今日の日経社説に注目した。
この社説全文を最後に掲げるがその要旨は以下の通り;
★ 法的に結婚していない両親から生まれる「婚外子」の割合が欧米諸国で増え続けている。フランスでは、昨年生まれた赤ちゃんの53%が婚外子だった。2007年の統計をみても、スウェーデン55%、米国40%、ドイツ30%などとなっている。
これに対し日本は2%と格段に低い。なぜか。少子化対策を考える時、婚外子やその背景にある結婚の多様化の問題を避けては通れない。
日本に婚外子が少ない一因は「非嫡出子(婚外子)の相続分を嫡出子の2分の1とする」という民法の規定にある。法務省によると、相続で婚外子が法的に差別されているのは日本とフィリピンぐらいという。
★日本の結婚のあり方が少子化の一因となり出生率上昇の妨げになっているとすれば、障害を取り除く必要がある。それは、婚外子の相続差別をなくさねば始まらない。
ぼくはこの“論旨”に賛成であるが、この社説が“産業界の要請”として出てきたことは皮肉である。
つまりここにも、“資本主義”を考えるひとつの“要請”があるのだ。
“資本主義”は、自明の(わかりきった)ことでも、“変化しない”(保守する)ことでもない。
“マイケル・ジャクソン”も資本主義の問題なのだ。
あなたは(ぼくは)このあまりにも身近な(日常的な、空気のような)資本主義について、まったく無知である。
今日の天声人語は“クレオパトラ”について語り、編集手帳は“林芙美子”について語るけれども、そこにまったく欠けているのは、この“資本主義”に対する視点なのだ。
つまりあらゆる文化と資本主義との“関係”に対する認識である。
あなたは、以上のぼくが言っていることが、“わからない”であろうか。
もしそうなら、あなたは“資本主義”について、考えたことがないからである。
空気が見えなくても、空気はあるのである。
あなたにとって、あまりにもあたりまえであるものを、認識=想像できなくては、あなたは永遠に“無知”にとどまり、夢まぼろしとしての人生をすごすだけである。
少なくとも、次ぎの選挙でどの“党”が勝つかなどという“問題”より、こういう問題が“具体的”である。
それどころか、現在のマスメディアの腰巾着“知識人”と“お笑い芸人”(タレントともいう)が、毎日喋りちらしている“言葉”は、こういう具体性を誤魔化すためだけに機能している。
“知を愛する”ということのみが、たぶん、“人間的”である。
<参考:今日の日経社説全文引用>
”社説 日本の「結婚」は今のままでいいのか チェンジ!少子化”(日経6/28)
法的に結婚していない両親から生まれる「婚外子」の割合が欧米諸国で増え続けている。フランスでは、昨年生まれた赤ちゃんの53%が婚外子だった。2007年の統計をみても、スウェーデン55%、米国40%、ドイツ30%などとなっている。
これに対し日本は2%と格段に低い。なぜか。少子化対策を考える時、婚外子やその背景にある結婚の多様化の問題を避けては通れない。
婚外子の相続差別放置
日本に婚外子が少ない一因は「非嫡出子(婚外子)の相続分を嫡出子の2分の1とする」という民法の規定にある。法務省によると、相続で婚外子が法的に差別されているのは日本とフィリピンぐらいという。
この規定はかねて「法の下の平等」を定めた憲法14条に違反すると批判されてきた。法制審議会も1996年に規定を撤廃するよう答申を出している。しかし、最高裁大法廷が95年に合憲の判断を下したこともあって、答申は13年間たなざらしになったままだ。政治の怠慢であり、異常なことである。
最高裁決定を読むと、非嫡出子を基本的に「既婚者が配偶者とは別の相手との間につくった子ども」ととらえている。法改正に自民党が動かないのも、家族の外にできた子と家族内の子には相続で差があって当然との意見が根強いからだ。
しかし、大法廷の決定の時点ですでに15人の裁判官のうち5人が「違憲」だと厳しい意見を述べている。婚内子と婚外子で異なっていた戸籍や住民票への記載方法は改められ、記述上の区別はなくなった。婚外子の相続差別には、国連の規約人権委員会、子どもの権利委員会も撤廃を求める勧告を出している。
