夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

目に見えないもの 最終回・・・・・幽玄なる神秘の世界(奇蹟という真実)

2016年01月04日 20時21分59秒 | 真理の言葉
目に見えないもの 最終回・・・・・幽玄なる神秘の世界(奇蹟という真実)

          奇蹟という真実

朝、玄関を出ると朝霧がたちこめ二〇メートル先が『見えない世界』になっていました。
是ほどの濃い霧は何十年ぶりです。
霧は何となく心を和らげ、奥底の心を揺さぶるようです。これは霧によって外界の世界が制限されることにより、
外に向いている喧騒な心が制限され、無意識に内面の心に向き、一服の安定剤のような効果をもたらすようです。
まさに霧は心が開き、平安な世界を感じる爽やかなひと時です。
沢山の歌、詩などに登場します。



 
光明燦然と輝く本当の幽玄なる神秘の世界は吾々が住んでいる三次元の世界の五感の感覚では観じることが出来ません。
ヨハネによる福音書一の一に。
初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった。この言葉は、初めに神と共にあった。
万物は言葉によって成った。成ったもので、言葉によらず成ったものは何一つなかった。
言葉の内に命があった。
命は人間を照らす光であった。
光りは暗闇の中で輝いている。暗闇(くらやみ)は光を理解しなかった。

                                                    ヨハネによる福音書一の一

一切のものは、天地にみちている神秘的な生命の波動(言葉)より生じたものである。
日本の神道でも言葉は『言霊』と云われ、穢れを祝詞(言葉)の力により祓い清めます。
『言葉』には『神の生命』が輝いているのですから、穢れを祓い清めることが出来るのです。
言葉には運命を創る偉大な力があります。
例えば貴方は素晴らしい人ですと言いますと素晴らしい人が現れ、おまえは悪人と言えば悪人が現れます。
子供がお菓子頂戴と言いますとお菓子が現れます。
言葉は命であり、神でありますから言葉を申し示すとおりに、この現象世界に現れて来ます。
『心で思う』ことも言葉であります。



真言密教にも
『阿字は是れ一切の法教の本なり、凡そ最初に口を開く阿の声あり若し阿の声を離るれば即ち一切の言説なし。
故に衆声(しゅじょう)の母とす』

                                                 大日経疏第七
この阿の声は菩提心、仏の心であります。
真言密教では大宇宙の本体の大日如来と自分とが一体であると云う『阿字観』の瞑想をします。

瞑想、神想想、座禅、阿字観等で観じる世界は、真実無比である無限の愛、無限の智慧、無限の生命、
慈愛に満ちた、神秘にみちた仏、『神の世界』と『我』と一体であると観じることであります。


理屈なしその物事の本質を感じとる『直感』、『閃き』も神秘的な世界に似ています。
『永世六冠』を保持している九段の棋士は直感の六割は正しいと言っています。


壮大な自然の現象、瞑想、座禅、霊体験、不思議な経験等を通して幽玄、神秘性が感じられます。
イエスキリスト、釈迦、弘法大師空海等の聖者は様々な神秘的な奇蹟を起しています。

 818年(弘仁9)年に都に疫病が大流行し、死屍がおびただしくひろがっていました。
嵯峨天皇は空海を宮中にお呼びなり、如何にしたらよいだろうかと御下問なされました。
空海は『帝』自ら真を尽くして般若心経を御清書なされて下さい。空海は祈りますと答えました。
三筆の一人の嵯峨天皇は一筆毎に『三寶禮』の真を尽くして御清書なされました。
すると満願を迎えずに奇蹟的に疫病が治まりました。
この時の般若心経の写経が日本での写経の始まりと云われています。
この時の般若心経は大覚寺の勅封心経殿に大切に保管さています。
六十年に一度開封されます。
この時、空海は般若心経秘鍵(はんにゃしんぎょうひけん)を帝(嵯峨天皇)と臣下等に講義されました。




徳高い御先祖様の世界は五次元の世界、真実の愛の世界は六次元の世界、完成された神の愛、仏の慈悲の世界は七次元の世界とも云われています。

イエスキリスト、釈迦、弘法大師等の聖者が起した奇蹟、神通力は『完全な姿で全能、全知の慈愛に満ちた』
七次元の神の世界を三次元の世界である今吾々が住んでいる現象世界に持ち来たしことであります。
前述しました、善の絶対的権威の法則は、自然界の法則に打ち勝つことが出来るのである。と同じ現象であります、


