Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

昨日のぼくのブログに対するコメントへの応答

2010-10-29 09:27:55 | 日記


昨日このブログに書いた“いじめるひとと、いじめられるひと”について、ふたつのコメントをいただいた。

ぼくはこのブログを書いたとき、自殺した上村明子さんの母親が“フィリッピン出身”であることを知らなかった。

いただいた二つのコメントは、いずれもこのことを指摘するものだった。

しかし昨夜見たコメントは、桐生市の“第26回新里まつり図案ポスター審査結果”をリンクして(この名簿の佳作に上村明子の名がある)、上位入選者を名指しで非難するものだったので、削除した。

今日になって、各紙はいっせいに社説やコラムで、この“事件”をとりあげ、たしかに上村明子さんの母が、“南国出身”(天声人語)であることを報道している。

ぼくの昨日のブログの趣旨は、“付和雷同”と“孤独”であった。

ぼくは、漠然とした認識で、このブログを書いたのだ。

死んだ少女の母が、“南国出身”であることは、ぼくの認識を変更するか?

ある意味では、イエスであり、ある意味ではノーだ。

ぼくは昨日のブログを書いたとき(この“話題”を取り上げたとき)、“無意識に”予感していた。

ぼくが昨日、次に書いたブログが、<外国とはどこか?>であったのは、たんなる偶然であろうか。

これから仕事に行くので、展開できない。

考えることは、ある。





<参考>

また父親は、母親がフィリピン出身者であることもいじめの一因だと思うと語っている。母親が授業参観すると、悪口を言われ、以後いじめられるようになったという。
(毎日新聞社説10/29)


▼最期に巻いたマフラーは、南国出身のお母さんに贈るはずだった。その人が発見者となる。ここ数日の寒波にはどのみち間に合わなくても、小さな胸を吹き抜けた木枯らしへの策はなかったか。すべての教師は彼女に代わり、いじめ追放の手引書を編み上げてほしい。(天声人語)


 「やっぱり『友達』っていいな!」。今月23日、群馬県桐生市の自宅で自殺した小学6年の上村明子さん(12)が直前まで描いていた漫画の題名だ。遺品から見つかったノートのなかで、転校してきたばかりの小学5年の主人公、「関口桜」があいさつすると、クラスメートはみんな笑顔で見守っている。
 ▼しかし父親によれば、現実の学校生活は似ても似つかぬ過酷なものだった。転入してから1年後の5年生の時、フィリピン出身の母親の悪口を言われるなど、いじめが始まった。6年生のクラスでは、給食を独りぼっちで食べていたという。
 ▼米国の小学校に通う女の子、ワンダが描いた100枚のドレスの絵にも、願いが込められている。貧しいポーランド移民の彼女はある日、ドレスを何枚持っているのか聞かれて、「100枚」と答える。それ以来、毎日からかわれた。
 ▼ワンダがいなくなってから、実は、ドレスを着たクラスメートを描いていたとわかる。エレナー・エスティス作の『百まいのドレス』(岩波書店)を昭和29年に翻訳した石井桃子は、50年後に改訳している。
 ▼友達を求めていたワンダの気持ちを、どれほど踏みにじってきたのか、クラスメートも担任教諭もまったく気づいていない、あるいはそのふりをしている。いじめの本質が、昔から変わっていないことがわかる。明子さんの通っていた学校も、「いじめの認識はない」と両親の訴えを否定した。
▼ ただワンダは、転校で救われた。石井はあとがきで、ワンダが絵の才能に目覚め、「生きる芽を見いだしたのでは」と想像する。パティシエになるのが将来の夢だった明子さんは、漫画の続きを描く機会さえなかったというのに。
(産経抄)