そもそも、結婚していない両親の子どもを指す「非嫡出子」にあたる言葉は、差別的な意味があるとして国際的には死語になりつつある。民法の規定は、婚外子が社会的に差別される原因にもなっている。まず民法を改正する必要がある。
欧米で婚外子が増えているのは、法的な差別がなくなったから、だけではない。結婚とは別の形のカップルを法的に認める仕組みが生まれ、婚外子の概念そのものが変わったことが大きい。
例えばスウェーデンにはサンボ(同せいの意)、フランスにはPACS(連帯市民協約)という仕組みがある。いずれも、結婚より緩やかな結びつきをカップルに認め、生まれた子どもには相続も含め婚内子とまったく同じ権利を与えている。男性が父親になるためには認知が必要だが、法の枠組みにしたがった同居という意味では結婚に近い。
スウェーデンではサンボがカップル全体の3分の1を占め、0~17歳の子どもの親の3割はサンボのカップルだ。スウェーデンでも晩婚化が進んでいるにもかかわらず出生率が上昇しているのは、サンボの間に出産するケースが多いためだ。
フランスでは昨年、結婚が26万7000組、PACSが13万7000組だった。サルトルとボーボワールのように、かつて未婚のカップルは社会規範への異議、反抗ととらえられていた。もうそうした意識はない。
こうした仕組みには、互いに相性を判断する「試行結婚」の意味合いがある。法律婚に比べ解消が簡単だからだ。婚外子の割合が増えたからといって、出生率が高まるとは必ずしも言えない。ただ、フランスの昨年の出生率は2.02、スウェーデンも1.91と先進国の中で高い。
今も影落とす「家」制度
日本では婚外子の相続差別撤廃とセットで法制審が答申した選択的夫婦別姓制度の導入も実現していない。夫婦で別姓を名乗ると家族のきずなが弱まるという意見があるためだ。「家」を基本にした戦前の家族制度が今も影を落としている。
06年の内閣府の世論調査では、58%が婚外子を法律上不利に扱うことに反対しながら、民法の相続規定に対しては41%が「変えない方がよい」と答え、「相続額を同じにすべきだ」の25%を上回った。これも日本人の家族観、結婚観の表れである。
結婚の形は国の文化や伝統、国民の価値観にかかわる問題だ。しかし、日本の国際結婚は70年の5500組から07年には4万組に増えた。日本人の価値観だけで結婚を考えることは、もう実情に合わない。
日本・東京商工会議所は少子化問題に対する提言の中で「伝統的な法律婚以外に事実婚や婚外子が受け入れられる社会のあり方について検討すべきだ」と訴えている。
日本の結婚のあり方が少子化の一因となり出生率上昇の妨げになっているとすれば、障害を取り除く必要がある。それは、婚外子の相続差別をなくさねば始まらない。
この社説全文を最後に掲げるがその要旨は以下の通り;
★ 法的に結婚していない両親から生まれる「婚外子」の割合が欧米諸国で増え続けている。フランスでは、昨年生まれた赤ちゃんの53%が婚外子だった。2007年の統計をみても、スウェーデン55%、米国40%、ドイツ30%などとなっている。
これに対し日本は2%と格段に低い。なぜか。少子化対策を考える時、婚外子やその背景にある結婚の多様化の問題を避けては通れない。
日本に婚外子が少ない一因は「非嫡出子(婚外子)の相続分を嫡出子の2分の1とする」という民法の規定にある。法務省によると、相続で婚外子が法的に差別されているのは日本とフィリピンぐらいという。
★日本の結婚のあり方が少子化の一因となり出生率上昇の妨げになっているとすれば、障害を取り除く必要がある。それは、婚外子の相続差別をなくさねば始まらない。
ぼくはこの“論旨”に賛成であるが、この社説が“産業界の要請”として出てきたことは皮肉である。
つまりここにも、“資本主義”を考えるひとつの“要請”があるのだ。
“資本主義”は、自明の(わかりきった)ことでも、“変化しない”(保守する)ことでもない。
“マイケル・ジャクソン”も資本主義の問題なのだ。
あなたは(ぼくは)このあまりにも身近な(日常的な、空気のような)資本主義について、まったく無知である。
