もういやぢゃ

2011年12月25日 | 日記
天皇陛下の誕生日は、八時間勤務の日であった。
結局、八時間半は勤務したから、三十分分くらいは、残業手当が付くはず。
帰り流石にタクシーに乗ろう、と店の前の通りを闊歩しながら呼び止めようとしたが、三台ほどに無視され、結局のところ歩いて帰ってしまった。

昨日はその所為か、家でグータラしていた。この冬休み、ただ二回の休日の一回目であった。

今日も夕刻から勤務である。混んでいそうで嫌だな。


仕事(本業)仕舞

2011年12月22日 | 日記
今日は二限から。今日で年内は最後である。
演習発表のお一方目は、散々だった。であるからいじめようかと思ったら、一番最後に、今後の課題なる逃げの項目があり、グリグリできなかったし、突っついたら、F教授がその質問にお答え下さる、という有様。全く、どういう神経しておるのだか。
お二方目は、一応顔見知り。流石に良くできている。
授業後、F教授に挨拶に参ると、この前のN学会で、T教授からお噂は聞いたよ、と仰せであった。そして、後ろにいた小谷野純一先生が然々、と言っていたよ、とも。

お昼は、N氏とMで食べ納めをする。店員さんに、今日が食べ納めですか?と訊かれてしまった。
表へ出ると、通りをねこ先生が通ってゆく。ねこさん、ねこさん、とつい呼び止めてしまった。
交差点のところは、冬至だからであろうか、向かいの神社がどんちゃん騒ぎであった。出店で、試飲は如何ですか、と呼び止められて、N氏と試飲し、二本購入。
その後、漸くかき上げた介護体験ノートを提出し、三限へ。N教授は、右腕が包帯ぐるぐる巻で、曰く、走ろうとして転んだと云々。板書ができないけれど、板書をしないと落ち着かない、といって、左手で書き始める始末。

四限は、もう休みだが、行くところもないので、Nコースの専修室へ。暫くすると、千鳥さんがやってくる。さっき購入したうちの一本は、K教授に、御歳暮(のつもり)で、献上した。というより、K教授はいそいそと授業に出られたので、研究室においてきた。研究室には、ねこ先生とSさんがいらした。
みんな考えることはおなじらしく(?)、恐らく交差点の所で買ったと思しい袋が既に机の上にあった気が。

五限の発表者は、今朝のお一方目とご友人だとか。
発表は、今朝の演習の日記が出典の贈答で、大変面倒な組である。日記自体が面倒なものだから、どうしたもんだか。

六限は、年末でもうないので、帰宅。駅前は忘年会組と思しい大衆が跋扈している。

うぶぶぶぶ

2011年12月21日 | 日記
昨日も二限から。別段、何と言うことはない。

あちこちで、年明けの期末レポートの話があり、段々いやになってくる。

夕食は、幸楽苑で、辛子つけ麺なるものを食ったが、辛いと言うよりは酸っぱくて、ハズレであったように思う。
その後の勤務は、大変であった。ラスト作業、所謂かたつけを社員と二人でしたが、労基法の時間基準ギリになったので、最後のところはせずに帰る。酷使されているとはいえ、労基法は何とか守られてはいるのである。


ラッキー

2011年12月19日 | 日記
今日も例のように。
二限後、先週行けなかったMへ行く。十二時一~二分であった。ちょっと過ぎていたけれど、サービスで、ということで、午前中サービスのラッシーを頂いた。はぁ、今年もそろそろ食べ納めをしないとな。

部室に行くと、Nさんがいた。雑談していると、H君がやってきた。N氏が、指導教官を希望している先生の演習で、担当回に、すいません、今日は発表できません、といって、すっぽかした、という事を耳に入れたら、流石にビックリしていた。N氏も、もう少ししっかりして欲しいものである。

四限は目白女子大。残すところもうそうなくなってきて、講義も佳境である。年明けの予定を伺い、お仕事へ。仕事先の方針で、今日から冬期講習である。ささっと終わらせた。

さても気になるのは、中学校の歴史の教科書に、「終戦の詔書」が一文字も載っていないこと。「堪ヘ難キヲ堪ヘ、忍ビ難キヲ忍ビ」くらいは載せろよ、と思わなくもない。
また、芭蕉の句は「行く春や鳥鳴き魚の目ハ泪」と翻字されている。師(?)説に曰、八が字母の変体仮名を「ハ」とするのは誤りだとか(こういうことは、随所で主張せねば←何のために?)。

おもふところあり

2011年12月18日 | 日記
昨日は、神道大学でのN学会の大会へ行ってきた。
隣にはSさんがお座りになった。T教授もいらしていたが、研究発表の前に退出された。

お一方目の発表は、白水日記に関するものだったが、イロイロ思うところがある。抑も、かの日記は自作でよいのかという疑問がある。自作説に確証がない以上、一応他作説へも目配りが必要であろうと思う。今回の発表は、自作説を前提に、その周辺との比較に始終したが、もっと広く比較してみると、自作他作のあたりで、面白い発見があったのではないかと、愚慮する。結局の落ち着きどころは、作品内での位置づけだけの発表であった。面白そうなネタであっただけに、残念である。若人の戯れ言です。忘れて下さい。

お二方目の発表は、類似表現の指摘があり、面白く拝聴したが、指導教官様(?)曰く、そこから先のところが聞きたかったよね、とのこと。

お三方目は、指導教官様(?)の演習で扱っている日記であった。


懇親会へも行こうかと思ったが、次の予定があって、一時間もいられなかったので、失礼することにした。会自体が、四十分ほど押していたのである。

指導教官様(?)にお供して、国鉄の最寄り駅まで歩く。そこでお別れして、次へ。先生は、教科書の会議と云々。

次のというのは、暫く前の発表の打ち上げである。土風炉という店に行く。YさんとY君と千鳥さん。四合くらい飲んで解散。千鳥さんが、ベムに間に合うようにだとか。

来週の日曜に、Yさんと千鳥さんと私とで、けむしものがたりを見に行くことになりそうだ。