Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

腐ったりんご

2009-09-24 10:53:07 | 日記
まず昨日でたニュースを読んでいただきたい;

<河野氏「腐ったリンゴを樽に戻せば全部腐る」 総裁選>アサヒコム2009年9月23日21時2分
自民党総裁選に立候補している西村康稔、河野太郎、谷垣禎一の3氏が23日、埼玉県川口市と横浜市で街頭演説した。国会議員票で優勢な谷垣氏は「国際金融、安全保障、農業政策などで誰もが一目置くベテランに国会論戦の先頭に立ってもらう」と述べ、閣僚経験者らを国会質問の場に起用する考えを強調した。
 一方、河野氏は「腐ったリンゴを樽(たる)に戻せば樽の中は全部腐る。勇気を持って取り除くための総裁選だ。我々は議員票をベースにしていない」と重鎮支配に反対する党員票獲得に意欲を示し、西村氏は「若手が先頭に立つが若手だけですべてができるとは思わない」と河野氏との違いを強調した。 (引用)

ぼくは“自民党総裁選”などにまったく関心がない。
この記事に注目したのは、“腐ったりんご”という表現に、である。

“河野氏”というのは、自分を“腐ったりんご”だと思っていないのである。
この記事の“文脈”によると、河野氏は、“自民党議員”とか“ベテラン議員”でなければ、“腐っていない”と思っていることになる。
自分を含む“若手”は、“腐っていない”と言っている。
どうしてそんなことが、言えるのであろうか?
“ベテラン”は腐っていて、“若手”は腐っていない、ということの“根拠”を述べてほしい。

もっと一般化すれば、現在日本社会には、“若者”はナイーブで純真だが、“大人や老人”は穢れて腐っているというような、無前提の(思考停止の)先入見がある(“若者”自身や“その親”にある)
ならば、人間が歳を取り、さまざまな経験を積み、“穢れてゆく”ことは、たんにネガティヴなことなのだろうか。

この“穢れた世界”で、いつまでも“新鮮なりんご”でありつづけるということは、他者との関係や、世界との関係を遮断して、自分の“純粋性”に閉じ籠ることでは、ないのだろうか。

ぼくは決して“大人”を擁護しないが、だからといって“子供や若者”を手放しで肯定することもできない。

もし、いま、《腐ったリンゴを樽に戻せば全部腐る》などと言うのなら、現実認識が狂っていると思う。

“りんご樽のりんご”は、すでにみな、腐っている。
ぼくたちは、自分が“腐ったりんご”であることを自覚し、いかにしてその“腐臭”を他者に伝染させないかを考慮すべきである。
そのためには、腐っている自らの“再生”を考えるべきである。

もし“若者”に腐っていないナイーブネスの可能性があるのなら、大人は、つまらない“教育”で、それを損なうべきではない。
“子供”や“若者”が、自ら誠実な言葉に向きあい、自ら思考する手がかりを示すべきである。

“子供”や“若者”が“テレビの言葉”ではない言葉に目覚めるように“指導”すべきである(そのためみずから“テレビの言葉”から離脱すべきである)

今日も“テレビの言葉”は、読売と朝日において、“反対”のことを言っている。
しかし、この“対立”は、茶番である、グルである。
かれらは、決して“相互批判”をしたりしない。

彼らは“あらゆる現実”をネタにしてショーバイするのみである。
それは、少なくとも、戦後60年の現代史が証明している。

方や《ケーザイ活動を停滞させるな》、方や《主要国のどこかが「地球益」を抱えて駆け出さなければ何も動くまい》などととの寝言を言うのみである。
両者ともに関心があるのは、“利益”のみである。

この”対立する“二つの選択枝しかないかのごとくである。

もし《人類の存亡にかかわる危機》に対抗する“言葉”があるのなら、それは、読売や朝日のような“言葉”には“ない”ことだけは、ぼくには明瞭である。

かれらの“認識”の基盤が狂っているのだ。
なんども言っているように、ぼくは天才ではないから、ぼくに“解決の言葉”があるわけではない。
つまり“あなた”と同じだ。

しかし、まず“テレビの言葉”を拒否して、別の言葉をさがすべきである。

そういう“若者”がひとりでも増えること、また“大人”や“老人”が自分の人生の根本的反省に立って、べつの言葉に向かい、みずから別の言葉を発する方向に向かうなら、まだ、希望はある。


<参考>

<鳩山環境演説 国内合意なき25%削減の表明(9月24日付・読売社説)>
 温室効果ガスの排出量を、2020年までに1990年比で25%削減する――。鳩山首相が、日本の温暖化対策の中期目標を、国連の気候変動首脳級会合で言明した。
 国内的な合意ができていない中、内閣発足直後にこれほど重要な国際公約を一方的に宣言する必要があったのか、疑問である。
 最も懸念されるのは、この数値が独り歩きすることだ。
(中略)
今後、米国、中国を引き込む困難な国際交渉が控える一方で、国内でも「25%減」の合意作りは、容易ではあるまい。産業界の反発は、依然として強い。
 首相は、目標達成のために、国内排出量取引制度の創設や、地球温暖化対策税の検討などを挙げたが、これらの施策が、景気回復の足かせとなる恐れもある。
 経済活動を停滞させずに、排出削減をどう実現するのか。首相は早急に道筋を示す必要がある。


<今日天声人語>
▼大排出国の米国、中国は牽制(けんせい)し合い、大した約束をしていない。新首相のスタンドプレーで国民や企業が不公平に泣くことはないか。そんな懸念もあろう。外交舞台では人気者より、ずる賢い嫌われ者が国益を守ることがままあるからだ▼だが、人類の存亡にかかわる危機は切迫している。主要国のどこかが「地球益」を抱えて駆け出さなければ何も動くまい。そして日本が走るなら、政権交代に世界の目が集まる今である。途上国支援を鳩山イニシアチブと自称したのも、日本の型を破る自己主張だった▼もちろん、欧州勢は絶賛だ。海千山千たちにハシゴを外されないよう用心しながら、これからも得意の「非軍事」で汗をかくのが日本の正道だろう。そうして蓄えた国際社会の尊敬と信用は、いずれ国を救う。目先の、ちまちまとした損得よりよほど意味がある▼この国が、慣れぬ手で握りかけた主導権だ。かくなる上は米中や途上国を動かし、国内の説得に努めるしかない。「格好よさ」に見合う責任が鳩山政権にのしかかる。追従しない外交とは、本来そういうものである。



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