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広島、長崎こそが核抑止力である。

2016-05-28 08:54:00 | ニュース
2016年5月27日

この日を、日本の人たち、世界の人たちは忘れてはいけない。

そして同じく、

1945年8月6日

1945年8月9日

この両日も、世界の歴史の中で永遠に消えてはならない日である。




今回のアメリカの現職大統領による広島訪問は、日本にとって大きな意義のある事はもちろん、アメリカ、世界中の人たちにとっても意義のあることだと認識しなければならない。




様々な国が、核を持っている。


核を「抑止力」として持っている。


しかし1945年8月9日以降、世界中の誰も殺戮の為に核のボタンを押したものはいない。


それはなぜか?


お互いに核での戦いで国を滅びさせないという抑止力ももちろんあろうが、
核の使用は、広島で起きたこと、長崎で起きたこと、いやそれ以上に悲惨な破壊を起こすということを突きつけるからでもある。



核の使用により、なんの罪もない一般人が一瞬にして大量に殺される。いや、「消される」のだ。


熱線で一瞬にして消えてしまうのである。



広島、長崎での原爆投下の事実は、それを世界中の指導者に突きつけているのである。



日本人は、広島、長崎の原爆投下を学校の授業で習う。なぜ授業でそれを習うのか?



アメリカを憎むためか?



いや、そうではない。




戦争が招く悲惨な結果、兵士でもない市民が、生まれたての赤ん坊、いやお母さんのおなかの中で誕生を待っていた子も、その母親も、誕生を待ちわびていた家族たちを容赦なく殺してしまう戦争というものと、核というものについて、真正面から「なくさなければいけない責務が今の時代を生きる人たちにはある」という意味で習うのだ。



しかし、海外の核を保有している国ではどうだろうか?我々は知る由もないが、少なくとも人類の起こした戦争の中で、世界中の唯一の被爆国が日本で、何十万人もの一般市民が一瞬にしてころされた事実ぐらいは知られているであろう。



間接的であれ、核がどういう結果をもたらすのかその結果はすでに出ていて、知られている。




もし、だれもその事実を知らなかったら、もし、世界中の核保有国の誰一人として、実際に核を戦争で使用された経験も事実も知らなければ、果たして核の抑止力は、今ほどの効果があっただろうか?




核を実験でしかその能力をしらず、実際に核を使用したことがない場合と、核による悲惨な結果を事実として知っているのとでは、大きな差があろう。





広島、長崎という二つの原爆投下の都市を持つ日本は、今後も核使用の結果がもたらすもの、それによる普通の人たちの生命が蹂躙されることを、世界中に伝え、広げてゆかねばならない。


それが我々日本人がなすべき事である。


これは、決して、広島、長崎が悲惨でかわいそうだ、という内向きの話ではない。





世界中に向けて、核使用が何をもたらすのか、何を奪い、何を残すのかを発信し、核を持っている国が、ボタンを押すことは、悪魔に魂を売ること、いや悪魔自身になることに他ならないことを認識させなければならない。









今回の現職大統領の広島訪問とスピーチは、世界中に発信された。

もちろんそのことに大きな意味があるが、これはまた新しい核抑止のための第二のスタートである。

核を持つ国々のリーダーが広島、長崎を見ること、直接知ること、そして知った後それを発信し、国に持ち帰り各国でそれを伝えること。

我々日本人と同じように事実をわかったうえで発信し続ける事。




2016年5月27日はようやくそれがスタートした日である。






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