夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

人間は霊的実在である・・・・・その③ 霊魂の存在(死後に残続する意識)

2016年01月11日 21時17分14秒 | 真理の言葉
人間は霊的実在である・・・・・その③ 霊魂の存在(死後に残続する意識)

霊魂の存在

人間は肉体が滅びても、人間の本体である霊的な実在は滅んでいないのです。

生物も殺されてその存在がなくなるのではありませんその生物の固体霊魂は永遠に滅びないのであります。
殺された見えるその機縁で、別の境涯の生活体験を得ることにより一層生命が向上するのです。
また一層向上したが為に一層高き肉体に宿る機会に恵まれるのです。
もし生物が永遠に死なないでまた殺されることがないならば、その生物は同じ環境にあり、その環境以外の生活経験を得ることが出来ません。
また向上するための違った別の機縁も与えられません。
その生物は何ら迫害も受けず、摩擦も無いため苦痛もないがために向上の機会が与えられないことになります。
一休禅師が念仏しながら、魚を食べた心境はこのように摩擦が無いが故に苦痛も無い寂静世界こそ、
厭うべき沈滞の世界である。是を打破する悟りに到達せられたのである。
現世の辛い苦痛が実はそれだけ苦しむだけの値打ちがあり、
自己の向上をもたらすと霊界通信でスピリット(霊魂)が告白しています。
苦痛の意義を否定し、苦痛が加えられることを加害と認め、苦痛が存在することを被害と認める限りにおいて、
苦痛は世界の何処にも存在する事実が故に、この世界は加害者と被害者との調和のない集団としか認めることができないのであります。




しかし苦痛の意義を認め、苦痛を機縁として一切万物の霊魂が進化しうることを知るものは
この苦痛の世界を霊魂の向上のための鍛錬の世界として喜んで受けることが出来るでしょう。
激しい耐えられない苦痛は肉体的にも精神的にも眞に苦しいものでありますが、
しかしこの苦痛によって霊魂が向上し、進化することが出来ると云うことを理解できれば苦痛は吾々にとって一つの勉強だと思われます。

・・・・・・続く





人間は霊的実在である・・・・・その② 霊的なるもの 『神の国の義(ただ)しきを観る』

2016年01月11日 17時45分01秒 | 真理の言葉
人間は霊的実在である・・・・・その② 霊的なるもの 


神の国の義(ただ)しきを観る

『神の国の義しき』を観よとはイエスが『われみずからには何事も成し得ず、
天の父われにいまして成さしめ給う』といったようにこの現象世界の諸々の悪、病気、悩みなどを
吾々の力で解決する努力もないのである。
天の父がみ業を為し給うのである。
イエスは相手の悪も罪も悩みも病気も見ないで、罪なき完全なる義しき善を観たのです。
吾々は唯、罪、悪、病気、悩みなどは無いのでありますから
その罪、悪、病気、悩みなどを見る必要はないのです。
あるべきものがあるべき姿に於いて、秩序ある正しい智慧であり、善なる完全な世界を観れば好いのです。




吾々は常に如何なる時も、如何なる場所でも神の霊に守られ導かれているのです

常に自分の内に神の霊がみちているのである。
自分の体にも、自分の周りに起こる様々な出来事にも神の霊がみちているのである。
森羅万象に神の霊がみちているのである。
自分の体、自分の心を生かしているのは神の霊である。
また自分の周りの人々を動かしているのも神の霊である。
自分の生命は常に新たに新鮮な生命力を神の霊より享けているのである。
自分の周りに起こる様々な出来事は神の霊なる智慧に導かれ、滞り無く巧く進むのである。
吾々は周りにどんな苛烈な事が起こっても思い煩うことはないのです。

それは神の霊の智慧に如何なる時にも導かれいるが故に全ての物事がよくなるしか仕方がないのです。

 ・・・・・続く