Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

ぼくの隣の町で起こっていること

2013-05-27 16:27:41 | 日記

“小平市”というのは、道路を隔ててぼくが住んでいる市の隣にある。
そこでの出来事が昨日から今日、大きなニュースとして扱われている。
この小平市内の“都道建設計画”と、それの是非を判断するための“住民参加(投票)”について、ぼくが知ったのは國分功一郎ツイートによってだった。
ぼくには投票権はなかった、けれどもこの“隣り町”は、ぼくが住んでいる環境にきわめて密着した空間である。

あるいは、この問題は、“普遍的”である。
環境を破壊することにおいて、民主主義の主体である(とされる)われわれの実在がたんなる“見せ掛け”にすぎないかについて。

ぼく自身、隣の駅などで展開されている“住民投票”を呼びかけるアッピール(集会など)に参加していない、なにひとつ体を動かさない自分がいるわけだ。
しかし、この住民投票の意志が、否定されたことをみすごすわけにはいかない。

これからの、この“運動”の経緯を見守りたい。
参考のために、國分功一郎がTHE HUFFINGTON POSTに連載している文章から一部省略して引用する;

<東京初、直接請求で実現した小平市の場合―住民投票から考える民主主義の諸問題(1)>  投稿日: 2013年05月08日 10時55分

★ 来る5月26日、東京都小平市で住民投票が実施される。住民投票とは、地方公共団体内のある事項を、その地域の住民の投票によって決する制度である。地方自治法によって規定された公的な制度だ。
住民投票は2000年代の前半に盛んに行われた。これはいわゆる「平成の大合併」の際に、首長が住民の意思を問う形で住民投票が盛んに実施されたからである。

★ しかし、今回、小平市で行われる住民投票は、それらの住民投票とは大きく異なる。なぜならこれは、住民の直接請求によって実現した住民投票だからである。直接請求とはこの場合、住民が署名を集めて住民投票条例の制定を求めることを言う。
条例制定のためには有権者の50分の1の数の署名が必要である。但し、それだけの数を集めても条例を制定するには議会の同意が必要である。また、条例案には首長が意見を付すことになっている。首長が賛成しなければ、条例案可決の可能性は低くなる。
これまでも全国で住民が署名を集めて住民投票の実施を求めることは何度もあった。しかし、ほとんど場合、首長が条例案に反対意見を付し、議会によって否決されてきた。2010年の総務省の調査によると、1982年以降に市町村で実施された住民投票は400件あるが、そのうち、合併以外のテーマで行われたものはわずか22件。住民が住民投票条例案を署名によって直接請求しても、条例案が可決される割合は2割未満であるという。
今回の小平市での住民投票はいま注目を集めている。なぜなら、住民の直接請求によって住民投票が実施されるのは、東京都でははじめてのことだからである。この事実は実のところ驚くべきものである。日本の首都である東京では、これまで住民の直接請求が実って住民投票が実施されたことは一度もなかったのである。
私は哲学を研究している大学教員であるが、後に紹介することになる事情からこの住民投票に深く関わることになった。私はもちろん今回の住民投票のテーマに強い関心を寄せている。しかしそれだけでない。私は哲学を研究する者として、今回の住民投票は現行の民主主義にとって画期的な意味を持つと思っている。

★ JR国分寺駅と西武東村山駅を結ぶ西武国分寺線。停車駅わずか5つのこの路線に鷹の台という駅がある。駅前には個人商店が、数は少なくなったとは言うもののまずまず残っている。小さな駅だが、付近には津田塾大学、武蔵野美術大学、白梅学園大学、朝鮮大学校などがあり、数多くの若者が行き交う。駅前は活気がある。
小平市は都内でも緑の多い地域として知られている。鷹の台駅付近も例外ではない。駅のすぐ近くを国の史跡である玉川上水が通っている。上水の脇の遊歩道には木が生い茂る。遊歩道での散歩を楽しむのは付近住民だけではない。休日には少なからぬ数の人たちが遠方からここに緑を楽しみに訪れる。
駅の裏の小平市中央公園はもともとは桑畑であったという。この広々とした静かな公園はスポーツをする若者の、遊具で遊ぶ子どもたちの、ただブラブラする大人たちの憩いの場だ。
この公園の西側に大きな雑木林が広がっている。なんてことはないただの雑木林である。しかし、なんてことはないただの雑木林というものが、いまではめずらしい。保存樹林というのはよく見かけるが、だいたい立ち入り禁止である。この雑木林はそうではない。誰でも入れる。そしてみんなが、なんとなく利用している。
歩いたり、遊んだり、座ったり、眺めたり。人間だけではない。植物も虫もたくさんいる。しかも、どうやら渡り鳥の中継地にもなっているらしい。つまり、人間も動植物もここを利用させてもらっているわけだ。
ところが、いまこの雑木林とその付近の地域が危機に瀕している。ここに道路を作ろうという計画があるのだ。玉川上水は東西に走っている。雑木林はその北側にあり、雑木林の更に北側には閑静な住宅地が広がっている。この住宅地から雑木林を通り、玉川上水を貫通する幅36メートルの巨大な道路を作ろうというのである。

