出たばかりの岩波新書『ラテンアメリカ十大小説』(木村榮一)から引用します;
★ 話を1938年に戻しますと、その年のクリスマスの日、帰宅した彼はエレベーターが故障していたので、階段を急いで駆け上がりますが、たまたま踊り場の窓が開け放たれていたためにその角に頭をぶつけて大怪我をしました。さらに搬送先の病院の処置が悪かったものですから、敗血症にかかり丸2週間40度近い高熱が続いて文字通り死の一歩手前まで行ったのです。
★ ようやく意識が回復した彼は、真っ先にC・S・ルイスの『沈黙の惑星を離れて』を読んでほしいと母親に頼みました。2、3ページ読み進んだところで突然泣き出したので、母親がびっくりして理由を尋ねると、高熱が続いている間中悪夢にさいなまれて、頭がおかしくなったと思い込んでいたので、読んでもらった本が理解できてうれしくてたまらなかったのだと語ったそうです。
★ 死の世界から生還した彼が書いた最初の作品が短編集『伝奇集』に収められている「『キホーテ』の作者ピエール・メナール」です。主人公のピエール・メナールはフランスの詩人で、サンボリストらしく世界を象徴的な記号の集合としてとらえて詩作を行う一方、デカルト、ライプニッツ、ライムンドゥス・ルルス、あるいはチェスにまつわるエッセイを書いているのですが、ある時セルバンテスの『ドン・キホーテ』を書こうと決意します。最初は17世紀の人間であるセルバンテスになりきってあの時代のスペイン語を身につけて書こうとしますが、しばらくしてそれでは簡単すぎると考えるようになります。彼は20世紀の人間である「ピエール・メナールでありつづけ、ピエール・メナールの経験を通して『キホーテ』を書」かなければ意味がないと考えるのです。
★ 面白いのは、セルバンテスの『ドン・キホーテ』の一節とメナールが書いたとされるそれとを並べて引用している個所です。なんとボルヘスはまったく同じ文章を引用しておいて、しれっとした顔でその違いとメナールの斬新さをまことしやかに説明してみせるのです。読者はここを読んで一瞬戸惑いを覚えつつも、きっと大笑いされることでしょう。
★ 文学という言語遺産は後世の人たちに残されたこの上ない贈り物であり、しかも古典の場合はそこに時間(歴史)という厚みが加わります。17世紀のはじめにセルバンテスが書いた『ドン・キホーテ』、そして当時の読者が読んだ『ドン・キホーテ』、それとわれわれ現代の読者が読む『ドン・キホーテ』、それらはそれぞれに違ったものなのです。なぜなら、「古い書物を読むということは、それが書かれた日から現在までに経過したすべての時間を読むようなもの」(『ボルヘス、オラル』)だというのがボルヘスの見立てだからです。
<木村榮一『ラテンアメリカ十大小説』(岩波新書2011)>
* 画像は若き日のボルヘスではございません。
むかし、なんども聴いた歌が聴きたくなる。
むかし、なんども聴いた歌を歌いたくなる。
ぼくには、そんなにたくさんの“歌”は、いらない;
あなたの息はあまく
あなたの瞳は空に輝く二つの宝石のよう
あなたの背中はまっすぐで、あなたの髪はなめらかに
あなたが横たわる枕にひろがる
だけどあなたの愛情が感じられない
敬意も愛も感じられない
あなたの忠誠はぼくに対してではない
あなたの頭上の星々に対してだ
コーヒーをもう一杯道を行くために
コーヒーをもう一杯ここから出て行くために
あの下の谷に向かって
あなたの父さんは無法者
根っからの放浪者
彼はあなたに教えるコソ泥の仕方
ナイフの投げ方を
彼は王国の支配者
よそ者は閉め出す
彼の声は震える
おかわりを求めるときに
コーヒーをもう一杯道を行くために
コーヒーをもう一杯ここから出て行くために
あの下の谷に向かって
あなたの姉さんは未来を見る
あなたのママやあなた自身のように
あなたたちは決して読み書きを学ばない
あなたたちの棚には本がない
そしてあなたたちの快楽には底がない
あなたたちの声は草原のヒバリのよう
しかし、あなたたちの心は大海のよう
神秘的で暗い
コーヒーをもう一杯道を行くために
コーヒーをもう一杯ここから出て行くために
あの下の谷に向かって
<BOB DYLAN;“ONE MORE CUP OF COFFEE”>