Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

小岩井農場へ

2011-06-04 10:01:00 | 日記


今年、2011年も、春がきて、初夏がきて、梅雨の季節にはいろうとしている、また酷暑の夏が来る。

この間、ぼくの頭に浮かぶ言葉があった。
この間は、たんなる季節の推移(繰り返される)ではないことも起こった。

《雪が往き
 雲が展けて(ひらけて)つちが呼吸し》


ぼくはこのフレーズをこの言葉どおり暗記していたのではなかった。
これが、どこで読んだ一節かも記憶していなかった。

天沢退二郎『宮沢賢治の彼方へ』(ちくま学芸文庫)で、この言葉が、宮沢賢治“小岩井農場・パート一”にあることがわかった。

この天沢退二郎の本も、断続的にしか読んでおらず、まだ中途である。

“きれぎれ”なのだ。

いまこのブログを書こうと思っても、この『宮沢賢治の彼方へ』に引用されている、“きれぎれ”な賢治の詩句をさまようばかりだ。

いちおうちくま文庫版『宮沢賢治全集Ⅰ=春と修羅、春と修羅補遺、春と修羅第二集』を机の上に出す。


(私はどうしてこんなに
下等になってしまったらう。
透明なもの燃えるもの
息たえだえに気圏のはてを
祈ってのぼって行くものは
いま私から 影を潜め)



これは、賢治自身が”小岩井農場”から削除したパートにあった。

『春と修羅』におさめられた“小岩井農場”はパート1からパート9までで構成されているが、パート5、パート6は、削除されている。

《二つのパートを賢治はなぜ省いたのか?》(天沢退二郎)



わたくしはずゐぶんすばやく汽車からおりた
そのために雲がぎらつとひかつたくらゐだ



これが、“小岩井農場”の書き出しである。
天沢退二郎は、賢治が、“詩を書くために”、小岩井農場に行ったことを跡付けている。

すなわち賢治は、手帳とシャープペンシルを持って、歩きながら、詩を書いた(試みた)
もちろん、賢治の詩も童話も、それからおびただしい推敲(書き直し)をともなうものであった。
(そこで、“パート5と6”は削除された)



たむぼりんも遠くのそらで鳴つてるし
雨はけふはだいじやうぶふらない


というフレーズの“たむぼりん”に、ぼくはボブ・ディランの“ミスター・タンブリン・マン”を想起する。
すなわち、ここで(ぼくのなかで)、賢治とディランが出会う。


現在、“時事的に”、<東北>は話題である。

“東北の人”、宮沢賢治。

ぼくのルーツも東北にあり、ぼくはそれを“誇る”だろうか?

いや、宮沢賢治こそ、(ぼくにとって)、唯一の“日本の近代人”である。
漱石ではない。



《幻想が向ふから迫つてくるときは
 もうにんげんの壊れるときだ》


ユリア ペムペル わたくしの遠いともだちよ
わたくしはずゐぶんしばらくぶりで
きみたちの巨きなまつ白なすあしを見た
どんなにわたくしはきみたちの昔のあしあとを
白亜系の頁岩の古い海岸にもとめたらう
(小岩井農場パート九)



宮澤賢治は、自己滅却の求道者だったか?
あるいは、ナイーブな“童話作家”、 素朴な東北の田舎者だったのか?


<ポストモダン>は、震撼せよ。
<ジャック・デリダ>は、‘こむらがえり’せよ(笑)


このひとがいたから、東北はあかるい。

このひとがいたから“日本の近代”に絶望しないで、すむ。



わたくしという現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(『春と修羅』序)



いかりのにがさまた青さ
四月の気層のひかりの底を
唾し はぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
(風景はなみだにゆすれ)

まことのことばはうしなはれ
雲はちぎれてそらをとぶ
ああかがやきの四月の底を
はぎしり燃えてゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
(“春と修羅”)




雪が往き
雲が展けて(ひらけて)つちが呼吸し



ぼくはまだ読み始めたばかりだ、

ぼくはまだ歩き始めたばかりだ。







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