フランスのピレネー山脈の山麓の村に住んでいる読み書きが出来ない無学の少女の前に聖母マリアが顕れ、聖母マリアより『無原罪の御宿り』の神示を享けた奇縁で『ルルドの泉』に数々の不思議な奇蹟が顕れました。

自我を一切捨て、法愛の心をもって、神、仏にひたすらに『神、仏の御心にかなう事を』純粋に祈ることが、奇蹟、神通力への導きとなります。
『注』
菩提心―・・・さとりを求めて仏道を行なうとする心。さとりを求めて世の人を救おうとする心。
        さとりへ向かう心。発心すること。聖徳太子は『直心』と説いた。
直心―・・・純一でまじりけがなく、清らかな、すなおな心。『さとりを求める心』に同じ。
三筆―・・・日本の書道の能書で最も優れた三人。嵯峨天皇。弘法大師空海・橘逸勢。
三寶禮(さんぽうらい)―・・・一心に敬って十方法界の常住の『仏』を礼したてまつる。
               一心に敬って十方法界の常住の『法』を礼したてまつる。
               一心に敬って十方法界の常住の『僧』を礼したてまつる。
               三寶禮(さんぽうらい)の日本での起源は聖徳太子が広めたと云われています。
阿字―・・・サンスクリット語のアルフアベットの最初の文字。万有の根源を象徴した字。密教では不生不滅であり万物の本源であると     説きます。
法教―・・・仏の教え。
言説―・・・ことばで説くこと。
衆声(しゅじょう)―・・・衆生が発する声、言葉。
法愛―・・・愛執を捨て、法を愛すること。真理を求めること。
法―・・・仏の教え。普遍的意義のある理(ことわり)。真理。真実。善。善い行為。徳。
ルルドの泉―・・・1858年2月11日、14歳の少女ベルナデッタ・スビルーの前に何度(18回)も聖母マリアが現れ、神父から
         その聖母の名前を尋ねられ、読み書きが出来ない無学の少女が
         『無原罪の御宿り』(Que soy era Immaculada Councepciou)と答えたと云われている。
          聖母がベルナデットに泉に行って水を飲んで顔を洗いなさいと言われ、ベルナデットがルルドの洞窟の前の泉に
          行くと泥水でしたが、しばらくすると清水に変わり、飲めるようなった。
          このルルドの泉の水によって不治の病などが治療なしで突然に治り、次々と奇蹟が起こりました。
          ルルドはカトリック最大の巡礼地になっています。
          ベルナデットは1932年12月8日、ローマ教皇ピウス11世によって『列聖』された。
神通力―・・・天眼通・天耳通。他心通(人の心を知る通力)。宿命通(前世の因縁がわかる)・神足通(空中歩行)・
        漏尽通(煩悩が尽きて無くなる事)。

1月3日(日)のつぶやき

2016年01月04日 04時35分04秒 | コラム・人文

目に見えないもの 四回(其の?)・・・隠れた心(潜在意識・集団的無意識・超潜在意識) goo.gl/qUTQTO


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目に見えないもの 四回(其の②)・・・隠れた心(潜在意識・集団的無意識・超潜在意識)

2016年01月03日 14時07分46秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
目に見えないもの 四回(其の②)・・・隠れた心(潜在意識・集団的無意識・超潜在意識)
                              
          『心を直せば病は癒される』



カール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung)がフロイトの学説を発展させて集団的無意識を創設しました。
潜在意識も層を深めていきますと個人の潜在意識と人類全体に横たわっている各自の潜在意識は別々ではなく共通なものであり、互いに繫がり合って広がっているのです。
これを集合無意識または集団的無意識または宇宙意識とも云われています。
例えば一人の世界平和への祝福の祈りが宇宙を駆けめぐり、人種の壁を乗り越えて各自の潜在意識の奥深くへと広がるのと同じことです。
ユングは、たとえば心理学が処女マリアによるキリスト誕生というモチィーフを扱うとすれば、その場合に問題とされるのは、このような理念が存在している事実だけであって、このような理念が何等かの意味で本当であるのか、
あるいは間違っているのかということではないのです。
この理念も、それが存在している限りにおいては一個の心理的眞実です。
心理的存在は、一個の理念がたった一人の個人の心理のなかに現れているだけといったような場合には、主観的なものです。
しかしかかる理念が『一般的同意』coneensus gentium によって一定数以上の人々の共有になった場合を考えると、
それは客観的なものであると言えます。と云っています。
心理的存在が多数の人々の共有なる事実はその事実が客観的に認められた事になると言っています。このことが集団的無意識、集合無意識、または宇宙意識と云います。




