Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

ゴダール語録

2011-06-29 07:22:19 | 日記


ゴダールの発言だけを集めたツイッターというものを見つけた。

ピンとくるものと、そうでないものがあるが、なぜか読み続けられる。

ゴダールの伝記よりも、ゴダールの映画よりも面白い(笑)かもしれない。

ゴダールは“ツイッター”なのかもしれない;


★ godard_bot Jean-Luc Godard
映画はどれもみな、どんな人の一日の生活よりも想像力に欠けています。ところが、それを見る人たちは、二ドル払わせられたうえになお、その映画は自分の人生よりもずっと素晴らしいと思いこまされているのです。―ゴダール
6月21日

★ godard_bot Jean-Luc Godard
夢が今でもまだ大きい力をもっているのは、夢はサイレント映画の時代に属するものだからだ。夢はテレビの時代のものじゃないわけだ。―ゴダール
6月21日

★ godard_bot Jean-Luc Godard
苦しみを託されたものとしての映画、―ぼくはこれはすぐれた観念だと思う。そして、自分に大げさに考えるべきじゃないと言い聞かせながら、この観念を自分に適用している。―ゴダール
6月22日

★ godard_bot Jean-Luc Godard
だから、映画を撮るというのはきわめて単調な仕事です。そしてそのために、人々はあれこれと技巧をもちいたり、多くの人を呼び集めたりすることによって、その単調さを完全に隠してしまおうとします。―ゴダール
6月22日

★ godard_bot Jean-Luc Godard
まただからこそ、私は自分に、「物語というのは、ひとが自分自身の外へぬけ出るのを助けるものなのだろうか、それとも、自分自身のなかにもどるのを助けるものなのだろうか?」という疑問をなげかけるわけです。―ゴダール
6月22日

★ godard_bot Jean-Luc Godard
アマチュア映画では、パパが自分の娘を、クリスマスに一度とバカンスのときに一度撮るだけです。そこには二つの映像しかなく、それでは十分じゃありません。だからこの場合は、映像をいくらかふやしてやる必要があります。―ゴダール
6月22日

★ godard_bot Jean-Luc Godard
私がこれまでに何本かの映画をつくり、今もなお映画をつくろうと努めているのは、ただ単に、こわいからです。私は仕事を手に入れることに関しては、だれもあてにしていません。だから私には、明日になって仕事がなくなっていることがこわいのです。―ゴダール
6月22日

★ godard_bot Jean-Luc Godard
ひとははじめのうちは、自分は自分を表現していると思い込み、その表現のなかに、自分のなかから生まれたものではない、ある大きな感化の運動が入りこんでいるということを理解しようとしません。―ゴダール
6月23日

★ godard_bot Jean-Luc Godard
よくおぼえていますが、私は『気狂いピエロ』を撮りはじめる一週間前は、完全なパニック状態におちいっていました。なにをすればいいのかわからなくなったのです。―ゴダール
6月23日

★ godard_bot Jean-Luc Godard
映画史というのは、自らの歴史をもつことができる唯一の歴史だということです。なぜなら、映画史というのは自らの痕跡をもっている唯一の歴史だからです…人々がこしらえたさまざまの映像が残っているからです。―ゴダール
6月23日

★ godard_bot Jean-Luc Godard
テレビというのは不安を扶養するなにかだ。人々に責任があるにしろ、あるいはもはやないにしろ、今では人々の肉体に不安が定着しつつあり、しかもその不安は、ときどきあまりに強力なものになる。―ゴダール
6月23日

★ godard_bot Jean-Luc Godard
ジャーナリストというには人から吹きこまれたことをそのまま記事にするものなんだ。だから、できのいいプレスシートをつくれば、それはかならずあちこちに掲載されると確信できるわけだ。―ゴダール
6月24日

★ godard_bot Jean-Luc Godard
フォードのなかには、映画は映画にほかならない。映画は単純なものだという観念がある。そして彼は、いつも同じ主題をとりあつかっていた。彼がより作家的ないしはよりヨーロッパ的な映画作家だったのはそのためだ。―ゴダール
6月25日

★ godard_bot Jean-Luc Godard
かつて映画と認められていたような映画、映画館で上映されるたぐいの映画は今では姿を消しつつある。そうした映画は今では、テレビとともに別のなにかにかわってしまったんだ。そしてその別のなにかを見つけ出す必要があるわけだ。―ゴダール
6月25日

★godard_bot Jean-Luc Godard
ぼくは一人の女優と一緒に仕事をし、その女優を映画に出演させ、しかもその女優と一緒に暮らしていたということだ。こうした部分については語られていないんだが、でもこうした部分が生きられていたんだ。―ゴダール
6月25日

★ godard_bot Jean-Luc Godard
ぼくと一緒に仕事をした人たちはみな、父親を必要とする人たちだったんだ。同様に、ぼくのなかにはしばらく前から、女優を自分の娘とみなし、家族として、映画における家族として一緒になにかをつくりたいという欲望があった。でもこれもまた誤りだった。―ゴダール
6月25日

★ godard_bot Jean-Luc Godard
コクトーの言葉によれば、映画は《死神が仕事をしているところをとらえる》唯一の芸術だ。撮影されている人はみな、そのとき年をとっている最中であり、いずれは死ぬことになる。だからそのとき、死神が仕事をしている瞬間が撮影されていることになるわけだ。―ゴダール
6月26日

★ godard_bot Jean-Luc Godard
ぼくにとっては映画を撮っているときと撮っていないときという、互いに異なった二つの人生があるわけじゃない。映画を撮るというのは人生の一部をなすことであるべきだし、ごく自然でごくふつうのことであるべきなんだ。―ゴダール
6月27日

★ godard_bot Jean-Luc Godard
大事なのは自分は存在していると感じるということなんだ、われわれは一日のうちの大半はこの真実を忘れてすごしているものだが、それも、家々とか赤信号をながめているときに突然、この真実がうかびあがってくる。―ゴダール
6月27日


★ godard_bot Jean-Luc Godard
夜のパリを車で走っているときに目にするものはなにかと言えば、赤、青、黄色の信号だ。ぼくはこれらの要素を、かならずしも現実にあるものとして配置しようとはせずに提示しようとした。―ゴダール
13時間前






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