★ またべつの女たち、今の女よりも年上の女たちは、かまどがたった三個の黒ずんだ石なのがおかしくて笑っていた。ジャバル・フセイン(アンマン)で、女たちは笑いながら、このかまどを「私らの家」と呼んでいた。何という子供らしい声で、にこやかに「ダールナ」と言って、三つの石を、時には火の付いた燠を見せてくれたことだろう。この年老いた女たちはパレスチナの革命にも抵抗運動にも属していなかった。この女たちはもう希望することを止めた陽気さだった。その頭上を太陽は孤を描き続けていた。腕や指を伸ばすと、つねにいっそう細っそりした影が得られた。だがどこの土地の上にだろう。ヨルダン。これがフランス、イギリス、トルコ、アメリカが決めた行政・政治上のフィクションの行きついた先だった・・・・・・。「もう希望することを止めた陽気さ」、最も深い絶望のゆえに、それは最高の喜びにあふれていた。この女たちの目は今も見ているのだ、十六の時にはもう存在していなかったパレスチナを。
★ とはいえこの女たちにも、結局のところ一つの大地はあった。その下にでも上にでもなく、そこではちょっと動いても間違いになるような不安な空間のなかに女たちはいた。この上なく優雅な、八十過ぎのこの悲劇女優たちの、裸足の足の下の地面は堅固だっただろうか。次第にそうは言えなくなっていた。イスラエルの脅威の下をヘブロンから逃れてきた時にはここの地面はしっかりしているように思え、誰もが身軽になり、アラビア語のなかを官能的に動き回ったものだ。時が経つにつれてこの地面は感じるようになったらしい、元は農民だったパレスチナ人が動きというものを、歩き方、走り方、トランプのようにほとんど毎日配り直されるさまざまな思想のゲーム、武器の組み立て・分解・使用法を発見していくと同時に、パレスチナ人は次第に支えにくく、耐え難くなるということを。女たちは一人ずつ、かわるがわる発言する。彼女たちは笑っている。その一人の発言から一言報告しよう。
「英雄だと!冗談じゃない。私がこしらえて尻ひっぱたいてやったのが山に五、六人はおる。私さ、連中の尻拭いてやったのは。あの子らがどれほどのものかはよう分かっとる。それにあんなものならまだ作れるわ」
★ 相変わらず青い空を太陽はその曲線をたどり終えた。だがまだ暑い。この悲劇女優たちは記憶を探りつつ想像をめぐらす。表現力を増すために総合文の終わりに人差し指を突き立て、強調子音にアクセントを置く。ヨルダンの兵士が通りかかったら踊り上がることだろう、この文のリズムにベドウィンの舞踏のリズムを聞きとって。問答無用で、イスラエルの兵士なら、この女神たちを見るなり、頭蓋めがけて機銃掃射を浴びせるだろう。
<ジャン・ジュネ『シャティーラの四時間』(インスクリプト2010)>