★ 道路は東京都が作る都道3・2・8号線と呼ばれる道路である。試算では約220世帯に立ち退きを強いることになる。約480本の木を切り倒さねばならない。総工費は約250億円だ。
これだけでも非常に驚くべき数字であるのだが、さらに驚くべきは、この計画が1962年、今から半世紀前に計画されたものだということである。1962年というのは昭和37年である。最近、遠く過ぎ去った昭和30年代にノスタルジックな想いを寄せる映画があったが、その時代だ。今とは何もかもが違う時代だ。
なぜその時代の計画を今さら実行しなければならないのだろうか?確かに高度経済成長期には自動車の交通量は飛躍的に増えた。しかし、誰でも知っていることだが、これからは自動車は減る。最も交通量が多かった時期が終わったというのになぜ今なのだろうか?
この計画は曖昧なままずっとお蔵入りになっていたらしい。それが、どういうわけか数年前に復活してきた。そして東京都はどんどん話を進めてきた。
この道路計画で最も影響を受けるのは付近の住民である。しかし、計画を進めるにあたり、東京都はそうした住民の声に耳を貸そうとはしなかった。
後に説明するが、都市計画道路を作るにあたっては、住民の許可を取る必要はない。事業主(たとえば東京都)は、単に「説明会」を開催すればいい。そして、国交省に事業認可申請を行い、それが認められてしまえば、すべて自分の思い通りに計画を進める権利を与えられる。強制執行といって、ブルドーザーで邪魔な家を突き崩すこともできるようになる。
私たちはそういう国に住んでいる
私たちが住んでいる国では、「そこに道を作るから、どいてくれ」と言われた場合、反対どころか、反論する権利すら与えられない。
そう、私たちはそういう国に住んでいるのだ

★ 私はそれに強い疑問を持った。そして、疑問を持ったのは私だけではなかった。どうしてこんな道路が必要なのか。どうして住民の意見が計画に反映されないのか。私などよりもずっと以前から、そういう疑問をもち、地道に活動してきた人たちが鷹の台にいた。
その人たちは近くの集会所で小さな集まりを重ねながら、最後の手段として住民投票に訴えた。そして、非常に多くの難関を乗り越えて、それを実現する。住民投票条例可決の際にはNHKを含めたテレビ局が取材に来た。ニュースは大手各紙(朝日、読売、毎日等々)で報道され、東京新聞では2日間にわたって1面トップで記事が組まれた。
住民投票は正式なものである。いつもの国政選挙のように、投票用紙が郵送され、投票所が用意され、投票が実施される。市が法規に則って公的に実施しなければならない出来事を、住民の運動が実現したのである。

<「私たちは年をとりました。あなた方は年をとらないけど」―住民投票から考える民主主義の諸問題(2)>  投稿日: 2013年05月22日 17時40分

★ 小平市住民投票が対象としているのは、多摩地域を南北に走る「府中所沢線」と呼ばれる道路の小平市部分、「小平都市計画道路3・2・8号府中所沢線」(以下、「328号線」)と呼ばれる区間である。府中所沢線の総延長は27km。小平市部分の328号線は1.4kmある。幅は36m(一部32m)で4車線の巨大な道路である。
(こちらが府中所沢線を紹介するホームページhttp://www.kensetsu.metro.tokyo.jp/kitakita/kodaira328/index.html)
東京都は多摩地域の道路ネットワークの充実、都市間の連携強化などを主な建設理由に挙げている。また震災以降は、火災の燃え広がりを巨大道路が防止するという理由を強調するようになってきている。

