Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

Snapshot;つまらない大人

2010-01-11 11:03:24 | 日記


今日成人になるひとは、1989年生まれだそうだ。

1989年というのは、バブル経済まっ盛りであり、昭和天皇が崩御し、元号が昭和から平成に変わり、「政治とカネ」が問題となったリクルート事件が起き、参院選では与野党の勢力が逆転し、国外では、中国で多数の学生や市民が犠牲になった天安門事件が発生し、東西ドイツを隔てていたベルリンの壁が崩壊した。
1989年というのは、ぼく個人にとっても、転換の年だった、失業期間を経て、新しい職場に就職し、地方都市へ単身赴任したのだ、忘れることができない年だ。

つまり、当時ぼくは<大人>だったし、それ以後も大人を続けている(らしい)。


さて、“大人の言説”というのがいかにつまらなく、紋切り型であり、ひとのこころを打たないものであるかの<見本>をふたつ掲げる。
もちろん、今日だけでも、このような<言説>は、無数に聞ける;


読売新聞社説;
多くの人に会う。旅行に出かけて見聞を広げる。新聞や本を読んで、世の中の動きや様々な考え方があることを知る。人生経験を重ね、知力を磨き、自身を鍛える中で適性も明確になっていく。
 今年は夏に参院選がある。選挙権の行使は、大人社会に仲間入りする一歩である。日本の将来を選択する貴重な1票を大切に使ってもらいたい。
 自分たちがこれからの社会を支えていくという自覚が必要だ。

朝日新聞社説;
古今の英知を体系的に蓄え、未来に伝える。豊かな精神を育み、知性を鍛える。豊富で確かな情報を集めて提供し、住民の生活や仕事に役立てる。図書館は多様な機能を持った知恵袋だ。行政の担当者、図書館で働く人たち、住民らが協力して素晴らしい図書館を育てれば、それは地域社会の優れた核になるはずだ。
(以上引用)


ああ、大人とは、このように退屈な存在なのであろうか!

このように新成人に呼びかける大人の言葉こそ<貧困>と言わずして、なんと言えばよいのか。

新成人というのは、“貴重な1票”を行使する(できる)“だけ”の存在、<無数>のなかのただの<1票>でしかないことを<自覚>するのだろうか。

あるいは<図書館>で、“古今の英知を体系的に蓄え、未来に伝える”のだろうか!

読売や朝日のサラリーマンのように、<ニッポン国>の<知恵袋>になって、安泰な生涯を送ればよいのだろうか!
まさにこのようなかたがたが、《自分たちがこれからの社会を支えていくという自覚》をお持ちらしいのである(爆、ば~か)


まったく、“大人の仲間入り”などしたくないものである。



*写真;むかし、”大人は判ってくれない”という映画があったのね。



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