Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

前田 愛

2010-01-04 13:40:33 | 日記


★ ユートピア文学が、閉ざされた空間、組織化された空間のなかで、人間の幸福を実現しようとする熾烈な夢想の産物であるとすれば、それはもっとも深い意味で、牢獄という権力の装置とアナロジイの関係をもつことになるだろう。牢獄もユートピアも<都市>を母胎としてうみおとされた亜種にちがいないからである。

★ ルネサンスの訪れにあわせて復活したユートピア文学は、ふつう語り手である航海者が大洋のただなかにある未知の島を発見するところからはじまることになっている。この島は堅固な城壁で囲まれていて、その内側には理想の都市のすばらしい景観がくりひろげられるというわけだ。いかにも大航海時代にふさわしい導入部だが、海中に孤立した黄金の島そのものが、牢獄ないしは流刑地を逆転したイメージではないのか。事実、法外な成功とロマンチックな冒険への期待でバラ色に染めあげられた新世界の黄金卿は、同時にまた旧世界から追放された重罪犯人がおくりこまれる暗鬱な流刑地でもあった(1776年の独立戦争がはじまるまで、イギリス本国からアメリカの植民地に護送された囚人は、毎年千人をこえていた)。

★ しかし、獄舎とユートピアの通低を示唆するうごかしがたい証拠のひとつは、ユートピア文学がしばしば実際の囚人によって構想されたということである。かれらは監禁の場所としての牢獄が、夢想の場所でもあるというパラドックスを文字どおりに生きた人たちだった。たとえば『太陽の都』をのこしたカンパネラは、27年のあいだナポリの監獄に幽閉された愛国者であり、エロスのユートピアを百科全書ふうの克明さで描きあげたサド侯爵は、23歳でヴァンセンヌ城に拘留された1763年から1814年の死にいたるまで、その生涯の大半を監禁状態のもとですごした。カンパネラやサド侯爵が、そのユートピアの世界に解き放った権力意志や性的な欲望のかたちに、監禁生活の陰鬱な体験が刻印されていることもまぎれがない。

★ 丘のうえに屹立する城塞が七重の環状地帯で囲繞される<太陽の都>の設計図はそれ自体が牢獄的なイメージであるし、「共同体たる全体の一部でないような個人の私事はない」という太陽都民の格率も、理想的に運営されている獄舎の組織を連想させる。M.フーコーのいうように、サド侯爵の場合は、「砦」、「独房」、「修道院」、「近よりがたい島」などの閉ざされた場所のイメージがそのユートピアと分かちがたく結びついていたし、快楽を増進する装置や機械は、拷問の刑具とほとんど見分けがつかなくなる。放蕩者が美少女を誘う個室もまた獄舎のイメージそのものなのだ。

<前田愛;“獄舎のユートピア”-『都市空間のなかの文学』>





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