映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

矢沢永吉 紅白歌合戦にびっくり!

2009-12-31 23:25:50 | 矢沢永吉
これは本当に驚いた。知らなかった。

妻のつくった年越しそば食べるために風呂から出てきて、嵐が歌っていた。
その後嵐にインタビューしていた司会の中居が突然ストップをかける。

そうしたら、なんと矢沢永吉が出てくるじゃないか!え!本当!
スタディオの外から颯爽と現れる矢沢

そうすると「時間よ止まれ」のイントロが!
夢のようだが、矢沢が歌いだした。でもコンサートで歌っていない曲だから歌詞がでたらめ。画面のテロップの歌詞もすぐ引っ込んだ。でもいいじゃないか矢沢!
「コバルトの空」はいつも通りなので手馴れたもの。
こっちの方が良いや!

コンサートの迫力に比較すると、本気モードではない。矢沢ファンノリノリの曲ではなかったけど、還暦の今年に60回の紅白にこうして姿を現すことに意義がある。

司会の中居が「ご無沙汰です」と語りかけ、審査員の原監督が「パワーをもらった」なんて矢沢ファンがいつも話す言葉を語っていた。それはそれでいいんじゃないか!

矢沢ありがとう!21日の武道館に続いて土壇場でまた会えるなんて!
来年はきっと良い年だ。
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今年見た映画(2009)

2009-12-31 21:57:12 | 映画 ベスト
今日はさいたまにもひょうが降った。
外へも出ず紅白歌合戦を見ている。結局今年1年で254作を観て終了した。
昨年よりも70減だが、これは予定通りで仕方ない。

初めて観た映画で印象に特に残ったのは
2008年作品で
1.その土曜日、7時58分
2.ダークナイト
3.イントゥ ザ ワイルド
2008年はこうして考えると最近にない傑作ぞろいだと思う。
(ノーカントリーやラストコーション、ゼアウィルビーブラッドも当然いいので)

2009年作品ではやっぱりスラムドックミリオネアかな?
イーストウッドの2作はもちろんよかった。

昔の作品の初めてので出来の良さにしびれたのは
1.いつか読書する日(日本映画)
2.バグダッド・カフェ
3.ヒストリー・オブ・バイオレンス
4.春夏秋冬そして春(韓国映画)
5.リバーランズスルーイット
6.ザ・プレイヤー
7.乱れる(日本映画)
8.近松物語(日本映画)
9.マンデラの名もなき看守
10.墨東奇譚(日本映画)

来年も250を目標にしたい。
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年末あたふた2

2009-12-31 12:06:18 | 家族
30日は品川の家に向かった。

さいたまから東京への高速道路はほとんど渋滞なく進んだ。
朝いちばんで妹と高輪のお墓に向かった。年末ということで、墓地には花が並んでおり、墓参りに来ている人も多かった。たわしで丹念に墓石を拭いた。仕事的には決して良い年ではなかったが、健康に過ごせたことを祖父、祖母と父母に感謝した。

家に戻って近くの商店街を歩いた。地元なのでいろんな人間に出会う。お世話になっているおばさんたちや幼稚園から中学の同級生でまだ幼稚園の子供がいる男などと会った。年末の準備でみんなあわただしくしている。妹と一緒に近くの中華で昼食を食べた。その後は電車で夕方まで出歩いた。金庫の中をみて、未整理の証券の処理があり、営業最終日のためとある金融機関に入った。非常に親切な対応に心の中から感謝した。
それから秋葉原に向かった。ヨドバシカメラに入った。さいたまもかなり電気量販店があるが、品数の豊富さではこの店にはかなわない。一昔前のデパートのように重宝するお店である。じっくり見るつもりがなくても時間がつぶせる。
夕食は妹に牡蠣鍋を作ってもらって食べた。母のレシピが残っていて、それを元に妹が作った。最初は外食でとも言ったが、妹に作ってもらってよかった。

あとは金庫、家財の再整理をした。
普通の人なら誰でも知っている有名なタレントの母上からもらった指輪をむかし母が妻に見せたことがあり、妻にそれを探してくれと言われていた。しかし、母が亡くなって一年たってもどこにあるのかわからなかった。
それが昨日なぜか金庫の奥から見つかった。こんな袋あったっけと思う袋が出てきた。黒い袋だったのでわからなかったのかもしれない。その中からティッシュにくるんでいる水晶の指輪が3つ出てきた。ある有名人の母上がお金を貸してくれと母に言ったらしい。その指輪を元手にお金かしたそうな?母は妻にどうせ単なるガラス玉だろと言ってらしいが、妻は10年以上気になっていたそうだ。

あまりに有名な方なのでここでは名前は言えない。母が若いころ勤めた会社の先輩が有名人の母親の親友にあたる。有名人だけあって苦しいときもあったのであろう。でもその後有名人の母親も本が飛ぶように売れたことがあった。その中には母の先輩の名前も出てくる。羽振りがよくなり、父も仕事をもらうこともあった。そういえば、まだ小学校入学間もないころその有名人の弟に会ったこともあった。伊豆に別荘を買おうと家族でいったことがある。そのときに伊豆高原で有名人の母親と息子にあった。なぜか弟は自分と同世代であった。

