夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

麗しい永遠の愛

2016年01月06日 21時31分26秒 | 誌編
 麗しい永遠の愛

ときめきが震える貴女のまなざし

そのしなやか指先がペンを奏でる

細雪が舞うこの白梅にふりそそぐ

見あげる貴女の髪がゆれるさきに

小鳥が歌いその真実の歌を貴女に

貴女の座るそのあし前に光る悦び

星の煌きが貴女の微笑みを見つめ

縁れあう真実を胸に秘め想う貴女

幾万年の彼方に逢う真実を貴女に

麗しい永遠の愛を貴女の唇に囁く




愛は現代語での『愛』と仏説の『愛』とは全然意味が違うのです。
現代語の愛は努力精進して完成しなければならない人間最高の美徳のように解されている。
釈尊が悟りをひらかれた時の心境を阿含経は『諸愛悉く解脱し』と書いているのである。
この時の諸愛は、諸々の愛着心、即ち煩悩のことです。
愛は阿含経時代には解脱しなければならない煩悩を意味していたのである。
観無量寿経には『愛』を仏心と表現し、『仏心とは四無量心是なり』と言うように書いてある。
『四無量心』とは慈悲喜捨の四つの無量の深き心である。
『慈』とは他(ひと)の苦しみを見て、その苦しみを抜いてあげたくなる心―抜苦の心であり、
『非』とは他(ひと)の苦しみを見て切なくなり、楽を与えたくなる『与楽』の心である。
『喜は』他(ひと)の喜びを見て自分の喜びとする心です。
『捨』は諸々の愛着心を捨てることです。


愛とは執着ではない、小鳥を籠の中から解き放つように、愛はすべてを解き放ち、尊敬し、信じることである。








1月5日(火)のつぶやき

2016年01月06日 04時36分45秒 | コラム・人文

義経の八艘飛び如く、悪意の世界を飛び越えよ、其処は善意に満ちた天国である。 goo.gl/aubk01


義経の八艘飛び如く、悪意の世界を飛び越えよ、其処は善意に満ちた天国である。 fb.me/Skzvzc54