Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

“この最後のページは透明である”

2013-05-21 19:50:40 | 日記

★ ジュネの政治への関与は、いわゆる政治活動とは異なったものである。彼はときどき集会やラジオで話し、断片的な文章を書くだけで、大部分の時間はパレスチナの人々と寝泊りをともにして、彼らの傍らで過ごすのである。彼はパレスチナ人とあの「同一性」だけでコミュニケーションをおこなおうとしていた。したがって、パレスチナ人でも自分のアイデンティティを疑おうともせず、自らの領土を所有することを主張する人に対しては激しい非難の言葉を浴びせかけた。また彼はパレスチナ人が土地を所有するとき自分はもうここにはいない、と彼らにあからさまな拒否の姿勢さえ向けている。そして彼は、パレスチナ人と過ごした経験をもとに、彼の最後の小説である『恋する虜』を書いている。

★ この書物は回想録と銘打たれているが、一つの政治的ルポルタージュであり、時代の証言であり、また詩的イメージに溢れた小説である。『恋する虜』には、その隅々に境界に関する考察が書き留められている。例えば冒頭において、「始めは白かったページが、いま、上から下まで、こまかな黒い記号によって走り抜けられている。文字、言葉、コンマ、感嘆符などで、このページが読みうるとされるのは、これらのおかげだ。とはいうものの、心の中には一種の不安が残り、吐き気に近いあのむかつきがあり、書くことをためらわせる気持ちの揺れがある・・・・・・現実はこの黒い記号の総体なのだろうか?」と彼は問いかける。彼は言葉の持つ同一化作用が、すでに白い紙に対する暴力だと考えている。また一方で、紙の余白の白も別の形で暴力になりうるとも言う。

★ 『恋する虜』はこのような言葉とその余白の白、また自己と他者の境界を巡る戦いの記録である。書くこと自体、すでに境界を生みだすが、その境界は領土を形成し、他の領土に対して排他的に作用する。この力学から逃れる言語はありうるだろうか。『恋する虜』はその問いに対する応答であり、あの「同一性」に基づくコミュニケーションと同じものを、言語によって可能にしようとする試みだとも言える。そしてこの書物は、「私の本のこの最後のページは透明である」という言葉で終っている。

★ 『恋する虜』は20世紀に人類が抱えた「症状」であるパレスチナ問題に対して、言語と境界という論点から思考された、一つの優れた「治療法」を提示していると言うことができる。ジュネという自己は生涯にわたって、セクシュアリティの発達においては幼児的な倒錯(第二章の論議に倣えば、これは「多形」と呼ぶのが正しい)にとどまり、また一般的な意味での「成熟」とは無関係に生きていた。その彼こそが、今日においても解消困難なままであり続ける、人間同士が作り上げた現実について、誰よりも深い地点から見ることができたのである。

★ この書物の二回目の校正中にジュネはパリの安ホテルの風呂場で全裸で、文字通り何も所有せず、いかなるアイデンティティも持たずに死亡する。ジュネの死亡後、パレスチナではさまざまな交渉がなされるが、結局、その15年後にイスラエル当局が取った方法は、パレスチナに分離壁を作ることであった。このように壁を作ることによって問題を処理する振る舞いこそ、ジュネが生涯、拒絶し続けてきたことである。こうした問題の処理の仕方は、巨視的なレベルにおいても、また私たちの日常のレベルでもさまざまに形を変えておこなわれているが、このように生、そして経験を矮小なものに変えてしまう思考にこそ、私たちは徹底的に抗していかなくてはならないのである。

<十川幸司『来るべき精神分析のプログラム』(講談社選書メチエ2008)>







難民

2013-05-20 13:23:32 | 日記

★ 「難民」が、祖国を喪失した者のことなら、ルティさんはまぎれもなく難民なのだ。わたしがあのとき分かっていなかったのは、そのことだ。たとえフランス語を母語とし、フランス国籍を持っていようと、あるいは、ユダヤ人である彼女をいつでも国民として迎える準備のある国があろうと、彼女は難民であるのだ。イスラエルのナショナリズムの共犯者たることを拒否してパレスチナ人とともに「パレスチナ」という<出来事>の記憶を分有しようとしたときから。

★ 「難民」――<出来事>をナショナルな歴史/物語として、決して領有しない者たち。人間が<出来事>を領有するのではなく、<出来事>が人間を領有する、そのような<出来事>を生きる者たち。<出来事>の記憶を「物語」として領有するのではなく、<出来事>として分有するのは、この、難民的生を生きる者たちだけだ。<出来事>の記憶の分有の可能性とは、私たちが「難民」に生成すること、難民的生を生きることのなかにある。

★ まず、「難民」になること――このような出来事のすべてが起きてはいけないところとしての祖国、未だ実現されざる祖国への帰還を他者とともに夢みる難民に。

<岡 真理『記憶/物語』(岩波・思考のフロンティア2000)>







パレーシアとレトリック

2013-05-18 12:38:08 | 日記

★ まずは、古典古代の文化の内部で、パレーシアとパレーシアならざるものとの区別を付けておこう。フーコーがパレーシアと鋭く対立する実践と見なしているのは、「レトリック」である。パレーシアとは、端的に言えば、「真理を語ること」である。それに対して、レトリックの眼目は、「うまく語ること」にある。

