Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

永遠の歴史;THE TIMES THEY ARE A-CHANGIN '

2011-02-25 14:14:47 | 日記


出たばかりの岩波新書『ラテンアメリカ十大小説』(木村榮一)から引用します;

★ 話を1938年に戻しますと、その年のクリスマスの日、帰宅した彼はエレベーターが故障していたので、階段を急いで駆け上がりますが、たまたま踊り場の窓が開け放たれていたためにその角に頭をぶつけて大怪我をしました。さらに搬送先の病院の処置が悪かったものですから、敗血症にかかり丸2週間40度近い高熱が続いて文字通り死の一歩手前まで行ったのです。

★ ようやく意識が回復した彼は、真っ先にC・S・ルイスの『沈黙の惑星を離れて』を読んでほしいと母親に頼みました。2、3ページ読み進んだところで突然泣き出したので、母親がびっくりして理由を尋ねると、高熱が続いている間中悪夢にさいなまれて、頭がおかしくなったと思い込んでいたので、読んでもらった本が理解できてうれしくてたまらなかったのだと語ったそうです。


★ 死の世界から生還した彼が書いた最初の作品が短編集『伝奇集』に収められている「『キホーテ』の作者ピエール・メナール」です。主人公のピエール・メナールはフランスの詩人で、サンボリストらしく世界を象徴的な記号の集合としてとらえて詩作を行う一方、デカルト、ライプニッツ、ライムンドゥス・ルルス、あるいはチェスにまつわるエッセイを書いているのですが、ある時セルバンテスの『ドン・キホーテ』を書こうと決意します。最初は17世紀の人間であるセルバンテスになりきってあの時代のスペイン語を身につけて書こうとしますが、しばらくしてそれでは簡単すぎると考えるようになります。彼は20世紀の人間である「ピエール・メナールでありつづけ、ピエール・メナールの経験を通して『キホーテ』を書」かなければ意味がないと考えるのです。

★ 面白いのは、セルバンテスの『ドン・キホーテ』の一節とメナールが書いたとされるそれとを並べて引用している個所です。なんとボルヘスはまったく同じ文章を引用しておいて、しれっとした顔でその違いとメナールの斬新さをまことしやかに説明してみせるのです。読者はここを読んで一瞬戸惑いを覚えつつも、きっと大笑いされることでしょう。

★ 文学という言語遺産は後世の人たちに残されたこの上ない贈り物であり、しかも古典の場合はそこに時間(歴史)という厚みが加わります。17世紀のはじめにセルバンテスが書いた『ドン・キホーテ』、そして当時の読者が読んだ『ドン・キホーテ』、それとわれわれ現代の読者が読む『ドン・キホーテ』、それらはそれぞれに違ったものなのです。なぜなら、「古い書物を読むということは、それが書かれた日から現在までに経過したすべての時間を読むようなもの」(『ボルヘス、オラル』)だというのがボルヘスの見立てだからです。

<木村榮一『ラテンアメリカ十大小説』(岩波新書2011)>






* 画像は若き日のボルヘスではございません。








むかし、なんども聴いた歌が聴きたくなる。
むかし、なんども聴いた歌を歌いたくなる。

ぼくには、そんなにたくさんの“歌”は、いらない;

あなたの息はあまく
あなたの瞳は空に輝く二つの宝石のよう
あなたの背中はまっすぐで、あなたの髪はなめらかに
あなたが横たわる枕にひろがる
だけどあなたの愛情が感じられない
敬意も愛も感じられない
あなたの忠誠はぼくに対してではない
あなたの頭上の星々に対してだ

コーヒーをもう一杯道を行くために
コーヒーをもう一杯ここから出て行くために
あの下の谷に向かって

あなたの父さんは無法者
根っからの放浪者
彼はあなたに教えるコソ泥の仕方
ナイフの投げ方を
彼は王国の支配者
よそ者は閉め出す
彼の声は震える
おかわりを求めるときに

コーヒーをもう一杯道を行くために
コーヒーをもう一杯ここから出て行くために
あの下の谷に向かって

あなたの姉さんは未来を見る
あなたのママやあなた自身のように
あなたたちは決して読み書きを学ばない
あなたたちの棚には本がない
そしてあなたたちの快楽には底がない
あなたたちの声は草原のヒバリのよう
しかし、あなたたちの心は大海のよう
神秘的で暗い

