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神戸新聞の100日

2016-01-24 12:35:00 | 
阪神淡路大震災から21年が過ぎ、東日本大震災から5年目を迎えようとしている。
そんな中で改めて「神戸新聞の100日」を読み返す。

神戸新聞の記者たちの行動、苦悩、神戸新聞社が命がけで新聞発行の為に奔走した記録でつづられた本文は、人と人の繋がり、人生、家族といったものに対する真実であり問いかけである。

震災のさなかで神戸の街の人たちが、その時どう動いたか、どう感じたか例え僅かでも知る事は大きい。

淡々と事実を伝えるだけの文章が、真実をそのまま伝えてくれている。

被災者が被災者として声を上げること、何が必要なのか助けを求めることがいかに重要か。
無常にも救助にも優先順位があること。
だれもその時の行動を非難できないこと。

東南海地震などの発生確率が上がっているが、果たしてどれくらいの人たちが、被災地の現実を積極的に知ろうとしているだろうか?

東日本大震災が発生した日、自分自身は六本木にいた。自宅のある江戸川まで徒歩で帰った。
気になったのは、阪神淡路のときのような橋や高速道路の倒壊である。
橋が落ちていたら、帰宅できない。
地盤のゆるみからくる液状化も、海抜の低い地域故の浸水なども心配だった。
長い長い距離だったが、急ぎ足で帰宅して。

途中、都内の公共交通機関が止まるなか、多くの人たちが、しゃべりながら歩いていた。
すれ違い様に聞こえたのは、普段のおしゃべりだった。


「知らないって怖い」


とそう思った。

神戸の震災を知っていれば、交通機関の寸断がどういう意味を持っているのかすぐにわかる。


途中、川が下流から上流に向けて流れているのを眺めていた。

なぜか、その時に近くを歩いていた会社員の男性と言葉を交わした。

「どちらまで?」
「江戸川です」
「私は、川越なんですけど、帰れないので会社に戻ります」
「会社はどちらですか?」
「荒川です」
「それでも結構ありますね」
「川越より近いですから」

その男性は黙々と先を歩いて行った。


みんながみんな、意識が低いわけではないが、東京都の1000万人以上の人たちが、
阪神淡路のような地震に見舞われたら一体だれがどうそれを報じ、助けるのだろうか?

そのことをどれくらいの間、報じ続けるのだろうか?
首都圏だから重要なのか?
人命には差はない、生活にも差はない、むしろ防災は整っているはずだから被害は
少ないかもしれない。

しかし・・・阪神淡路も、「関西には大きな地震は来ない」という過信があったではないか?




震災のあった地に居ないと伝わらない部分も多いはずだが、是非一度手にとって読んでみるべきである。







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