今日の天声人語は“クレオパトラ”について語り、編集手帳は“林芙美子”について語るけれども、そこにまったく欠けているのは、この“資本主義”に対する視点なのだ。
つまりあらゆる文化と資本主義との“関係”に対する認識である。
あなたは、以上のぼくが言っていることが、“わからない”であろうか。
もしそうなら、あなたは“資本主義”について、考えたことがないからである。
空気が見えなくても、空気はあるのである。
あなたにとって、あまりにもあたりまえであるものを、認識=想像できなくては、あなたは永遠に“無知”にとどまり、夢まぼろしとしての人生をすごすだけである。
少なくとも、次ぎの選挙でどの“党”が勝つかなどという“問題”より、こういう問題が“具体的”である。
それどころか、現在のマスメディアの腰巾着“知識人”と“お笑い芸人”(タレントともいう)が、毎日喋りちらしている“言葉”は、こういう具体性を誤魔化すためだけに機能している。
“知を愛する”ということのみが、たぶん、“人間的”である。
<参考:今日の日経社説全文引用>
”社説 日本の「結婚」は今のままでいいのか チェンジ!少子化”(日経6/28)
法的に結婚していない両親から生まれる「婚外子」の割合が欧米諸国で増え続けている。フランスでは、昨年生まれた赤ちゃんの53%が婚外子だった。2007年の統計をみても、スウェーデン55%、米国40%、ドイツ30%などとなっている。
これに対し日本は2%と格段に低い。なぜか。少子化対策を考える時、婚外子やその背景にある結婚の多様化の問題を避けては通れない。
婚外子の相続差別放置
日本に婚外子が少ない一因は「非嫡出子(婚外子)の相続分を嫡出子の2分の1とする」という民法の規定にある。法務省によると、相続で婚外子が法的に差別されているのは日本とフィリピンぐらいという。
この規定はかねて「法の下の平等」を定めた憲法14条に違反すると批判されてきた。法制審議会も1996年に規定を撤廃するよう答申を出している。しかし、最高裁大法廷が95年に合憲の判断を下したこともあって、答申は13年間たなざらしになったままだ。政治の怠慢であり、異常なことである。
最高裁決定を読むと、非嫡出子を基本的に「既婚者が配偶者とは別の相手との間につくった子ども」ととらえている。法改正に自民党が動かないのも、家族の外にできた子と家族内の子には相続で差があって当然との意見が根強いからだ。
しかし、大法廷の決定の時点ですでに15人の裁判官のうち5人が「違憲」だと厳しい意見を述べている。婚内子と婚外子で異なっていた戸籍や住民票への記載方法は改められ、記述上の区別はなくなった。婚外子の相続差別には、国連の規約人権委員会、子どもの権利委員会も撤廃を求める勧告を出している。
そもそも、結婚していない両親の子どもを指す「非嫡出子」にあたる言葉は、差別的な意味があるとして国際的には死語になりつつある。民法の規定は、婚外子が社会的に差別される原因にもなっている。まず民法を改正する必要がある。
欧米で婚外子が増えているのは、法的な差別がなくなったから、だけではない。結婚とは別の形のカップルを法的に認める仕組みが生まれ、婚外子の概念そのものが変わったことが大きい。
例えばスウェーデンにはサンボ(同せいの意)、フランスにはPACS(連帯市民協約)という仕組みがある。いずれも、結婚より緩やかな結びつきをカップルに認め、生まれた子どもには相続も含め婚内子とまったく同じ権利を与えている。男性が父親になるためには認知が必要だが、法の枠組みにしたがった同居という意味では結婚に近い。
スウェーデンではサンボがカップル全体の3分の1を占め、0~17歳の子どもの親の3割はサンボのカップルだ。スウェーデンでも晩婚化が進んでいるにもかかわらず出生率が上昇しているのは、サンボの間に出産するケースが多いためだ。
フランスでは昨年、結婚が26万7000組、PACSが13万7000組だった。サルトルとボーボワールのように、かつて未婚のカップルは社会規範への異議、反抗ととらえられていた。もうそうした意識はない。