コーヒーをもう一杯道を行くために
コーヒーをもう一杯ここから出て行くために
あの下の谷に向かって

<BOB DYLAN;“ONE MORE CUP OF COFFEE”>







今朝、感じること;“コンテクスト”

2011-02-25 11:07:51 | 日記


朝起きてパソコンを立ち上げ、その画面に表示されるいくつかの“文”を読む。

それは、大メディアの“公式見解”であったり、ソーシャル・ネットの“つぶやき”だったりする。

“大メディアの公式見解”は、ほぼ“すべての”ひとが知っている。
“ソーシャル・ネットのつぶやき”は、“無数”なので、ぼくが見たのは“偶然”である。


今朝の“傑作”は以下の<文>である;

《オイラがなにを求めてるのかオイラにもわからなくなってきた 9:32 PM Feb 23rd Echofonから tori_otoko鳥男》

この発言だって、“鳥男”を知らなければ、それほど面白くない。
鳥男君は、“ニート”であり、それにもかかわらず(あるいは“それゆえ”)、現在日本の“政治状況”にきわめて熱心な関心を持続してきた。
最近のブログでは、選挙制度の変更について“提案”している。
その彼が、上記引用のように“つぶやいた”。


つまり、鳥男君は、“なにからなにまで”ぼくと反対であるが、上記引用文の“心境”は、ある意味で、“ぼくと同じ”である。

ぼくがなにを求めてるのかぼくにもわからなくなってきた。


“公式メディア”にも、なかなか面白い発言がある。

① 政府高官は「首相は正直なのだが、本当のことを言ってはいけない時もある」と漏らした。(“子ども手当2万6千円、「議論当時びっくり」首相答弁”byアサヒコム)

② デモの拡大に政権を返上したエジプトのムバラク氏は、現実主義者だろう。カダフィ氏はロマン主義と言うべきか、……(天声人語)

③ いの一番に挙げるべきかどうかはともかくも、「タイミング」が処世の上で大事であるのは歌詞の教える通りだろう(読売編集手帳)


上記の発言の教訓は以下の通り;

①“本当のこと”を言ってはいけない
②“ロマン主義”より“現実主義”が良い
③“タイミング”が、処世の大事

ぼくは、菅直人もカダフィも松木謙公・農林水産政務官も好きではありません。
というか、興味がない。

“だから”、それについて“とやかくいう”ということにも関心がない。
“ゆえに”、ぼくは、なぜそんなことを“とやかくいって”いるのだろうと、とやかくいうひとの知性を疑います(つまり、この場合、“疑う”ことが、“関心”です)

ぼくは“本当は”、まったく別のことに関心を持っている。
その“まったく別のこと”に集中したい。

だから、“ネットを見ること→このブログを書くこと”、は時間の無駄のように感じられる。

それで、本を読む。

しかし、最近、“哲学はダメだから社会科学にしよう”(笑)と思ったのも“うかつ”でした。

大澤真幸と宮台真司の新書を続けざまに読んで、“コリャいかん”と思った。
まあ、“気力が失せた”という感じ。


さて今日の“語録”の決定版は、以下の発言;

④ケータイ小説や「デス・ノート」や「リアル鬼ごっこ」や「バトル・ロワイヤル」に抵抗があるなら、せめて綿矢りさや平野啓一郎くらいは読んでみるといい。そこにはいま起こってることの萌芽がある。例えば、藤村・花袋・漱石・鴎外からこれらの作品までを等価として並べてみる視座をもったとき、初めて見えてくるものがある。「団塊」が、「全共闘」がアンビバレントな感覚で見つめ続けた近代は、ちょうど中上健次が亡くなった頃、完全に終焉を迎えたのである。
ぼくは教育現場にいるから、必然的にこういうことを追いかけざるを得ない立場にいる。思索とフィールドワークの往還にしか、コンテクストを欠落させない言説は生まれ得ないのである。
「さようなら。団塊よ、全共闘よ。私は所詮、あなたたちとは無縁の存在であった。」とでも、高橋和巳ばりにつぶやいてみようか(笑)。
(引用)