★ 何よりもまずこの計画について指摘しなければならないのは、この計画が半世紀前の1963年(昭和38年)に策定されたものだということである。交通を巡る状況は、当然その頃とは異なっている。だが、もとの計画のままに道路計画が進められている。
また、この付近に道路がないわけではない。328号線建設予定地のすぐ脇を並行して府中街道という道路が通っている。東京都はこの道路について次のように述べている。
府中街道は、そもそも幹線道路としての役割を担っておらず、その機能も有しておりません。現状では都市計画道路ができていないため、幹線道路と同様の役割を担っているという状況です。 http://www.kensetsu.metro.tokyo.jp/kitakita/kodaira328/qa/index.html
この文章はおかしい。「そもそも」幹線道路としての「機能」を有していないならば、「幹線道路と同様の役割」を担うことはできない。今それを担っているにも関わらず、そのような「役割」をそこに認めることができないのは、単に「この道路は幹線道路ではない」と決めているからである。
もちろん、府中街道の機能には限界があるだろう。府中街道は2車線である。4車線の道路とは違う。昼はスカスカなのだが、確かに朝夕には渋滞もある。しかし、この渋滞の事実は4車線の道路を新たに作る理由になるとは思われない。なぜかというと、東京都はこの府中街道を少しも整備していないからである。
府中街道は北側部分で、市道であるたかの街道と交差している。この交差点が朝夕の渋滞の一つの原因になっている。なぜそこで渋滞が起きるのかというと、府中街道には右折帯も左折帯も作られていないからである。たかの街道は市道だというのに、それがある。不思議である。同じ問題が、より南側の久右衛門橋の信号にも言える。またずっと南では西武線と交差しているが、もちろん高架にはなっていない。
どうして、「幹線道路と同様の役割を担っている」都道に右折帯や左折帯がないのか? 理由は簡単だ。50年前から328号線の計画があるからである。それを作ることになっている以上、府中街道の渋滞を緩和する必要はない。なぜならいつか大きな道路が脇にできることになっているのだから。したがって、府中街道はすこしも整備されない。
東京都は、「府中街道の渋滞をどうにかしたい!」と心から願っていて、「だから328号線を作らせてほしい!」と考えているのではない。328号線を作る計画があるから、府中街道の渋滞を口実に持ち出してきたのであり、328号線を作る計画があるから、府中街道の渋滞がなくならないのである。その意味では328号線計画によって、府中街道に渋滞がもたらされたという側面すら指摘できる。
しかも、府中街道の渋滞は交通量の減少によって緩和している。20年前はバスが30分遅れるのは当たり前だったという。いまではそんなことはない。また、府中街道が最も渋滞していた時期には328号線計画は凍結されていたのである。328号線計画がなぜか──今もってその理由は謎めいたままなのだが──復活してきたのは10年前のことだ。渋滞を理由に328号線を作りたいのではない。何らかの理由で、突如、50年間凍結されていた計画が復活してきたから、必死に理由が模索されたのである。

★ 必死に模索した末に発見された道路建設理由の代表が、「火災燃え広がりの防止」である。おそらく、震災の記憶が新しい今ならば、そして、「震災被害」という言葉を持ち出せば、誰もが黙り込むと考えたのであろう。
確かに、町中を巨大道路が網の目状に走れば、火災の燃え広がりを防ぐことができるだろう。しかし、だからといって町を巨大道路で切り裂いていくつもりだろうか?小平市には328号線を含めて24本の都市計画道路の計画があるというから、これももしかしたら冗談にはならないかもしれない。だが、この災害の話について冗談ではすまない話がある。それは328号線がほぼ全滅させようとしている雑木林がもたらすであろう延焼防止機能のことだ。
森林が延焼防止機能(火災が燃え広がるのを防ぐ機能)をもたらすことは広く知られている。「延焼防止」「森林」で検索すればすぐに資料が見つかる。たとえば、「やまがた公益の森づくり支援センター」が挙げている「森林の公益的機能」、あるいは愛知万博の際に作られたという審議会「森と緑づくりのための税制検討会議」の資料がある。
328号線が潰そうとしている雑木林は、災害時の避難場所である中央公園のすぐ脇にある。避難場所が雑木林によって守られているとすれば大変心強い。しかし、そうしたことはまったく無視しながら、「町中を巨大道路が縦横無尽に走れば、火災が燃え広がらないから安心だ」と東京都は説明していることになる。