★ パレーシアとレトリックの対照を際立たせるためには、それらの社会参加の在り方を比較するのがよい。

★ 第一に、パレーシアは、真理を語ることである。レトリックにおいては、語られたことが真理かどうかは二義的で、最も重要なことは語り方である。それに対して、パレーシアは、真/偽の分割を本源的なものとして前提にしている。パレーシアとは、ある事柄を率直に、そして明快に、いかなるごまかしや虚飾も抜きに語ることなのである。

★ 第二に、パレーシアという語り方は、個人的で内的な確信を言表することである。自分がまぎれもなく信じていることを語らなければならないのだ。それに対して、レトリックにおいて肝心なのは、自分が信じているかではなく、相手を信じさせること、つまりは説得することである。パレーシアとレトリックの対照は、語る者が信じているのか、語られる者が信じている(ことになる)のかの差異である。

★ 第三に、パレーシアは、しばしば危険にさらされる語りであり、その危険を引き受ける勇気を必要としている。パレーシアが危険なのは、真理は、しばしば他者の感情を傷つけるからである。それゆえ、真理を語ることは、他者の怒りや憎悪といった、他者からの否定的で攻撃的な反撃を引き起こす。それに対して、レトリックにおいては、他者に追従すること、他者の肯定的な反応を利用することが重要である。

<大澤真幸『生権力の思想』(ちくま新書2013)>






女たち;“私らの家”

2013-05-17 13:42:44 | 日記

★ またべつの女たち、今の女よりも年上の女たちは、かまどがたった三個の黒ずんだ石なのがおかしくて笑っていた。ジャバル・フセイン(アンマン)で、女たちは笑いながら、このかまどを「私らの家」と呼んでいた。何という子供らしい声で、にこやかに「ダールナ」と言って、三つの石を、時には火の付いた燠を見せてくれたことだろう。この年老いた女たちはパレスチナの革命にも抵抗運動にも属していなかった。この女たちはもう希望することを止めた陽気さだった。その頭上を太陽は孤を描き続けていた。腕や指を伸ばすと、つねにいっそう細っそりした影が得られた。だがどこの土地の上にだろう。ヨルダン。これがフランス、イギリス、トルコ、アメリカが決めた行政・政治上のフィクションの行きついた先だった・・・・・・。「もう希望することを止めた陽気さ」、最も深い絶望のゆえに、それは最高の喜びにあふれていた。この女たちの目は今も見ているのだ、十六の時にはもう存在していなかったパレスチナを。

★ とはいえこの女たちにも、結局のところ一つの大地はあった。その下にでも上にでもなく、そこではちょっと動いても間違いになるような不安な空間のなかに女たちはいた。この上なく優雅な、八十過ぎのこの悲劇女優たちの、裸足の足の下の地面は堅固だっただろうか。次第にそうは言えなくなっていた。イスラエルの脅威の下をヘブロンから逃れてきた時にはここの地面はしっかりしているように思え、誰もが身軽になり、アラビア語のなかを官能的に動き回ったものだ。時が経つにつれてこの地面は感じるようになったらしい、元は農民だったパレスチナ人が動きというものを、歩き方、走り方、トランプのようにほとんど毎日配り直されるさまざまな思想のゲーム、武器の組み立て・分解・使用法を発見していくと同時に、パレスチナ人は次第に支えにくく、耐え難くなるということを。女たちは一人ずつ、かわるがわる発言する。彼女たちは笑っている。その一人の発言から一言報告しよう。
「英雄だと!冗談じゃない。私がこしらえて尻ひっぱたいてやったのが山に五、六人はおる。私さ、連中の尻拭いてやったのは。あの子らがどれほどのものかはよう分かっとる。それにあんなものならまだ作れるわ」

★ 相変わらず青い空を太陽はその曲線をたどり終えた。だがまだ暑い。この悲劇女優たちは記憶を探りつつ想像をめぐらす。表現力を増すために総合文の終わりに人差し指を突き立て、強調子音にアクセントを置く。ヨルダンの兵士が通りかかったら踊り上がることだろう、この文のリズムにベドウィンの舞踏のリズムを聞きとって。問答無用で、イスラエルの兵士なら、この女神たちを見るなり、頭蓋めがけて機銃掃射を浴びせるだろう。

<ジャン・ジュネ『シャティーラの四時間』(インスクリプト2010)>







2013-05-17 12:41:43 | 日記

★ 仲間は高校時代から、十津川村瀞で医者をしていた死んだ父親の遺産を手に入れ、一軒家に住み、本を大量に買い込み、レコードを買っていた。私はうらやましくてしょうがなかったのだった。今から思えば不思議な話であるが、私の居た土建業を営む義父の家では、本などなかったのである。貧乏で買えなかったのではなく、本を買うに足りる金、レコードを買うに足りる金を親に言えばくれもしたが、言い出せなかったし、また人が本を読む、人が音楽を聴くという習慣などその家にはなかった。本を読む、音楽を聴くとは衰弱した無用の者のやる事だ、という頭が、私の親にはあった。その時は、うらんだ。親らの無神経を、俗物性を、憎んだ。