更に層を深めていきますと其処は超潜在意識と云われ神秘的な世界であります。何ものにも捉われないすべての善徳を具えた光明燦然と輝く神、仏の世界であります。

すべてのよき宗教の根本には、神秘的で、すべての善徳を具えた神が集合無意識的に実在するのです。
すべてのよき宗教は本当は『集団的無意識』のように仲良く手を携え、それぞれ与えられた使命を果たすことが出来るのです。

精神分析は今では世界で理解され精神的疾患でもない器質的な疾患も癒されるようになりました。
『善くないことは気がつかない』と捨てることが出来ません。気がついても捨てないと治りません。
あなたの病はこのような心の反映ですと気付かせることが、隠れている錯綜した心(コンプレックス)を理解させことです。
錯綜した心に気がついて、その心を捨て去ったとき病が癒されるのです。


病は気からのところで前述したように、『心を直せば病は癒される』ように精神分析を通して心のコンプレックスを取り除くと長年の器質的な病も癒されます。
『ふと思った善くない想い』などは、潜在意識の中に閉じ込められ自分自身では気がつきません。気がつかないとストレスとなり形をかえて病、禍などを起す原因となります。
自分で作った悪心、罪などを償うために自らの力で病をつくり自分の罪を償うことを『贖罪意識』と云います。
人類にはこのような原罪意識(贖罪意識)が横たわっています。
此のことが世界の平和を妨げている最大の原因です。
この贖罪意識、原罪意識を捨て心の自由、開放の道を歩むのが『人間は素晴らしい神の子である』ことを自覚することなのです。

人間は猿の子孫ではないのです。
またアダムが犯した罪の意識(原罪意識)を持った人間ではないのです。
人間は素晴らしい神の善徳を享けついだ神の子であるのです。


『注』
贖罪意識―・・・他人加わえた物的、心的侵害を償う意識のこと。
原罪意識―・・・アダムが犯した罪により、人間は生まれながら罪の負い目を持つ意識。



1月2日(土)のつぶやき

2016年01月03日 04時34分49秒 | コラム・人文

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目に見えないもの 四回(其の①)・・・隠れた心(潜在意識・集団的無意識・超潜在意識)

2016年01月02日 16時05分03秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
目に見えないもの 四回(其の①)・・・隠れた心(潜在意識・集団的無意識・超潜在意識)

子供のひとりが正月早々皆に喜ばれ、東京へとユータンの旅路につきました。
東京という最大の激戦地で業をしのぎ、皆に喜ばれる業を蓄える為に。

人間の心を奥深く探索すると大宇宙と同じく限りなく無限で神秘的であります。
人は誰でも表面の心は知覚することが出来きます。是を意識とか現在意識と云います。
その奥に表面の心で知覚されないまたは自我とつながりを持っていない、認識出来ない隠れた心があります。
無意識、潜在意識とも云われています。
これを発見したのはジームンク・フロイト(Sigismund Schlomo Freud)です。二十一世紀の大発見と云われました。
仏教では阿頼耶識とも云います。
意識している心(現在意識)と意識されていない心(潜在意識)の二つの心または二つの層と考え、この二つの層の意識と無意識の間には検閲が介在しています。
『潜在意識』に流れ込む心を『現在意識』が検閲して『潜在意識』へと流れ込ませる。
現在意識(意識している心)は心の門番であります。
また潜在意識に蓄積された心を現在意識が検閲して都合の悪い負の心は抑圧します。
二層目の『潜在意識』は時間、場所(空間)に関連付けされていなくて秩序性がありません。
対象の擬人化、対象の逆転などがあります。
しかしある意味で自由であり寛容性があります。
現在意識と潜在意識を体積で例えると九十%程が潜在意識です。
一面は潜在意識が運命のほとんどを握っていますが、海を漂う海藻のように選択の決定権はありません。
善い運命。不幸を選ぶ取捨選択権は現在意識に委ねられています。
現在意識と潜在意識の間の意識の移動を客観的に現在意識で認識することは出来ません。覚醒状態では現在意識側の認識では現在意識と潜在意識の間に微かな連絡がありますが壁が存在していますので潜在意識を観じることは出来ません。
このことが夢を見ていても目が覚めてしばらくすると忘れ去ることです。
睡眠状態は現在意識の検閲が無くなりと潜在意識の垣根が無いことになります。
睡眠状態は現在意識の検閲がないので暗示にかかやり易い。
これを利用して朝の起きしな、夜の寝しなに明るい善い言葉で、自己暗示をかけると検閲無しで潜在意識にそのまま入り、潜在意識が浄化されて明るい世界で満たされます。また運命が改善されます。
是れを拡大したのが『瞑想』です。