★ この道路計画は50年前のものだが、実は、二号団地と呼ばれる、道路が貫通する予定の住宅地は、この計画が策定される直前にできたものだった。小平には今も畑が多いが、建設予定地もかつては畑ばかりだったようだ。そこに人々が土地を買って家を建てた。その住宅地の周囲は畑であったらしい。ところが、住宅地が出来上がってすぐに、この道路計画が策定される。住民は猛反発した。なぜ我々が家を建てたばかりのこの土地に道路を通すのか?脇には宅地化されていない土地があるではないか?──まったくもってもっともな意見と言う他ない。二号団地の方々はいまも道路建設に反対されている。もう50年間である。
なぜ脇に宅地化されていない土地があるというのに、宅地化された土地に道路を通そうとしたのだろうか?理由は簡単である。道路を真っ直ぐに通したいからだ。今も建設予定地の地図を見てもらえば、府中街道がクランク状になっていることが分かる。それを真っ直ぐにしたいというのが、この道路建設計画を突き動かしている根源的な欲望である。
正直言うなら、地図だけを見ていると、この道路を真っ直ぐにしたいという気持ちは分からないでもない。いや、カックンと曲がっているところだけを地図で見せられたら誰でも真っ直ぐにしたいと思うかもしれない。
しかし道路は地図の上ではなくて、土地の上を通る。そして、土地には人が住んでいて、家が建っていて、木々が生えていて、水が流れていて、植物や動物や昆虫が生きている。具体的な生がある。土地をいくつかの線に抽象化した地図からでは絶対に分からない、個別具体的なものがある。
(この「まっすぐにしたい」という道路建設の欲望のことを考える時、いつも私は、自らが統治している国をすみずみまで知らない王様が「ここに道路を作ればよいではないか!」と言う場面を想像してしまう。私の頭の中の大臣は言う──「しかし王様、ここには人がたくさん住んでおり、大きな林や、大切な用水路・遊歩道がございまして...」。王様はしかし大臣の言葉に耳を傾けない...。)

★ 現実は具体的である。やや言葉は強くなってしまうが、地図だけでこの道路建設問題を考えられると思うのは、傲慢というよりも、単なる無知への居直りという他ない。私は哲学を勉強しているから知っている。現実は抽象化された時、頭の中で思いのままに組み立てられるオモチャのようになってしまう。
抽象化によって取り逃されてしまうものの最たる例が、328号線が貫通する予定の雑木林である。もし関心をお持ちの方がいらしたら、是非いちど現地を訪れていただきたい。私は何度もテレビ局や新聞社の記者の方をそこに案内しているが、誰もが口をそろえて、「こんなに大きな、こんなにすてきな場所だとは思っていなかった。このすばらしさはここに来てみないと分からない」と言う。
もしよければ写真だけでもみていただければと思う。これは住民投票運動を応援してくださっているグリーンアクティブの石倉敏明さんの撮影した現地の写真である。
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328号線が建設されれば、雑木林とその脇を走る玉川上水の遊歩道に生えている480本の木が切り倒されることになる。

★ 私は328号線計画を変更して、府中街道の整備を行うべきだと考えている。整備といっても、いくつかやり方があるが、まずは右折帯と左折帯を作ることだ。踏切を高架にすることもできるかもしれない。いくつかの案を道路の専門家を交えて考えていければと思っている。
もちろん、府中街道を整備して有効利用するという案が仮に採用されても、府中街道に多少の渋滞は残るかもしれない。だが、その多少の渋滞は巨大道路を建設するための口実になるだろうか?前代未聞の住民投票まで行われるほどに現地の人が疑問を持っている道路計画、上に説明したように絶対的な必要性があるとはとても思えない道路計画、住宅地の人々のコミュニティーと自然環境を破壊する道路計画を、断行する必要があるのだろうか?
道路建設の総工費は250億円を下回らないと考えられる。そのうち半分は東京都が負担し、半分は国からの補助金になると聞いている。東京都のお金は、都民の方々が働いて稼いだお金だ。国からの補助金は国債によってまかなわれるものだ。ここまで疑問のある計画にそんなにお金を使うべきだろうか?250億円があったら、いったいどれだけの保育園を作ることができるだろう?どれだけの待機児童を保育園に迎えることができるだろう?なお、250億円のうちのほとんどは、建設費用ではなく、土地の買収費用である。お金のほとんどは住民をどかすために使われ、建設業を潤すのはほんの一部だ。当然だろう。あれだけ多くの人が住んでいるのだから。