上記は北海道国語教師・堀裕嗣の<コンテクスト>というブログ。
ぼくは先日のこのブログで堀裕嗣を“批判”した。
それを読んだか読まないか知らないけれど(ああ!)、これまた“団塊批判”である。

けれども“団塊世代”にひっかかる世代である“ぼく”の方が、“団塊”に対してもっと根源的な“批判”をもっている。

なぜなら、堀裕嗣よりぼくの方が、団塊を知っているからである。
だからこれはまさに“堀裕嗣君のせい”ではない。

ただ“世代差”による無知はこまる。
端的に言って、<団塊=全共闘>ではない。

ぼくは、堀君等が“全共闘世代”と呼ぶその時、早稲田大学・文学部に在籍していた。
その“世代”には、デモなんかに一度も行ったことがなく、それどころか、ストライキが早く解除され、“まじめに勉学して、まじめに出世コースへ行きたい”と考える人々が“大部分”だった。

堀裕嗣“世代”は、団塊先輩の虚偽の“武勇伝”と、マスコミの画一的な<団塊=全共闘>神話を実証なく無批判に受け入れているだけだ。


しかし一番重要なのは、ここでの<文学>についての堀裕嗣の発言だ。

ぼくは、高橋和巳など1冊も読み終わっていない。
“読み終わっていない”とは、当時、読みかけて、つまらなかったからである。
当時、ぼくが読んでいたのは、大江健三郎である。

そして吉本隆明を“読み始め”、むしろ“サラリーマン生活を続けながら”、1970年代から10年以上、吉本の本に“関わり”、ある時、彼と別れた。

その間、ぼくには自分の<感想>を他者に伝えるHPやブログやツイッターなどの“メディア”はなかった。

ぼくは《綿矢りさや平野啓一郎くらい》は、読んでいる。

綿矢りさは、読んだ最初の1冊だけで、けっこう。
平野啓一郎はすでに数種読んだし、継続して読む。

また上記に引用していない部分で、堀裕嗣は、
《彼らは大塚英志を無視し、宮台真司を無視し、東弘紀を無視した》と書いている。

しかし、ぼくは宮台真司について、最新ブログで“書いた”。
“東弘紀”(堀君の誤入力―“東浩紀”)については、『動物化するポストモダン』や大澤真幸との対談(『自由を考える』)発言について、Doblogの時から注目している。
大塚英志は、数冊持っているが、充分に読んでいないが。


しかしなによりも問題なことがある(このブログで言いたいのは以下のこと“のみ”である)

☆ 例えば、藤村・花袋・漱石・鴎外からこれらの作品までを等価として並べてみる視座をもったとき、初めて見えてくるものがある。「団塊」が、「全共闘」がアンビバレントな感覚で見つめ続けた近代は、ちょうど中上健次が亡くなった頃、完全に終焉を迎えたのである。(堀裕嗣ブログ引用)


堀君、
君は中上建次をどれだけ“読んだ”んですか?

いったい中上建次において、《「団塊」が、「全共闘」がアンビバレントな感覚で見つめ続けた近代》が、どのように《終焉》したんですか?


《藤村・花袋・漱石・鴎外からこれらの作品までを等価として並べてみる視座をもったとき、初めて見えてくる》
と君が言うとき、《初めて見えてくる》ものは、<何>なんですか?

もし“近代(モダン)が終焉した”と言うのなら、“きみたち=堀君らの現在40代世代”の“近代後(ポストモダン)”の特質というのは、いったい<何>なんですか?

つまり君が、君のブログのタイトルに掲げた《コンテクスト》は、どのようになっているのですか?

君の“意見”では、まるで《藤村・花袋・漱石・鴎外から》、《団塊》(あの異常な世代!)だけを“飛ばして”、《ケータイ小説や「デス・ノート」や「リアル鬼ごっこ」や「バトル・ロワイヤル」》や《大塚英志、宮台真司、東浩紀》にいたれば、<日本の近代→日本のポストモダン>にいたる《コンテクスト》は、めでたく予定調和的に完結するのでしょうか?


