Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

ドゥルーズ

2010-01-04 22:42:34 | 日記


★ 哲学の本領は常に概念を創造するところにある。私は、形而上学の超越とか哲学の死といった問題に頭を悩ましたことがありません。哲学には概念を創造するという、申し分なく現在的な使命があるからです。この点で哲学者の代役がつとまる者はいません。むろん、プラトンの「対抗者」からツァラトゥストラの「道化」にいたるまで、いつの時代も哲学には対抗者がつきものでした。現在では「概念(コンセプト)」や「創造的(クリエイティヴ)」という言葉を横取りした情報科学や通信や商業開発が哲学の対抗者となり、例の「企画担当者」とかいう人たちが、物を売る行為こそ最高の資本主義的思想であると主張し、商品のコギトを表明してはばからない鉄面皮な種族を形成しているのです。そうした強い圧力を前にすると、哲学はわが身の微小さと孤独さを感じてしまうわけですが、しかし、たとえ哲学が死ぬことになったとしても、それはまず笑い死にでしょうね。

★ 哲学は伝達をおこなうことがないし、観想的でも、反省的でもない。常に新たな概念を創造し続ける点で、哲学はその本性からして創造的だし、革命的なものにもなりうるのです。唯一満たさなければならない条件は、概念が必然性だけでなく、ある種の異常性をもつということですが、問題と呼ぶに値する問題に対応しているかぎり、概念というものは必然性と異常性の色に染まるのです。概念とは、思考が単なる意見や見解に、あるいは議論や無駄話になりさがるのをさまたげるもののことを指す。したがってあらゆる概念が逆説となる。それで当然なのです。

★ 知識人は膨大な教養を身につけていて、どんなことについてでも見解を述べる。私は知識人ではありません。すぐに役立つような教養もないし、知識の蓄えももちあわせていませんからね。私が何かを知っているとすれば、それは当座の仕事の必要上知っているだけなのであって、何年もたってから過去の仕事にもどってみると、一切を学びなおさなければならなくなっているほどです。かくかくしかじかの点について見解も考えももたないというのはとても気持がいい。私たちはコミュニケーションの断絶に悩んでいるのではなく、逆に、たいして言うべきこともないのに意見を述べるよう強制する力がたくさんあるから悩んでいるのです。

<ジル・ドゥルーズ;“哲学について”-『記号と事件』(河出文庫2007)>





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