「ビン・ラーディンが、何故出現したか」
この事を、アメリカ人達は絶対に理解出来ないのだろう。
そして、アメリカが「ビン・ラーディン」の存在の意味が理解出来ない以上、事はなんにも解決しない。
世界には、憎悪が溢れ、テロと暴力は消える事は無い。
若かりし頃、全共闘世代に属する私は、それなりに新左翼運動に加わり、機動隊との衝突も経験している。
その頃は、反米帝国主義と反スターリン主義が合い言葉で、訳も解らず「共産党中国」に好感を抱いたり、パレスティナに大いなる同情心を抱いたりしていた。
そして、反米は良いが、今程嫌悪感を抱いていた訳でもなかった気がする。
若気の至り、と言えばそれまでであるが、それなりに「全身全霊」で『体制』に反発しているつもりであった。
時は過ぎ去り、世界を取り巻く経済情勢は大きく変わり、しかし、政治状況は全く変わっていない。
アメリカの「傲慢」なる世界へのドミネーションは、増々顕著かつ露骨となり、世界経済をかき回すその影響力からは、如何なる国も抜け出す事が出来ないシステムに至ってしまった。
世界中で貧富の差は絶望的にまで広がり、両者の間の溝は最早、下からのり越える事は不可能である。
皆さん、砂漠に行った事がお有りだろうか。
或は、荒涼たる礫漠に。
広間の炎熱の太陽に焼かれ、極寒の夜に凍える世界に。
水の一滴が貴重で、緑の野菜の一葉が、命を繋ぐ世界が理解出来るだろうか。
20世紀に、人間の文明は「石油」無くして、一切の生活が成り立たない事になってしまった。
石油無くして、移動は不可能となり、ありとあらゆる機械の潤滑が不可能となれば、総てのムーヴメントが停止してしまう。
プラスティックも、薬品も、原料が無く、原料が有る物も機械が動かせず、生産出来ても運べない。
文明生活は、破綻する。
その石油を、中東が世界に需要の半数を供給している。
そして、その中東二は居る筈の石油収入は、大半が独裁者に依って搾取され、アメリカから兵器を購入する事に費やされ、一部の富裕層以外の人々の生活を潤す事は少ない。
そして、先祖代々済み続けて来た人々が、土地を暴力で奪われ、反抗を許されず、反抗すれば百倍になって帰って来る『イスラエル』という悪魔が、アメリカの後ろ盾の元に、好き放題にパレスティナを圧殺している。
ましてや、石油等の資源の無い、アフガン諸国等に至っては、「宗教」に全てを打ち込む以外に、生きて行く心の支えは無い。
一方では、世界中の人々が求める、先端技術に裏打ちされた、あらゆる物質文明の恩恵に浴した生活がある。
パソコンも、携帯電話も、コカコーラも、マルボロウも、欲しいし、手に入れれば、アメリカを潤す。
あらゆる電化製品に囲まれて、今日の食事の心配等する事無く、豊かに暮らす生活は、テレビや栄映画等を通じて、嫌でも目に飛び込んで来る。
羨望と、その裏替えしの嫌悪感とが、複雑に絡み合って、精神を苛む。
西欧物質文明の象徴が、アメリカと言う国家であり、好き嫌いに関わらず、嫌でも関わらざるを得ない存在は、余計いらだちをかき立たせる。
そこに、パレスティナ問題と、国際金融のからくりとが絡んでくれば、問題は一挙に膨れ上がる。
一般市民にとって、罰当たりな「異教徒」が、自分達の精神である宗教を辱め、富を奪い、敵(イスラエル)を利している事に、反発すれども、それ以上に具体的行動に出る手段は無い事に怒りは増幅するばかり。
そこに、「サウジ」の王家にも連なる、巨万の富を有する人物が、搾取されているアラブの人々の側に立って行動を開始すれば如何なる仕儀と相成るか。
「悪魔の国家に神の制裁を下す」と公言して、積極的に行動を開始すれば。
先祖伝来の土地を暴力で奪われ、難民となったパレスティナ人は、難民キャンプで3世代目が生まれている。
考えられるだろうか。
「避難村」が故郷で、世界とは「避難村」そのものであり、「避難村」しか知らない世代を想像してみて欲しい。
学問も受けられず、職もない。
そのような、人生に希望のカケラももてない人々は、実際に「行動」を呼び掛けるリーダーには,当然心酔する。
大勢の「兵士」を育て、教育を施し、各種技術を身につけさせて、綿密な計画の元に「悪魔の国家」に一矢報いるチャンスを与えられれば、彼等は奮い立って、命すら投げ出すのだ。
ビン・ラーディンは、アメリカ政界戦略の犠牲になって、国土を荒らされ、一部の傀儡政権を富ませ、国民の尊厳を侵されている人々に撮っては、希望の星だった筈だ。
私は、個人的には「平和主義」である。
戦争は当然として、あらゆる暴力行為には嫌悪感を持っている。
この事は、拙ブログで散々書いて来た。
その度に、多くのコメントを頂いて、私の理論的破綻を指摘されて来た。