あなたは書いている;
☆ ぼくのなかに「還暦を過ぎると右傾化する」というテーゼがある。ほんとうは「還暦を過ぎると」というのは正しくなくて「リタイアすると右傾化する」のほうが良いのかもしれない。ぼくには経験がないので想像にしかならないのだが、たぶん自分の職務上の動的な位置づけから離れ、それでも社会のいろいろなことが気になるというとき、かつて自らの立っていた共同体を絶対視することにしか発言の信憑性を確保できなくなることが原因なのだろう。共同体は職業でもあり、世代でもあり、地域でもある。
☆ 物心ついた頃から青春期までを人は懐かしむ。それは仕方のないことなのだが、しかしそこに価値判断を伴わせて彼が主張し始めるとき、そしてそれが現代にも通ずるリアリティがあると主張するとき、彼は時代から用済みの烙印を押される。彼らの議論にどうしようもなくコンテクストが欠落してしまうからである。
(引用)


《ぼくには経験がないので想像にしかならないのだが》(引用)

“まさに”そうだ。

しかも、君には“想像力”が不足している。

ぼく自身がそうだったからよくわかる(笑)

ぼくが団塊“世代”だとして、堀裕嗣“世代”を名づける言葉はない。
ここで“ポストモダン世代”と命名しようか?(笑)<注>

つまり、“団塊”は、他“世代”を、ネーミングによって差別しない(できない)

堀裕嗣が上記で言っているこことも、“まちがい”ではない。

しかし少なくともぼくは、“現役世代(”リタイア“してない世代)の、現場での努力(苦闘)をバカにしてはいない。
だから、よくわからない(ぼくには“経験のない”)堀君の“仕事”についてのブログも時々読んでいる(大変だろうなー、と思う;笑)

だから、“リタイアした人々”への想像力をもってほしい。
“同情”ではない。

たしかにまだ団塊は“強い”のかもしれない。
しかし“これから”は、まさに堀君の世代の手の中にある。

“そのとき”、リタイアした団塊“世代”に、《用済みの烙印を押す》ことでよいのだろうか。

団塊“世代”を排除して成り立つ、“君たちのポストモダン”に、いかなる《コンテクスト》があるのか?


《さようなら。団塊よ、全共闘よ。私は所詮、あなたたちとは無縁の存在であった》


しかし、もし中上建次(ぼくと同年齢)を、<近代>と呼ぶのなら、中上建次を死なせるわけにはいかない。(笑わない)




<注>

まさに“ポストモダン”という言葉(概念、立場)についても厳密でなければならない。
ぼくにとっては、“ポストモダン”は、“ポスト構造主義”という立場においてアプローチできる。
具体的には、フーコー、ドゥルーズ、デリダである。
そして、フーコーやデリダを“批判した”ハーバーマス。
そしてハーバーマスが“影響を受けた”、アドルノ、ベンヤミン、アレントなどのドイツ批判理論(弁証法的想像力=マーティン・ジェイ)である。
ぼくは、“日本人として”彼らの分かりにくい思考にじわじわと噛り付く。
“だから”、“デリダを読む”ことではじめた東浩紀に注目し、『クォンタム・ファミリーズ』のような愚作SFしか書けない彼の“現在”に失望した。
柄谷行人、宇野邦一を読む。
しかも“参照すべき名”は、上記のみではない。
たとえば、サイード、立岩真也、ル・クレジオ、デュラス。
そして大江健三郎、中上建次が“いる”。





非常に長くなったブログで恐縮だが、“フェア”であるために、堀裕嗣ブログ<コンテクスト>の全文を貼り付ける;


