Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

東北の人

2011-02-05 14:35:15 | 日記



《森駆けてきてほてりたるわが頬をうづめむとするに紫陽花くらし》

この歌は、有名な若き詩人が歌った。

東北の人。


“ぼく”も東北の人、であった。

しかしこのアイデンティティは、きわめて“いいかげん”である。
むしろぼくは、“埼玉県の人”であった。
あるいは中央線の街で大人になった。

すなわち、ぼくの“場所”は、いいかげんであった。

大江健三郎の“森の奥の村”や、中上建次の“路地”に匹敵できるような場所は、ぼくにはどこにもない。
しかし“森の奥の村や路地”も彼らがつくりあげた“幻想”であるなら、ぼくもまた“東北”と言ってみたい。

たとえば宮沢賢治は東北の人である。
しかしぼくは岩手県に行ったこともない。


《われに5月を》と言ったのは、5月に生まれ、5月に死んだ青森県の詩人であった。

★ 20才 僕は5月に誕生した
僕は木の葉をふみ若い樹木たちをよんでみる
いまこそ時 僕は僕の季節の入口で
はにかみながら鳥たちへ
手をあげてみる
20才 僕は5月に誕生した
(引用)


上記の詩は、良い詩だろうか?

そんなに“良い詩”ではない。
だが、このようなナイーヴさ(率直さ)に、なにかを感じることはできる。

それは、これらの言葉を“取り囲むもの”との対比によってだ。
“ある時代の青春”、社会、その社会を埋め尽くす言葉の、ただ中。
しかもこの若い詩人は、“宣言”したいのだ、ひとつのマニフェストを。


これらの“言葉”を、ぼくは数日前、安藤礼二『光の曼荼羅』という本で見出した。

『光の曼荼羅』の“序”を読むのは2度目だった。
そこには、折口信夫(安藤礼二は折口を研究してデビューした“若い”評論家である)と中井英夫の関係が書かれており、中井によってデビューした寺山修司のことが書かれていた。

この『光の曼荼羅』では、折口を中心して、中井英夫、埴谷雄高、江戸川乱歩、稲垣足穂、南方熊楠らのことが書かれているらしい。

ぼくは、上記の<名>につまずいた。
ぼくの好きなひとがいないのである。

ただし、“好きなひとがいない”という意味は、それぞれちがっている。
たとえば、埴谷雄高というひとを、ぼくは、吉本隆明ととも、“かなり読んだ”時期があった(『死霊』でさえほとんど読んだ;意外に読みやすかった;笑)
しかし、埴谷と吉本の“コム・デ・ギャルソン論争”で完全に両者にしらけた。
また晩年の埴谷雄高と大岡昇平の対談集(岩波)にも幻滅した。

中井英夫、江戸川乱歩、稲垣足穂の<名>は知っているが(乱歩は子供のとき“ぼ、ぼ、ぼくらは少年探偵団”は愛好したが)、さっぱり読んでみたいひとではなく、読んだこともない。
南方熊楠のみが、少し気になる。
やはり、いちばん“問題”なのは、折口信夫というひと“だけ”だろう。


ああ、それらの<名>のなかに、“寺山修司”の名を見出し、<われに5月を>のマニフェストを見出すのは、爽快であった。

寺山修司についても、ぼくは何度かブログに書き、引用もした(エレベーターに乗り合わせたことも書いた)

しかし、寺山が、“ぼくのアイドル”であったことはない。
寺山の映画も天井桟敷も好きではない(最高の寺山は、ラジオドラマであった)

しかし“東北の人”(笑)


『光の曼荼羅』によると寺山の最初の本『われに5月を』は、中井英夫により1957年に作品社より刊行された。

ところがぼくは、『われに5月を』が、自分の本棚の奥にあることを思い出した。
引っ張り出すと、1985年に思潮社から再刊されたものである。

しかもこの本は、ぼくが買ったのではない、母が買ったのだ。
この本を開くと、以下の“字”が読める;

《五月に咲いた 花だったのに
 散ったのも五月でした》― 母


すなわち、寺山修司は、“母”より先に死ぬという、親不孝者だった(笑)

すくなくともぼくは、このような親不孝をしないですんだ。


ぼくは角川書店の友人を介して入手した、寺山自筆の歌をもっている(たぶんぼくが暗誦できる唯一の短歌)

《マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや》


しかしぼくが“ほんとうに”好きだった寺山の歌はほかにあった;

《とびやすき葡萄の汁で汚すなかれ虐げられた少年の詩を》

《海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり》

《鰯雲なだれてくらき校廊にわれが瞞せし女教師が待つ》







徒然なるままに、時の過ぎ行くままに

2011-02-05 12:21:57 | 日記



昨日は仕事で、ブログを書かなかった。

今日もニュースやいくつかのブログなどを見たが、なにも書く気になれない。

ぼくはほぼ毎日ブログを書いてきたが、こういう日が少ないわけではない。
今日はなにも書けないと“思う”日の方が多いだろう。
そして、ほとんどが本を読んでいるとき、突然書いている自分を見出す。
そういう繰り返しである。

ぼくが、“冷静で、客観的”なら、ブログは書けない。
ぼくが“とても元気”でも、“とても落ち込んでいて”も、ブログは書けない。

ぼくのブログには<日記>以外の“分類”(カテゴリー)はない。

しかし、ぼくは日記として、自分の日常(トリビアな心のうごき)も書いていない。
いや、自分の日常の“具体”を、ほとんど書かない。


昨夜、ケーブルテレビの“朝日ニュースター”の名前を思い出せない人の番組で、“記者クラブ”を批判するひとの発言を聞いた。

ようするに、“大メディア”と“政治家”(だけではない)の馴れ合い構造である。
とくにこの構造が、“日本だけ”であることも、強調された。

しかし、“そんなこと”は戦後ずっと続いてきたことであり、“誰もが知っている”ことである。

ようするに、新聞・テレビは“真実を報道していない”し、“報道する気もない”。

これが、“日本だけ”であるとは思わない。
しかし、“日本独自のシステム”はある。

この番組でも指摘されたが、“ウイキリークス”の出現が、“既存メディアの息の根を止める”可能性こそが、<現在>の問題である(“日本だけ”でなく“世界の”)

単純に、“嘘があばかれる”可能性。
そして“別種の嘘”が氾濫する可能性。

たとえば、大相撲の八百長問題について、すでに、“八百長がないスポーツはない”とか“プロレスは八百長でも面白かった”という意見が出ている。

しかもそういう感想が、“まちがって”いるわけではない。

まったく“嘘をつかないひと(ついたことがないひと)”は、人類史上、ひとりも存在しない(真実)


つまり、ここで、なにを言うのか。

“みんな”が好きなのは、人間、間違いもある(嘘もある)が、それを“反省”して、生きていく、というヨーな“生き方”である。

これも、“間違って”いない。

では、“嘘をつく技術が高度な(洗練されている)”ひと(たとえばいま“大メディア”関連で給料をもらっている人)が、社会の成功者となるとき、それは良いことなのか?(彼らは“いつ”反省するのか)

あるいは、ひとを騙したり、強姦したり、殺したりしたひとも、反省すればよいのか?

だからといって、“死刑制度に賛成”したり、“成功者に恨み言を言っても”、なにひとつ一件落着とはならない。

もっと“ふつう”に起こっていることは、自分の恨みを他者ではらすという構造である。

いじめられたひとがいじめたり、騙されたひとがだましたり、気に食わない他国(他“民族”)をバッシングする構造である。

すなわち“悪循環”。

テロにはテロ。
攻撃には防衛。
暴力には暴力。
嘘には嘘。

すなわち、“力が支配する”という<真理>。

“そうではない”という<論理>は、存在しない。

しかし、ぼくはそういう真理を憎む。

なぜなら、それは、当たり前だから。

それを、いまさら知ったと、自慢するような愚かさこそ、<最悪>だから。

そのような<言葉>が支配しているのは、“大メディア”と“大学の先生(専門家!)”の言説だけではない。

“そーしゃる・ねっとわーく・しすてむ”も同じだ。




ぼくの<このブログ>の昨日の、“ランキング”は、
“日別”5993位、“週別”5427位であった。
つまり、“ぼくより上位に”5500~6000のブログがある。

すなわち、その6000のブログは、ぼくより“人気がある”。

ブログのランキングに何の意味もないとか、ぼくには固定読者がいる、とか言える。

しかし、<現実>は、ここで決定している。

あっさり言えば、<ぼくのブログ>が、このランキングで、ベスト10に入るような<社会>は決して、やってこない。

だから、ぼくの<敵>たちは、やすらかに眠れる。