こうした仕組みには、互いに相性を判断する「試行結婚」の意味合いがある。法律婚に比べ解消が簡単だからだ。婚外子の割合が増えたからといって、出生率が高まるとは必ずしも言えない。ただ、フランスの昨年の出生率は2.02、スウェーデンも1.91と先進国の中で高い。
今も影落とす「家」制度
日本では婚外子の相続差別撤廃とセットで法制審が答申した選択的夫婦別姓制度の導入も実現していない。夫婦で別姓を名乗ると家族のきずなが弱まるという意見があるためだ。「家」を基本にした戦前の家族制度が今も影を落としている。
06年の内閣府の世論調査では、58%が婚外子を法律上不利に扱うことに反対しながら、民法の相続規定に対しては41%が「変えない方がよい」と答え、「相続額を同じにすべきだ」の25%を上回った。これも日本人の家族観、結婚観の表れである。
結婚の形は国の文化や伝統、国民の価値観にかかわる問題だ。しかし、日本の国際結婚は70年の5500組から07年には4万組に増えた。日本人の価値観だけで結婚を考えることは、もう実情に合わない。
日本・東京商工会議所は少子化問題に対する提言の中で「伝統的な法律婚以外に事実婚や婚外子が受け入れられる社会のあり方について検討すべきだ」と訴えている。
日本の結婚のあり方が少子化の一因となり出生率上昇の妨げになっているとすれば、障害を取り除く必要がある。それは、婚外子の相続差別をなくさねば始まらない。
>“マイケル・ジャクソン”も資本主義の問題なのだ。
という箇所に激しく同意!
よって、またくだらぬ駄文を書いてしまいました(笑)
それにしても、変な死に方ですね。アメリカン・セレブはいつもこうですね。
もっと緻密に、つめる必要があります。
ぼくも(ぼくとしては)これから、バイト仕事が”詰まって”いて、8月までは、あまり本を読めず、ブログも減るかもしれない(笑)
驚きの原因はもちろん、「婚外子差別の廃止」「婚姻形態の多様化(具体的には、事実婚の容認=選択的夫婦別姓制度の導入)といった正しい方向性を日経新聞の社説が打ち出した、ということにありますが、同時にそれが、少子化対策の一環と言う完全に的外れな目的のために、(warmgunさん仰るように)“産業界の要請”として出てきた、ということが第2の驚きでした。
婚外子の差別は憲法違反ですから、直ちに廃止すべきですが、婚外子差別を廃止したからといって、婚外子の割合が増えるということはほとんどないでしょう。また、選択的夫婦別姓制度も、すぐにでも法制化してもらいたいと十数年来思っていますが、仮にこれが実現したとしても、出生率が上がるとも到底思えません。出生率の低さは、現在の劣悪な雇用環境ゆえの20~30代の結婚難と、女性が出産・育児をする際の経済的不利益の重さが主たる原因ですから、婚外子差別や事実婚を認めていないことはほとんど関係ないと思います。
一方、なぜ日本では事実婚が少ないかというと、日本では、そもそも事実婚と同棲の違いすらほとんど理解されていないのが現状です。20年来、事実婚を実践している私も、他人にそのことを説明することの空しさにほとほと疲れ果ててしまっているので、今ではあえて自分から話すことはありません。それほどまでに、日本社会は“世間的規範”とは違う生活形態を理解しえない社会なのです。
実はぼくはこのブログを書いたとき、“少子化対策”とか“産業界の要請”というのには、いやなものを感じたが、日経=産業界でさえこういうことを提起せざるを得なくなったのか、それなら“動機”はくだらなくても、“資本主義自体の変質”という方向がありえるのでは、とめずらしく“功利主義的に楽観”しかけたのです。
そういう楽観をツナミンは、粉砕してくれました(笑)
これは(ツナミンは嫌かもしれないが)、“20年来、事実婚を実践している私”という体験にもとづくと思います。
まさに、
《それほどまでに、日本社会は“世間的規範”とは違う生活形態を理解しえない社会なのです》
ということの認識と、そういう“社会”との闘いを継続するため、微力(へたへた)ながら、無用な楽観におちらず、根底的な(基礎的な)思考を継続する思いを新たにします。