★ その「水の行」の事件を聴いた時、思い出したのは、そのうらみ、憎しみである。血と血が重なり、腹と腹がこすれ合うここで、私が生活し続けていたら、私こそ、そのようにやっていただろうと思うのである。

★ 「水の行」とは、なにかの新興宗教に入っていた女が、男と。男の母、弟、妹を巻き込み、食う物も食わず、水を飲み、穢れを追い出す、と体をほうきやものさしでぶちあったという宗教にからんだ事件だった。妹が死んだ。

★ その事件を知ったのはもう三年にもなるが、私は、事件の当事者である女と、男を知っていた。女も男も、私と同年であり、女とは中学の時に同じクラスにいたこともある。男は文学仲間の家でよく会ったのだった。その新宮で起こった「水の行」は、さまざまな事を想起させる。言ってみれば、まちのどこを掘っても角のとれた丸い石しか出てこないという新宮でしか、起こらなかった出来事である。文学論風に言えば、性と宗教と暴力、それがことごとく包含されていると、思う。

★ 新宮は水の上にある土地である。そこで水よりも濃く、重く、ぬくもりのある血を持った人間が、四方を、山と川と海に囲まれ、生活している。夜、寝静まったこの土地に、海鳴りがする。その鳴りつづける水、あふれる水の方にではなく、“穢れ”は澱のように、草と木でつくった折りたたみできるような家の暗がりの中で、血のつまった体を持った人間の方に降りつもる。

★ 「水の行」の事件は、この土地の誰にでも起こることだ。そう思った。この「水の行」を、例えばこの紀伊半島を経巡る旅の途中で行き会うだろう差別、被差別という言葉に置き換えてみると、この「水の行」の事件は、新宮という土地のみならず、紀伊半島という半島の象徴にもなる気がする。いや、日本という国の象徴でもある。そのKという女性を知っていたからかもしれないが、穢れている、と人を打ちすえる者を差別者とするなら、差別者は美しい、と思う。この日本において、差別とは美意識の事でもあったはずだった。

<中上健次『紀州 木の国・根の国物語』(小学館文庫・中上健次選集3)1999>







ひとつの飛躍

2013-05-15 15:00:56 | 日記

★ さて、原的な否定性が導入されたとき、自然から文化への超越が果される。なぜか?原的な否定性のもとで、はじめて固有の意味での<選択>ということが、したがって<責任(の帰属)>ということが可能になるからである。そして、選択――語の最も限定された意味における選択――の<主体>と見なしうるところに、自然生態系の自余の諸事物に対する人間の超越性の根拠があるからである。

★ レヴィ=ストロースは、近親相姦の禁止に原的な否定性の純粋な形態を見出した。これは、優れた着眼である。動物の「近親相姦の回避」と人間の「近親相姦の禁止」とは、行動の外形からすれば、よく似ている。しかし、前者には、ここで述べたような意味での選択性は宿っていない――少なくともきわめて希薄である。しかし、後者には、選択としての性格が孕まれる。同じ外観をもった行動の中で、ひとつの飛躍が生じているのだ。ここに、動物と人間を分かちかつ繋げる蝶番を見出すのは、きわめて適切な判断である。しかし、繰り返せば、重要なのは、禁止されている内容(近親相姦)ではない。禁止の形式である。

★ 言語を習得するということは、まずは、原的な否定性を構成するような社会的な関係に入ること、つまり原的な否定性を帯びた命令を発する他者の権威を受け入れ、まさにその命令に(禁止や宣言としての)効力をあらしめることである。名前・言語を可能なものにしているのは、原的な否定性を構成する社会的な関係性である。

★ したがって、われわれの探究の焦点には、<原的な否定性>がある。原的な否定性が成立したとき、動物的な水準から人間的水準への移行が成し遂げられるだろう。原的な否定性は、いかにして可能か?原的な否定性を可能にした条件は何か?これがわれわれの問いになるだろう。

★ 原的な否定性の可能条件への問いは、(人間的な)社会の起源についての問いと同じものである。(人間的な)社会の起源は、どこにあるのか?生物が示す社会的な行動のどの範囲が、未だに人間的なそれに到達していないのか?あるいは、生物の社会的な行動のどの部分が、人間的な社会とは異なる原理に従っているか?それは、どう異なるのか?そして何より、生物の社会性のどの範囲から人間的なものへと変容するのか?こうした一連の問いはすべて、原的な否定性がいかにして可能か、という問いの言い換えでもある。

<大澤真幸『動物的/人間的 1.社会の起源』(弘文堂・現代社会学ライブラリー2012)>