Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

善きサマリア人

2010-10-10 20:37:29 | 日記


★ 私は、かつて、現代社会における次のような事実を指摘しておいた。消極的な自由について言えば、自由は、今や、十分すぎるほどに保障されている。「消極的な自由」とは、他者によって阻害されたり、禁止されたりしていない状態である。われわれは、ある意味で、寛容で許容度の高い社会を生きている。それならば、われわれは自由を謳歌できているだろうか?ところが、どういうわけか、生はなお空虚で、閉塞感を帯びたものとして感じられるのだ。あなたは何をしてもよい、と言われる。ところで、私は何をしたらよいのか?何をすべきなのか?何をしたらほんとうに生きていることになるのか?そうした指針がまったく蒸発してしまったように感じられる。それが現代社会における自由の困難である。自由の過剰と自由の空虚化が同時進行しているのだ。その原点には、第三者の審級の撤退がある。

★ 自由は、他者との関係の中で発生すると述べた。その他者を、私は、第三者の審級と呼び換えてきた。しかし、その呼び換えは、実は過剰なものである。自由が他者との関係の中に宿るのは、私がこの私であるという最小限のアイデンティティの中に、<他者>への存在への参照が含まれてしまうからである。

★ ここで肝心なことは、その<他者>は、第三者の審級でなくともよい、ということだ。それは、ごく普通の他者、第三者の審級へと転回する以前の他者である。そのような<他者>との間で、自由を、純粋状態で、いわば発生状態で復活させることができるのだ。

★ イエス・キリストの「善きサマリア人」の喩えを、このような文脈で思い起こしてもよいかもしれない。これは、ある律法学者がイエスを試そうとして、「隣人を愛しなさいというが、隣人とは誰のことか」とイエスに質問したときに、イエスが与えた答えである。

★ 神(第三者の審級)への近さを標榜する祭司やレビ人は、強盗に襲われた人に対して隣人として振る舞うことはなかった。サマリア人だけが、そのように振る舞ったのだ。彼は、神の問いかけに応えてそうしたのではない。ただ、路傍で倒れている人の呼びかけに応えただけである。

<大澤真幸『生きるための自由論』(河出ブックス2010)>






気温の変化と頭の変化

2010-10-10 15:42:22 | 日記


普通海外旅行から帰ると、“時差は大丈夫?”と聞かれる。

すなわち“時差ボケ”とは、頭の状態だったり、睡眠の問題だったりする。
ぼくの今回の旅行後の状態もそうではあるが、ぼくはもうきちんとした勤め人ではないので、睡眠時間は普段から乱れている。

むしろ食事時間が乱れたので、ぼくの胃袋の対応がおかしい。
さらに今回は、“気温変化”である。
スコットランドは、やはり気温が低く日本の11月ごろの気温かなと思えた。
帰って、“やっぱ日本の方が暖かい”と思う間もなく、ここ数日はスコットランド並みの気温である(自分の家にいるとかえって寒く感じる)
なにしろ数週間前は、“あの暑さ”だったのである、あまりにも変化が激しいではないか。


というわけで、なんか“頭がおかしい”ような気もする(笑)
どうもぼくの悪い癖で、自分の頭の調子がおかしいと、“世間”の頭の調子もおかしく“見える”のである。

そうして、“いやいや<世間がおかしい>のは、近日のことではない、今年のことではない、昨年もおかしかったし、ゼロ年代はずっとおかしいし、その前もおかしいし、ぼくが生まれた<戦後>ずっとおかしかった”と思うのである。


たとえば、昨日、たまたま1946年というぼくの生まれた年に書かれた渡辺一夫というひとの「空しい祈禱」という文章(『寛容について』筑摩叢書-所収)を読んだが、そこで渡辺一夫は“日本国民の「没理性」と日本知識人の戯作的逃避と「さび」的自慰”に憤っている。

この自分の文章が『寛容について』に収録されるにあたり、1971年、渡辺一夫は以下のように書いている;

★ この雑文は、『著作集』に収録してない。敗戦直後に綴られたものだけに、私自身が奇妙に興奮していたり思いあがったりしているところが目だっているので、再録を遠慮したのである。その上、天皇陛下が、「神格否定」の勅書を下されるという奇妙な時期に書かれた拙文には、現在の人々に全く通じないところが多々あると思ったからである。ところが、『著作集』の編輯をして下さった二宮敬氏も大江健三郎氏も、この拙文を読んで居られ、少なくとも、ある時期の記録として記憶して居られることを知ったので、生恥を曝すことを覚悟の上で、本書には収録した。
★ この「空しい祈禱」全体にこめられた祈禱の空しさは、現在の日本が実証しているように思えてならぬ。


