夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

男性的なるものの本質、女性的なるものの本質。…其の②

2016年06月09日 19時47分11秒 | 子供と青年の純粋な生命に火を点ずる育み
男性的なるものの本質、女性的なるものの本質。…其の②

女性の検査技師が最近は細やかな女子力が落ちていると呟いていました。
共稼ぎ以前は長い間、多くの男性と女性の働く場所が別々に置かれており、互いに棲み分けて生活していました。
戦場、官史、漁師、建築、開墾等、主に男性は外に向かって働くことが主でした。
女性は家の中での賄い、生命の育み等、内に向かって働くことでした。
互いに棲み分けた場所を共に侵すことはありませんでした。
女性は内なる生命の尊さを最も大切にしたが故に柔らかな心と細やかな、行き届く心と
大きな愛を持って尊い生命を守り育んで来ました。
幼い子供は母を絶対的存在として意識していて、母を通して父なる存在を知ることになります。
それ故母は心の中の大黒柱的存在でした。
女性は国家を支える内なる大黒柱的存在でもあります。
母なる女性はどんな社会的制度のなかでも重要な位置にありました。
母が父なる良人を如何に思うかによって子の将来の運命を握ることにもなります。



女性と弓と矢…其の②

婦人が男性に素直に従うと云うことは別に女性の敗北と云う訳ではないのである。
従うことによってむしろその天性を発揮するのであり、それによって却って勝利を得るのである。
水は柔らかくして下に流れよう下に流れようとしているけれども、それは決して硬く厳然たる岩に負けたと云う訳ではない。
それは柔らかきが故に岩をも穿って進むことを得るのである。
それは山津波となっては、十畳の部屋ほどの巨岩をも手玉にとって翻弄し、みずからは何ら傷つくことはないのである。
例えば、婦人は弓であり、良人は矢である。
矢は剛にして一直線に外に向かって進む。
外に向かって矢は花々しいかも知れないが、内に柔にして丸くたわむ弓にあってはじめて矢は外に進むことが出来るのである。
それは寧ろ矢の勝利に非ずにして、矢を駆ってかくの如く進ましめる弓の丸く柔らかくたわむ徳の勝利であるとも云うことが出来るのである。
『勝利』と云うような言葉を使うと、どちらかが一方敗北したような感を受けるけれども、
実はどちらも天分に従って勝利するのであって、敗北などはないのである。
続く・・・・・













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