しかし、私は平和主義の首長は変えない。
お花畑の盲目のチョウチョと言われても、一向かまわない。
しかし、『ビン・ラーディン』の行動が、私には理解出来る。
支持はしない。
でも、理解出来るのです。
アメリカ人は、自分達の頭上から爆弾を落とされた経験が無い。
(パール・ハーバーを唯一の例外として)
世界史上、常に「他の民族」の土地に砲撃を続けて来た。
それがアメリカ人の気質であろう。
正義は自分達の側に有る。
武器が平和と正義を作る。
正邪は、アメリカの基準で判断する。
そして、自分達の正義を、世界中に押し付ける。
その「アメリカの正義」が、全人類に「普遍的」に正しいのであれば、問題は起こらないのだろう。
しかし、正邪は「相対的」な事に過ぎない。
アメリカ人には正しくとも、押し付けられる側には、正しくない事も、往々にして有るのだ。
それが、アメリカ人には解らないらしい。
そして困った事に、その「正義の行使」には、アメリカの経済が大きく関わり、世界の経済の首根っこを押さえている「国際資本」の利益の為に、行使される事が殆どなのだ。
アメリカ人達は、何も不都合は感じない。
しかし。
軍事基地を一方的に押し付けられて、経費を一方的に負担させられている側にとっては、堪え難い横暴であり、侮辱なのだ。
傀儡政権が、国民の真の利益に反して、唯々諾々とアメリカに利益供与をして恥じない事が、国民にとって、どれほど不利益を被り、どれほど反感を買っているのかを、傀儡政権の当事者達も、アメリカ自身も、気がつかない悲劇。
「法と正義」が、アメリカン・デモクラシーの基本である。
人権の確立を自慢し、自由の享受の権利を謳い上げる。
言論の自由を標榜し、確立した民主主義の制度を誇る。
それも良かろう。
何れも表向きの事に過ぎない。
そんな事は、当のアメリカ人達すら気がついていない、等と言う矛盾にも、目をつぶろう。
中南米の独裁政権を、築く裏工作をし、邪魔になったら転覆させる。
アフリカの独裁政権を、作っては壊す。
イラクの政権を崩壊させ、イランを敵視する。
中国に民主化を迫り、それらはすべてその時々の「アメリカの政治と経済」との都合で左右される。
そんな国家が、世界経済の半数を握り、国際政治を好き放題に左右する。
ロシアでなくとも、北朝鮮でなくとも、そんなアメリカの「やり口」には、いらだちを覚える。
しかし、世界の秩序の中に有る国家としては、表立った「抵抗」はやりにくい。
抵抗すれば、戦争になるか、経済が破綻するかのどちらか、或は両方訪れる事は、皆分かっている。
駆け引きと、外交的非難の応酬で、終わってしまうのがオチであった。
ところが、ここに、一国の予算程もの財力を有し、建前を貫く必要の無い「一個人」が居た。
欺瞞と暴力とを垂れ流すアメリカに対して、個人的に反撃を試みる人物に、虐げられて来たと思い来んで居る人々は、当然全面的に支持を送り、陰から日向から支援するのは当然である。
911によって、アメリカは「頭上にから爆弾が落ちて来る恐怖」を、始めて実感した。
とたんにパニックに陥ってしまった。
後は、「対テロ戦争」と言う旗印のもとに、同盟国、友好国を巻き込んでの「ビン・ラーディン探し」に狂奔するのだ。
しかし、忘れてはならない事は、オッサマとジョージ・ブッシュとは、家族ぐるみの付き合いの仲だったと言う事。
サウジの石油と、サウジ王家のアメリカ支持政策は、アメリカの中東政策に置ける、重要不可欠なY要素である。
その王家に連なる人物を、果たして何処まで「本音」で潰そうとして来たのか、考えてみる必要も有るのでは無かろうか。
そして、陰謀説もある911事件のあと、支配構造の安泰を図る意味でも、「国家を上げての目標」が、必要であった。
探せども探せども、見つからない。
地球上の総ての場所を、10センチまでの解像度で撮影出来るカメラを搭載した衛星をフル稼働して、後を置い続けて来た。
そして、昨日いきなり「殺した」と言う報道。
顔を歪めて歓喜に沸き立つ「良き市民」達。
なにか、表現出来ない「違和感」を覚えるのだ。
パキスタンの峨々足る山並みの、荒涼たる世界に隠れ住んでいた訳ではなく、なんと多くの人々が暮らす「平和」な町中に、周囲の民家の8倍にも及ぶ広大な土地に住居を構えて、家族共々暮らしていた、と言う事実にも、違和感を覚える。
誰も彼の行方を知らなかった??
米軍の特殊部隊や、CIA その他の組織の総力を挙げての捜索を、楽々と逃げ延びて来た彼が、そのように開けっぴろげに暮らしていたとは、何を意味するのか。
慢心してしまったのか。
油断してしまったのか。
じつは、彼は「本当には」身の危険を感じていなかったのでは無いか?