渡辺一夫は1975年に亡くなっている。

いま、こういう過去の文章を読んでぼくが注目するのは、
《現在の人々に全く通じないところが多々あると思ったから》
《現在の日本が実証している》
である。

すなわち<この現在>とは、“1971年”のことである。

すなわち、ぼくは、いま、<この現在>が、“2010年”であることを知っている。
1971年の現在に“通じなかったこと”は、2010年の現在に、“通じる”であろうか?
また、1971年の現在の日本が《実証している》ことは、2010年の日本において《実証していない》であろうか?


現在の日本で、“通じている”言葉とは、どのような言葉であろうか?

昨日のブログで引用した言葉を再録する;

☆ 「僕は決して選ばれた人間でもないし、また特別な天才でもありません。ごらんのように普通の人間です。ただある種のドアを開けることができ、その中に入って、暗闇の中に身を置いて、また帰ってこられるという特殊な技術がたまたま具わっていたということだと思います。そしてもちろんその技術を、歳月をかけて大事に磨いてきたのです。」(村上春樹発言)


なぜ、これらの言葉は、<通じる>のだろうか?

昨日のぼくのブログ<村上春樹の世界性>を、“ちゃんと”読んでくれた読者のなかには、ぼくのブログの“論理展開”に不審を感じられた方がおられるかも知れない。
すなわち“追記”における、<悪>の提示に、である。

しかし、上記の村上発言をよく読んでほしい。
《ただある種のドアを開けることができ、その中に入って、暗闇の中に身を置いて、また帰ってこられるという特殊な技術がたまたま具わっていたということだと思います》(引用)

《ある種のドアを開けることができ、その中に入って、暗闇の中に身を置いて、また帰ってこられるという特殊な技術》
という場合の、<暗闇の中に身を置いて>の<暗闇>のことを、ぼくは<悪>と把握した。

だからぼくは村上春樹世界における、<暗闇=悪>の把握とそれとの‘たたかい’に、具体性がない、と批判している。


暗闇。

それは、たとえば、“心の闇”というよーな、“常套句”と化している。
また、“政治とカネ”のよーな、“巨悪”は結局、なにひとつ解消していない。

まさに“巨悪”は、巨悪内部の“内部抗争”を繰り広げているだけではないか。

たとえば、正義の味方=朝日新聞は、今日も、ノーベル平和賞中国人権活動家への中国政府の弾圧に憤り(天声人語)、NHK記者の報道責任について御託をたれている(社説)。

ごもっともなことである。
しかし問題は、朝日新聞社自身はどうなのかということである。

すなわち、もし“巨悪”というものがあるのなら、それは朝日新聞社を“含む”この社会システムの総体を意味する。
朝日新聞が、“保守”しているものは、このシステム自体である。

しかしいったい、“巨悪”と“小さな悪”をどうやって“分類”するのだろうか?

他国の人権活動家への“政府の弾圧”を本当に憤るなら、自国の“人権”についても、鋭敏でなければならない。
現在の日本を、“あらかじめ人権が保障された社会”であるかのように捉える言説に、“思考”はあるのだろうか。
他社の“報道倫理”について、説教を垂れるほど、朝日新聞記者には<倫理>があるのか。

ぼくがこのブログにおいて、近日、<正義>とか<悪>のようなベタな概念を使用することは、自分自身、けっして愉快ではない。

たとえば現在、“通じる言葉”は、<悪>を<暗闇>と言い換える言葉であることを、ぼくが知らないわけはない。

それが、<文学>であると?それが<デリケート>であると?

しかし、このすべてに排気ガスがかかったような<言論>状況は、いったいなんなんだ!(笑)


天木直人ブログは言う;
《小沢叩きから中国叩きにたくみにシフトした大手メディアの卑怯さ》


そういうことでもある。
しかし“卑怯さ”というのは、“大手メディア”のみにあるのだろうか。

あっさり言って、現在、いったいどこに“卑怯でない”ひとがいるのだろうか?

ぼくが最近自分で書いて、(読み直して)、気に入った自分の言葉がある;

《自分が例外であることなんか、ひとつもない》