コンテクスト

ぼくのなかに「還暦を過ぎると右傾化する」というテーゼがある。ほんとうは「還暦を過ぎると」というのは正しくなくて「リタイアすると右傾化する」のほうが良いのかもしれない。ぼくには経験がないので想像にしかならないのだが、たぶん自分の職務上の動的な位置づけから離れ、それでも社会のいろいろなことが気になるというとき、かつて自らの立っていた共同体を絶対視することにしか発言の信憑性を確保できなくなることが原因なのだろう。共同体は職業でもあり、世代でもあり、地域でもある。
もちろんこれはあくまで相対的な問題であって、若くて現役だからといってその呪縛から逃れられるわけではない。しかし、「リタイア」して数年でのそ傾向が顕著になっていく事例が多い。かつて自分の上司として、或いは尊敬すべき先輩として君臨していた彼らが、妙に価値観を固定化し、下の世代を、或いは社会を断罪するのを見ていると哀しくなる。現在の「団塊前記」ともいえるリタイア組は基本的に、それを昭和30年代から40年代に置いている。物心ついた頃から青春期までを人は懐かしむ。それは仕方のないことなのだが、しかしそこに価値判断を伴わせて彼が主張し始めるとき、そしてそれが現代にも通ずるリアリティがあると主張するとき、彼は時代から用済みの烙印を押される。彼らの議論にどうしようもなくコンテクストが欠落してしまうからである。
かつてはこうした昔語りもある程度の尊敬をもって迎えられた時期もあった。それは昔語りが「戦争」であったり「終戦」であったり「戦後復興」であったりした頃である。その手の話について若い世代は聴く価値を見出せた。もちろん当時のその世代も確かに右傾化していたのだが、戦争体験者が自らの戦争体験を、或いは家族の喪失を語りながら、別の場所では右傾発言をするということに、それがこの国のもつジレンマと解釈することができた。昭和ひと桁からぼくらの親世代、つまり昭和十年代生まれ程度にまでは彼らの話を聴いていてその意識を抱くことができた。
しかし、とうとう「団塊」の番が来た。「全共闘」の番といってもいい。彼らは何も語るものをもたない、数だけは多い、上からも下からも蔑まれた世代である。上からは思想のなさを指摘され、赤軍事件の後には暴走族や校内暴力に取って代わられたと揶揄され、ぼくらの世代からは「全共闘などアルマーニのスーツと何も変わらない」と思われている。高度経済成長の終焉を前に、社会構造の変化をあばかず、それ以前の社会構造をただただ延命させようとした。いや、正確に言えば、彼らの上の世代が延命させようとしてきたことをあばかず、それに乗っかった。そしていよいよ自分たちの番だと思った矢先にバブルの崩壊、拓銀や山一、オウムや酒鬼薔薇に象徴されるような時代の流動化のなかで、右往左往した過ぎない。
その彼らがいま、必然というべきか右傾化している。もちろん、右翼思想・左翼思想の右傾化ではない。経験則だけでものをいう馬鹿げた論理を展開しているにもかかわらず、その論理に拘泥し続けるという程度の意味で理解していただくと近い。
彼らは大塚英志を無視し、宮台真司を無視し、東弘紀を無視した。学力論争の一方に与し、教育再生会議に賛同し、「国家の品格」に賛同した。郊外化とヤンキー社会と浜崎あゆみとケータイ小説の構造的関連を無視した。ロングテールを自らのことだと勘違いしながら、大衆的な共同性に洗脳されていることに気づかない。記号化された80年代的ポストモダンをいまだにポストモダンだと理解し、心理主義的なひきこもり社会と社会学的な決断主義を無視し続けている。秋葉原事件をキャリア格差の世論に持って行ったのも彼らだ。農業その他に求人はたくさんあるのに、ネットカフェ難民になるのは甘えだと感じている。ネットカフェに入り浸る金があるならひと部屋くらい借りられるではないかと発想し、ロスジェネを蔑む。もう時代を語る資格を失っているのである。かつてのような「もう我々の時代までは良かった」という論理は通用しないのである。
ケータイ小説や「デス・ノート」や「リアル鬼ごっこ」や「バトル・ロワイヤル」に抵抗があるなら、せめて綿矢りさや平野啓一郎くらいは読んでみるといい。そこにはいま起こってることの萌芽がある。例えば、藤村・花袋・漱石・鴎外からこれらの作品までを等価として並べてみる視座をもったとき、初めて見えてくるものがある。「団塊」が、「全共闘」がアンビバレントな感覚で見つめ続けた近代は、ちょうど中上健次が亡くなった頃、完全に終焉を迎えたのである。
ぼくは教育現場にいるから、必然的にこういうことを追いかけざるを得ない立場にいる。思索とフィールドワークの往還にしか、コンテクストを欠落させない言説は生まれ得ないのである。
「さようなら。団塊よ、全共闘よ。私は所詮、あなたたちとは無縁の存在であった。」とでも、高橋和巳ばりにつぶやいてみようか(笑)。