Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
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“その時なりの状態を生きる、それでいい”

2012-09-14 05:08:00 | 日記

ちょっと前(5月)の記事を読むことができた。

ぼく自身、現在、立岩真也の『私的所有論』に取り組み中であり、立岩真也の“思想”を充分に理解しているというわけではないが、この“思考=行動”は、現在日本で読むにあたいするほとんど唯一の思考ではないかとは、考えている、引用する(立岩発言部分はゴチック);


<生きられる世に変えよう 生存学を研究する立岩真也さん 「死に急ぐことを勧める風潮」に疑問> 『読売新聞』大阪本社版2012-5-24 夕刊 心面

 まずは生きること――。立命館大先端総合学術研究科教授の社会学者、立岩真也さん(51)は、5年前から「生存学」の研究を率いてきた。観念的に生の意味を探るのではない。むしろ世の中のありようが人の生を左右している現実がある。であれば、生きやすくするために社会の制度を変えるのも、技術を活用するのも、大事なこと。死に方を考える前に、生きる技法とそれを支える手だてを考えようではないか、と言うのだ。(編集委員 原昌平)


●「障老病異」と社会

終末期医療や仏教など、死にかかわるテーマに社会的な関心が高まっている。
「いや、ブームはずっと前からで、死生学とか、いかに死ぬかといった本は1980年代からわんさと出ている。日本人は死の話を避けてきたと言われるけれど、実際は盛んに語ってきた」
そこに違和感があった。
「なんだか死に急ぐことを勧めるような風潮。生きることが先ではないのか」

2007年度に政府のまとまった研究費(グローバルCOE)を得て「生存学」創成拠点が設立された(現在は学内の生存学研究センターが活動を引き継ぐ)。
柱にしたのは「障老病異」。いろいろな障害、老い、病気、あるいは少数派の体や心を持つ人たちが、どのように生きてきたのか、当事者の側に立って歴史や現状を調べることに重点を置いた。重度の身体障害、視覚障害、血友病、性同一性障害などの大学院生も研究に加わった。

親による障害児殺しが相次ぐ中で「殺すな」と訴えた脳性まひ者グループ。隔離収容と差別を変えようとする精神医療の改革運動。人工透析の保険適用・公費負担を実現させてきた患者団体。24時間介護を求める重度障害者……。
「社会は90%の多数派用につくられている。それはひとまず仕方ないとしても、残り10%の人たちに生じる不利は社会がカバーすべきだ。社会保障はもちろん、移動の自由も、点字や字幕などのコミュニケーション手段も、社会で生きるのに欠かせないし、差別や排除があれば生きにくい」

生存のための闘いは、今も続いている。


●危うい「自己決定」

延命治療はいらない、それを拒む自己決定を尊重せよという主張がある。生命維持の中止や不開始に、法的な免責をほしがる医師も多い。
「医療全体で言えば、患者の自己決定は時代の流れ。しかし死ぬという選択は別ではないか。本人の意向は大事だが、元気な時に単純に○×で決められるものではない」

そして医療の内容には、診療報酬制度など社会的な要因が大きく関係する。
「過剰医療は、医療行為ごとに点数を加算する『出来高払い』に伴って起きた。近年は検査や点滴、投薬をしても定額の『包括払い』が増えており、やらないほうが病院は得になる。過剰医療ばかりとみるのは認識が古い」

日本では、家族や社会に負担をかけたくないと考える人が多い。そういう理由で延命を拒むとすれば、本人の希望といえるのか。
「緩和ケアや看護・介護が十分になされているか、本人の側に身を置く人がいるかによって、その時の気持ちは違ってくる。一方、『死に方はこうあるべきだ』と著名人が語ったり、法律ができたりすると、世間的な圧力になる」

自己決定といっても、周囲の状況や社会の影響を必ず受けるということだ。


●その状態なりの生

神経難病のALS(筋萎縮性側索硬化症)は、全身の筋肉がしだいに動かなくなり、進行すると自力では呼吸もできなくなる。人工呼吸器を着けて生きることを選択する人は3割ほどだ。立岩さんは、そうした患者たちが伝えた体験の記録を多数、集めた。
「全く意思伝達できない状態が2年ほど続いた後、脳波を読み取る装置で対話できるようになった人の文章も読んだ。死ぬほどつらかったという記述はなく、景色が見えたり声が聞こえたりする喜びはあったという。放置されたらたまらないが、親身なケアがあれば違うかもしれない」

認知症になったら長く生きたくないという人も多い。
「恐怖心はわかるが、そうなったら、なったなりの人生があるのではないか。否定するのは、認知症の人たち全体を蔑視するのと紙一重。自分はいつまでも同じではない。その時なりの状態を生きる。それでいいという考え方もできるのではないか」


◆たていわ・しんや
 1960年、新潟県佐渡島生まれ。東京大社会学研究科博士課程単位取得退学。千葉大、信州大を経て2004年から立命館大大学院教授。07年4月から今年3月まで同大学生存学研究センター長。著書に「私的所有論」「弱くある自由へ―自己決定・介護・生死の技術」「ALS 不動の身体と息する機械」「良い死」など。







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