これはと思い家に持って帰ったら、これだ!と言って妻は感動していた。29日に清正井戸に行って、その近くに行っただけでパワーをもらったせいだと言い続けていた。そう言われてみると、高輪の寺のすぐそばに清正公の寺がある。これは加藤清正に由来するものと聞いている。小さいころから祖母につれられてよく行ったものだ。寺に行くには国道一号で明治学院の前を通って清正公の前を通る。30日にもう一つパワーをもらったのか?そういえば今夏に名古屋城で清正が動かしたという伝説の岩を見ていたことにも気づいた。トラ退治で有名な清正は、寅年の来年かなり関わりがあるのかも?
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年末あたふた1

2009-12-31 07:52:40 | 家族
27日から休みに入った。
二日酔いでゆっくり目覚めた27日、午後はディスカウントスーパーのロヂャースで買い物だ。東京に比べて埼玉が住みやすいのはこういう安売りスーパーがあるということだ。品川の家のそばにも大勢人の入るスーパーオーゼキがあるけど、値段は比較にならない。

28日は娘と本屋を回った。その時会社の部下から電話が入った。なんとバイトの女性が亡くなったとのこと。本当に驚いた。25日までは普通に働いていただいたのだから。29日通夜とのことで、朝から品川の家に行くのは一日延期にした。あとは娘に北辰テストの国語の問題の過去問をやらせた。3年次の模擬テストであっても、国語であれば何とかなると思った。先日の模擬テストでは英語が偏差値72でよかったが、国語が50台の偏差値であった。これまでそういうことはなかったが、未知の問題への演習が足りないからだと思った。

29日は通夜があるので背広を着て、妻と娘と東京に出た。目標は明治神宮の清正井戸だ。それが終わってから通夜に行くことにした。原宿で食事をするとなると、かなりの混雑が予想されるので、途中池袋で降りた。
池袋では東武のレストランがいろいろ選択できる。娘が中華が良いというので「四川飯店」に行くことにした。料理の鉄人陳建一の店である。ランチがあり、メインが2品選択でき、ふかひれスープにバンバンジーサラダ、デザートがつく。エビチリの日本での開祖が陳建一氏の父親であることは有名だ。久しぶりに入ったが、量がそれなりにあった。エビチリの海老がぷりぷりでおいしい。海老が意外に大きかった。マーボー豆腐は当然四川風、最近四川風マーボーを食べさせる店も増えたが、やはりここのマーボーは違う。辛口ではあるが、食べづらくない。本当においしい。ご飯お代わりも無料。2400円也は超お得だと思う。横にオバサンたちが来て、辛くないマーボーと注文していた。それなら四川料理屋に入るなよと言ってやりたくなった。

そのあと明治神宮に向かった。年末なのに思ったよりも人がいた。外人が目立った。アジア系の人だけでなく、欧米人も多い。比率にすると日本人2対外人1の比率くらいになるのではないか?清正井戸の存在は長年東京にいる自分も知らなかった。戦国時代の武将加藤清正がつくった井戸で、東京で一番のパワースポットとのこと。先週テレビでそのパワーぶりをやったらしい。妻が行きたがっていた。管理のために入場料をとっている。正月になると人が多くて絶対に無理だと思っていったが、入り口で3時間近く待つよと言われた。本当かな?と思い500円払って中に入って行ったが、ものすごい行列だった。しばらく並んだけれど、夜の通夜もあるし、子供も面倒そうなのでやめた。近くの空気を吸うだけでも良いと妻は言っていたので、思い切り深呼吸をした。

境内で参拝をした後、原宿の街を歩いた。娘は初めてだ。混んでいるのはわかっているけれど竹下通りを歩いた。中二の娘と同世代の女の子もたくさんいた。小さいお店はどこも大繁盛のようだ。行列のできている店もたくさんあった。そのまま進んで行き、明治通りを過ぎたところにある知人の家がどうなっているのか見に行った。その昔たいへんお世話になった方だ。2年前現地へ行ったときも人がごったかえしている印象だった。転居されたと言うことは昨年の正月年賀状で知った。環境が悪くなりすぎたと言っていた。そうして、家に向かったら、更地になっていた。驚いた。売ってしまったのかな?明日になったら年賀状が届くので様子がわかるかもしれない。原宿はもはや戸建で人が住むところではないのかもしれない。

原宿を軽く徘徊した後、和光市での通夜に向かった。マンションに住んでいて、その集会所で葬儀をやるらしい。ご主人がいらっしゃらないようなので、息子さんが喪主。比較的簡素な通夜であった。それにしても人の生涯はあっけない。58歳とはまだ若すぎる生涯である。脳卒中との話。残された家族は悲しいと思う。
その後駅で軽く御清めをした後、北浦和で軽く飲んだ。
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