例えば夢の中では父がと自分が入れ替わり、自分が鳥とか犬になったり、空を飛んだり三次元の世界では在りえない現象(秩序性が無い事)を見ることがあります。これは抑圧された現象をそのまま再現するとストレスを感じるため、象徴的に表現するため自ら脚本を作る為であります。これは抑圧された心を理解しないでそのまま再現すると心的バランスを崩す(神経症等)為と自我の都合のよい様に仕向ける業であります。
夢は現在意識で活動している現実のストレスを癒すために神が与えた業(わざ)でもあるのです。





この隠れたる心の潜在意識を催眠術、暗示などの色々な方法で再現させて、
抑圧された過去の隠れたる心(原光景・先祖還り)を再現させて、
現在の心で理解させて神経症などの色々な精神的疾患を治療するのが『精神分析』です。

催眠療法はこれを利用して、意識の門番である現在意識に催眠をかけ眠らせ、
深い潜在意識に暗示をかけるとその通り意識を操ることができます。
このことを利用して潜在している、抑圧した錯綜した心を再現して分析し理解させて心のコンプレクスを取り除くことです。
何代も前の輪廻転生した記憶である深い潜在意識までも現在の心の現在意識に再生して心を癒す
エドガー・ケイシーのライフリーディングなどがあります。

・・・・・・・続く

『注』阿頼耶識(あらやしき)―・・・最も根源的な識。心の奥底に蔵されている識。
               個人存在の主体、輪廻の主体である。
原光景(はらこうけい)―・・・コンプレクス(心の傷)として認識した原点の光景。



1月1日(金)のつぶやき

2016年01月02日 04時51分51秒 | コラム・人文

目に見えないもの 三回・・・・・善一元の世界 其の? goo.gl/i7yfSH


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目に見えないもの 三回(其の?)・・・・・善一元の世界(救われ済みの人生) goo.gl/kg6h5q


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目に見えないもの 三回(其の②)・・・・・善一元の世界(救われ済みの人生)

2016年01月01日 18時34分03秒 | 真理の言葉
目に見えないもの 三回(其の②)・・・・・善一元の世界(救われ済みの人生)  

孫から喜びの言葉を頂きました。
古の遠津御祖、歴世の祖(おや)より目に見えないひと筋のいのちの連続により、今生かされている此の生命の尊い喜びを頂きました。

酸素と水素が結合したら水になると云う自然界の法則を『不可負』と云われています。
時間、空間を超越して存在する本当のもの(価値)を顕わそうとすることを『当為』と云います。
例えば『当為』は誰にも宿っている『良心』などです。
暖かい太陽の光は聖者にも、悪人にも平等に、差別なく当たります。また冷たい寒風も差別なく両者に吹き抜けます。
このように自然界の法則というものは『不可負』に働きます。
自然界の法則は因果の顕れた『業』の法則である。
前述した酸素の因と水素の因が結合することにより水になるようなことであります。
自然界の法則は生命の足跡であり影であります。
丁度白紙の原稿用紙にペンで文字を書くとその筆跡が残っていくようなものです。
当為(良心)と不可負(自然界の法則)が衝突して『良心』が『自然界の法則』に打ち負かされていました。
しかし善を行なった時に、自然界の法則にふれ、自然界の法則では病気になるはずのことをしても、
病気になるということはないのです
例えば善意で真冬の冷たい水の中で溺れている子供を助けようとして水の中に入り、肺炎にかかり死んでしまうようなことはないのです。
『善の法則』は自然界の法則を踏みにじってしまう絶対的な権威でなければならないのです。
善は自然界の法則に打ち勝つことが出来るのです、

