらしく、ヘルメットの無料貸し出し所もあった。

2017年9月には日本人が落石事故にあったと聞いた。

 

 

この日の観光は終わり、花蓮のホテルに入った。

 

[統帥大飯店]

このホテル、英語では「MARSHAL HOTEL」。

MARSHAL------「保安官、司令官、元帥」という意味らしい。

 

 

 

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