★ 先に紹介した二号団地でずっと道路問題に取り組んでいらしたご老人が、説明会で東京都の職員に向かってこう仰ったことがあった。
「私たちはもう50年も反対してきましたよ。だから私たちは年をとりました。あなた方は年をとらないけど」。
どういうことだかご理解いただけるだろうか?50年前から今まで、計画を進めているのは「東京都の職員」である。数年ごとに担当者は変わる。説明会のたびに前に座る人が変わる。だから「東京都の職員」は50年前からずっと年をとらない。二号団地の方々は実際に年をとりながら、絶対に年をとることがない行政の職員を相手に、ずっと「私たちの声を聞いてください」と言い続けてきた。それが50年間叶わなかった。それが住民投票によって叶うかもしれないところに来ている。

(以上引用)







故郷

2013-05-27 00:56:02 | 日記

★ 文部省唱歌『故郷』
1 兎追いしかの山、小鮒つりしかの川、
  夢は今もめぐりて、忘れがたき故郷。
2 如何にいます父母、恙なしや友がき、
  雨に風につけても、思いいずる故郷。
3 志を果たして、いつの日にか帰らん、
  山は青き故郷、水は清き故郷。

★ 文部省唱歌は文部省が定め、学校で教えられた。だが、学校教育はどの歌が大衆的人気をもつのかということまでは決定できない。一つの参考は、1925年に放送を開始したNHKラジオの子供向け番組である。そこでは人気のある唱歌が童謡などとともに放送されていた。また、戦後の1970年代になって、金田一春彦が著名人に行ったアンケートによれば、唱歌は子供時代だけでなく、彼らが大人になってからも根強い人気をもっていたことがわかる。そのアンケートのなかでもっとも人気が高く、また戦前の子供向けラジオ番組でも、もっとも多く放送された唱歌のなかの一つが『故郷』であった。

★ この歌は、故郷の地を離れた主体が自分の故郷の記憶を懐かしく思い出すというかたちをとっている。一番では、主体は幼い頃の記憶を辿りながら故郷の風景を思い出しており、二番では、父や母や友人のことを心配しながら、彼らのいる故郷のことを思い出している。三番では、主体は自分の志を果たしていつか故郷に帰ることを夢みながら、故郷の山や川の美しさ思い出している。

★ だが、仔細に見ていくと、この歌には奇妙な特徴があることがわかる。それは第一に、ここで描かれた「故郷」の風景が具体的な内容をほとんどもたず、生の色彩やイメージに欠けることである。第二に、その風景が生ける現在の描写ではなく、記憶の空間に浮遊する無時間的な形象になっていることである。第三に、その風景が芝居の書き割りやセットのように、「故郷」についての紋切り型の概念の断片から一種の模擬物として構成されていることである。

★ 『故郷』の歌では、じつは経験したことのないもの、つまり記憶しようのないものの記憶が構成されている。なぜなら、その土地にいたときには、そのような美しい風景として生活を経験したかどうか疑わしいからである。それは生活の拠点を移し、対象化が行われたとき、その対象の不在を媒介にして、想像力の中空に浮かびあがった光景なのである。そこでは既視感のように、現在の想像力が映し出した光景が過去に転送され、過去の思い出というかたちに転移している。(略)そこに描かれているのは「かの山、かの川」のように固有名詞をなくした、どこでもありどこでもないような「故郷」の光景である。この無-場所化された「故郷」の光景は、それを想像する主体がすでに都市の匿名性を帯びた空間で、固有の場所をなくして生きていることを裏返しに表現しているというほかない。

★ われわれはこの記憶の構成をテクノロジーの変化と相関する新しい知覚の形態の成立というパースペクティヴのなかに置きなおしてみる必要がある。『故郷』の歌が大衆を社会に動員するものであるとしても、それはたんに特定の政治目標や古い共同体の心性へ向けてのイデオロギー的な水準の動員につきるものではない。それはむしろ知覚の形態やまなざしの構造といった水準で、世界や出来事が無-場所化された抽象的な空間として成立するような社会性の場をリアルと感じる感受性の型へ向けての動員なのである。それは国家というよりも、資本の力との関係に組み入れられて存在の根拠をもたなくなった人びとの感受性である。

<内田隆三『国土論』(筑摩書房2002)>