このように自然界の法則を超越することを『奇蹟』とも云ったりします。
しかし自然界の法則を超越することは本当は奇蹟でも何でもないのです。
自然界の法則を超越して善が顕れることが当たり前ことなのです。
自然界の法則に打ち負かされている状態が奇蹟なのであります。
主観的に宇宙に満ち満ちる真理(実相)を得る満足だけでなく客観的にも主観的にも両面貫いて自由なるものの
真理(実相)を得なければならない。
冷たい水の中に居ても、寒風に吹かれても風邪も引かない、病気にもならないことが自然界の法則に縛られないことであり、『善の絶対的な権威』が主客両面を貫いて確実に保たれることであります。
このように『善の絶対的な権威』が満ちている世界が『善一元』の世界であります。
善一元は神一元でもあります。
神様の世界は善(善きこと)のみが存在する世界であります。
仇討ちのように過去に善であったものが現代では善とは考えないものがあります。時代によって変わるような相対的なものではなく、『普遍的な価値』が本当の善であります。







『本当の善』は形でもなければ、精神でもないのであるから、有限の智慧の葛藤を超えなければならない。人、時間、場所(空間)の三つを備えなければならない禅的な修養が必要となります。
そうして神、仏の善の世界を此の身、此のままに顕わし、実現することが必要であるのです。
このことが自我の置き換えであり、イエスの復活であり、悔い改めであり、
回向、廻心であります。
親鸞上人が小我の力で行なった善を『雑行雑修の善』であるとして排斥し、
ひたすら真実の世界である阿弥陀仏(真実の善)に振り向いたのであります。
自力本願に相対する他力本願でなく、自力他力の相対を超えた絶対他力であるのです。
是が吾々は絶対他力(真実の善)に振り向いた世界では既に救われ済みの人生であるのです。
救われているが故にすべてのものを礼拝して、報恩感謝が人生の最大事であるのです。

『注』
遠津御祖(とおつみおや)―・・・遠い祖先
歴世(よよ)―・・・何代も続くこと。
不可負―・・・どうしてもそうならざるをえない。必然を本質とする自然の法則。
当為―・・・まさに為すべきこと。まさにあるべきこと。道徳法の要求。



目に見えないもの 三回・・・・・善一元の世界 其の①

2016年01月01日 12時43分19秒 | 真理の言葉
目に見えないもの 三回・・・・・善一元の世界 其の①

新年明けましておめでとうございます。
今年も宜しくお願いします。


この世界の善きものはすべて神より来たると云われています。
うらみ心の『悪心』を無くそうとしてもなかなか、うらみを解くことができない。
それは何故かと云いますと、『悪心』の心で『悪心』を解くことはできない。
法句経に人をうらむ心(悪心)をもってしてはそのうらみをと解くことはできない、
うらみなき心(善の心)によってのみうらみを解くことが出来るとあります。
うらみ心には嫌悪と悪意と不安と苦しみに満ちた世界であります。
うらみ心には温かい安らぎに満ちた平安な世界ではありません。
明るい、赦しと平和と祝福に満ちた世界はどのようにしたら顕れるでしょうか。




法句経の真言に示されているように、心を一転してうらみのない、祝福と讃嘆と赦しと喜びの心を顕わすことが
うらみ、恐怖、不安を解き、赦しと安らぎと安寧の世界への導きとなります。
うらみ心のような『悪心』は在るかの如く観えていますが本当は『悪心は実在しない』のであり
夢のように幻であります。
もし『悪が実在する』ものであれば。この世界は悪で充ちた世界になり、
暗黒の黄泉の世界が実現することになります。
うらみ心、嫌悪、恐怖、不安などが無く『善いことのみ』が実在する世界が善一元(神様の世界)の世界であります。
自我(煩悩、苦しみ、罪、死)は実在しないものであると思いて心から空じ去り、自分の内(なか)に既にある『眞我』を引き出し、素直に善なる神様の御愛をひたすらに信じて、享けとりますと素晴らしい明るい無限の智慧と愛と生命と健康と豊かさと喜びと調和と平和とが充ちた光明燦然と輝く『善なる神の世界』が実現します。