18年にもなりますか

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K-1の登場

2006-08-03 20:37:51 | スポーツ
 1993年に登場したK-1グランプリは、足かけ13年。あっという間にファンをつくり視聴率を稼ぐイベントとなった。

 それまでの日本の格闘技の代表はプロレスリングだった。ワールドプロレスリングという番組がゴールデンタイムに放映され、古舘伊知郎がまだ局アナで、プロレスの実況をしていたころだ。

 しかし、人の目はだんだんと肥えてくる、あるいは贅沢になってくる。興行としてのプロレスももちろん迫力があり楽しめるのだが、少しずつ時代が、本当に強いのは誰なんだ?」ということを求めてきていた。アントニオ猪木VSジャイアント馬場の対決を期待しちた事もそうだし、モハメドアリVS猪木もそういう期待から企画された。そのころから異種格闘技と呼ばれた戦いがあったのだ。

 そういう中で、登場したK-1はまさに、”誰が強いのか”をガチンコで決めるヘビー級の迫力の戦い。さらに”PRIDE”が登場し、K-1とともに本当に強いヤツは誰なのかを決める格闘技として多いに盛り上がった。

 テレビ局とのタイアップで、どうしても”興行”の要素が必要になり、ショーアップも、対戦組み合わせも手を尽くしているが、やや食傷気味だが、戦っている者同士は、真剣そのもの。満身創痍のなかでトーナメントを勝ち抜く。

 ところで、なぜここまで格闘技が人気を保っているのだろうか?

 それは、まさしく、ガチンコ勝負であり、戦いそのものにはやらせの要素はなく、一瞬、あるいは一撃で相手をKOやギブアップへ持ち込めるホンマものが持つ迫力と、公正な判定があり続けたからだ。

 今回の亀田興毅選手も、戦いそのものは真剣で、彼の本当の”根性”が見られたすごい試合だった、しかし、いま多くのマスコミやネットで騒がれているように、どうしても多くの、試合を見ていた人達の頭の中では、判定に疑問符がついているのだ。

 Yahoo!の投票でも90%以上の人がそのように票を投じている。

 亀田一家のこれまでの戦いで、せっかくボクシング熱が盛り上がってきていたところに、ボクシング全体をしらけさせかねない結果。K-1やPRIDEがそんなのだったら誰も見ないだろう。

 今回の戦いを見て、戦っている当事者は真剣そのもの、限界ぎりぎり、あるいは限界を超えていたに違いないが、その周辺の人たちはどうだったのだろうか?

 興行的に盛り上げる為には何だってするテレビというメディア。試合開始2時間前からの放送など、ちょっと冷静に考えれば”はしゃぎすぎ”に見えたTBS。 あ、またTBSか・・・なんか疑惑の多いテレビ局やなぁ。 

 いずれにしてもK-1やPRIDEのような納得できる内容と結果が、賛同と感動を呼ぶのだ。ボクシングという過酷なスポーツを誰も汚してはいけないのだ。





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