Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

トカトントン

2010-10-21 10:38:06 | 日記


《トカトントン》とは、ある<音>である。

すなわち太宰治の短編のタイトルである。

この音をぼくは(ぼくも)ひさしぶりで聞いた。
宇野邦一の“崩壊の歴史家―太宰治”という文章で。

ぼくはこれまでに、“この「トカトントン」が印象的だった”という文章をいくつか読んだ記憶がある。
またぼくも、何十年も前に読んだこの短編を憶えている。

読んでないひとのために宇野氏の描写を引用する;

★ 『トカトントン』は終戦後のある日、大工のハンマーのトカトントンという音を聞いて、すべてが空しくなってしまうという体験を書いたものだ。何をしようとしても、何かに感動しても、いつもこの音が聞こえてきて、すべてが空しくなってしまう。


さらに宇野氏は太宰には“対極的なもの”があったとする、たとえば『右大臣実朝』や『惜別』である;

★ 実朝は、『斜陽』の「お母さま」に似て、権力からも倫理からも解放され、いつも穏やかに微笑し、光や風と戯れ、結局は、この世界の暴力や不条理の犠牲になるしかないような存在である。


すなわち宇野氏は、実朝や魯迅に“ナイーヴなデリカシーを注ぐ”太宰の対極に、“崩壊の道を歩む悪魔”としての太宰のデカダンスを見ている。


しかし宇野氏は以下のように語る;

★ 太宰の生きたほんの短い「戦後」は、太宰の崩壊をおしとどめるどころか、かえって加速したようだ。だからといって太宰は戦争をまったく無傷に生き延びたわけではない。太宰が示した「崩壊」に対する醒めた意識によってこそ、人は戦争のような事態にも耐えるのだし、また戦争のような事態がなくても、確実に消耗し滅んでいく。そういうあたりまえで、異様なところに太宰はいつづけたので、いまも稀有な「歴史家」であり続けている。


ぼくはこの“結論”を、“まっとう”だと思う。
しかし、ぼくは“トカトントン”が好きではない。

つまり<音>(音響)の問題である。

ぼくはジミ・ヘンドリックスのギターの“ゆがんだ”音や、ジャニス・ジョプリンの“しぼりだす声”が好きである。

逆に、キース・ジャレット、ゲーリー・ピーコック、ジャック・デジョネットがトリオを組んだ最初のアルバムの最初の曲(“Meaning Of The Blues”)イントロの音の<完璧な関係>が好きである。
あるいは、グレン・グールドのピアノによる、毅然としてかつ陶酔的かつ夢想的なバッハが。


ぼくは宇野邦一に“反論”したいのではない。

ただ<音>のことを言いたい。





メルロ=ポンティ

2010-10-21 08:51:02 | 日記


★ 通常、現象学では、あらゆる事象は「射影」を通して私たちにもたらされると考えられている。つまり、どんな事象も「ある側面から」「ある遠近方において」「漸次的に」知覚されるしかなく、そのつど与えられる事象の側面が「射影」と呼ばれるわけである。

★ 例えば、ここに立方体があるとしよう。立方体とは「六つの正方形によって囲まれた立体」であるわけだが、その意味では、私たちには、立方体を「見る」ことなどできはしない。なぜなら、私たちは常にこの「射影」による接近を余儀なくされている以上、どこから眺めても、各側面は、平行四辺形や菱形になるわけで、たとえ首尾よく一側面を正方形として見ることができたとしても、立方体はすべてこの側面の背後に隠れてしまい、ついには立体としてさえ捉えられないことになるだろう。

★ いや、偏在する神ならば、一瞬のうちに立体を見てとることができるに違いない、などと言ってみても詮無いこと。まずは、同時にあらゆる視点からものを見るということが何を意味するのか、とくと考えてみる必要があるはずだ。「見る」とは、そもそも、どこか限定された場所から、これまた限定された側面を見るということではないのか。さもなければ、「水平線」も、「山の稜線」も、「リンゴの輪郭」もすべては失われてしまう。

<加賀野井秀一『メルロ=ポンティ 触発する思想』(白水社2009)>






テレビで中継される世界

2010-10-21 08:15:46 | 日記


今日の‘あらたにす’新聞案内人=西島雄造(ジャーナリスト、元読売新聞芸能部長)を読んでみよう;

☆ チリ・コピアポのサンホセ鉱山落盤事故現場は、まるで野外劇場と化した。事故の映画化も目論まれているというが、CNNやBBCによるテレビ中継を通じてとはいえ、視聴者が体験したこれほどの臨場感を、改めて映像化するのは、至難の技だろう。
☆テレビが通信衛星を介して初の日米同時中継を試みた1963年11月23日朝6時(日本時間)。ジョン・F・ケネディ大統領の演説は、『ダラスの悲劇』を伝えるニュースにとって代わった。その2年前の5月、大統領自身が「60年代にわが国は、月に足跡を残して地球に帰還する」ことを約束したアポロ計画に基づき、69年7月20日、アポロ11号は月面着陸に成功。人類が月面を歩く、その中継映像を世界が共有した。
(以上引用)


ということで、この文章のテーマは、テレビが世界を中継するということであるらしい。

たとえば、上記にある“ダラスの悲劇”とか“人類が月面を歩く”を、ぼくはテレビで見た、“2001.9.11”も見た。

そういう映像について自分がそのとき感じた“衝撃”を語ることもできるだろうが、むしろぼくが今思うのは、そのとき、ぼくは“世界を見たのだろうか?”という疑問である。
なにも見ていなかったのではないか。

上記の(長たらしい)西島雄造(ジャーナリスト、元読売新聞芸能部長)の文章の最後も以下のように結ばれている;

☆<命のカプセル着々「神が引っ張ってくれた」><地底から奇跡の生還><救出劇 世界沸く><家族が勇気くれた>と新聞各紙に躍った見出しにうなずく日々だった。
<絶望から希望へ>と、全員生還の感動を新聞が伝えた同じ15日、朝日の朝刊《時時刻刻》は<アフガン戦争10年目>を特集していた。記事は「米軍など外国軍の戦死者が今年、既に580人以上と過去最悪を更新」と記していた。
人類の行動は、いぜん矛盾に満ちている。
(引用)


《人類の行動は、いぜん矛盾に満ちている》というのが“結論”である。

しかしいったい《人類の行動が矛盾に満ちていない》ということは、どういう事態なのだろうか。

そういう<世界>が実現することがあるのだろうか。
そういう世界を“実現すべき”なのだろうか。
“実現すべき”なら、どうすればよいのだろうか。

テレビで中継される世界に、新聞で報道される世界に、《うなずく日々だった》という“世界認識”で、よいのであろうか?

そもそも、“この世界には矛盾がある”ということを認識するのは、たんに“世界を認識する”ことではないのだろうか。

すなわちぼくたちは、<たんに世界を認識して>いるのだろうか?

新聞やテレビを通じて、殺到する<世界>は、そもそも<世界>を“中継して”いるだろうか。

あるいは、その<映像>や<文章>を、ぼくたちは、ほんとうに“読めて”いるのだろうか。

“元読売新聞芸能部長”という肩書きを持つ“老人”は、自分のキャリアの最後に、《人類の行動は、いぜん矛盾に満ちている》と詠嘆して“終わる”だけなのだろうか?

“ジャーナリスト”とは、何をする人々なのか。

“ジャーナリストでない人々”は、ただ彼らが“中継する”世界に、《うなずく日々だった》でよいのであろうか。