彼は、現地の政権や人々と、密接に繋がっていたのでは無いか。
そして、いくら「困難な作戦」とは言え、大した防御もされていなかった「民家」に、特殊部隊を突入させて、わずか40分の作戦で帰還した。
殺してしまって。。。
腑に落ちない。
腑に落ちない事はさておいて、自由と民主主義の国が、生け捕りにして「裁判」にかけ、911その他、これまでの数々のテロ作戦の事実を解明するでもなく、殺して、しかもそのまま「水葬」にしてしまった。
死体をアメリカに運ぶでも無く。
「遺体を引き取る国が無かった」
やはり、何かが有るのでは無かろうか。
アメリカの一般国民の狂喜乱舞する様子は、見ていて決して気持ちのいい物では無い。
彼が何故「そこまで」大胆に大掛かりのテロ作戦を遂行してきたのかを、決して理解する事も無かろうに、ただ「殺した」事に狂喜乱舞。
ヒロシマに、ナガサキに、原爆を落としたときのアメリカ人達も、きっとこのように「狂喜乱舞」したのだろう。
そんな想像をしてしまう。
アメリカ人達は、これですっきりした事だろう。
何しろ「911」の首謀者を誅殺したのだから。
しかし、オサマを世に送り出した原因は、全く理解されていないし、解決も期待出来ない。
しからば、相手側に立ってみれば、自分達にとって、「具体的に」アメリカに強烈な一撃を桑絵里子とが出来るただ一人の「規模の星」を失ってしまったのだ。
問題は、これから更に大きくなって行くのでは無いのか。
その事に考えの及ばないアメリカの人々にとっては、枕を高くして眠る事は出来そうにない様に思う。
世界は、増々混乱の度を深めるに違いない。
第一、本物の『オサマ・ビン=ラーディン』だったのか。。。
この事を、アメリカ人達は絶対に理解出来ないのだろう。
そして、アメリカが「ビン・ラーディン」の存在の意味が理解出来ない以上、事はなんにも解決しない。
世界には、憎悪が溢れ、テロと暴力は消える事は無い。
若かりし頃、全共闘世代に属する私は、それなりに新左翼運動に加わり、機動隊との衝突も経験している。
その頃は、反米帝国主義と反スターリン主義が合い言葉で、訳も解らず「共産党中国」に好感を抱いたり、パレスティナに大いなる同情心を抱いたりしていた。
そして、反米は良いが、今程嫌悪感を抱いていた訳でもなかった気がする。
若気の至り、と言えばそれまでであるが、それなりに「全身全霊」で『体制』に反発しているつもりであった。
時は過ぎ去り、世界を取り巻く経済情勢は大きく変わり、しかし、政治状況は全く変わっていない。
アメリカの「傲慢」なる世界へのドミネーションは、増々顕著かつ露骨となり、世界経済をかき回すその影響力からは、如何なる国も抜け出す事が出来ないシステムに至ってしまった。
世界中で貧富の差は絶望的にまで広がり、両者の間の溝は最早、下からのり越える事は不可能である。
皆さん、砂漠に行った事がお有りだろうか。
或は、荒涼たる礫漠に。
広間の炎熱の太陽に焼かれ、極寒の夜に凍える世界に。
水の一滴が貴重で、緑の野菜の一葉が、命を繋ぐ世界が理解出来るだろうか。
20世紀に、人間の文明は「石油」無くして、一切の生活が成り立たない事になってしまった。
石油無くして、移動は不可能となり、ありとあらゆる機械の潤滑が不可能となれば、総てのムーヴメントが停止してしまう。
プラスティックも、薬品も、原料が無く、原料が有る物も機械が動かせず、生産出来ても運べない。
文明生活は、破綻する。
その石油を、中東が世界に需要の半数を供給している。
そして、その中東二は居る筈の石油収入は、大半が独裁者に依って搾取され、アメリカから兵器を購入する事に費やされ、一部の富裕層以外の人々の生活を潤す事は少ない。
そして、先祖代々済み続けて来た人々が、土地を暴力で奪われ、反抗を許されず、反抗すれば百倍になって帰って来る『イスラエル』という悪魔が、アメリカの後ろ盾の元に、好き放題にパレスティナを圧殺している。
ましてや、石油等の資源の無い、アフガン諸国等に至っては、「宗教」に全てを打ち込む以外に、生きて行く心の支えは無い。
一方では、世界中の人々が求める、先端技術に裏打ちされた、あらゆる物質文明の恩恵に浴した生活がある。
パソコンも、携帯電話も、コカコーラも、マルボロウも、欲しいし、手に入れれば、アメリカを潤す。
あらゆる電化製品に囲まれて、今日の食事の心配等する事無く、豊かに暮らす生活は、テレビや栄映画等を通じて、嫌でも目に飛び込んで来る。
羨望と、その裏替えしの嫌悪感とが、複雑に絡み合って、精神を苛む。
西欧物質文明の象徴が、アメリカと言う国家であり、好き嫌いに関わらず、嫌でも関わらざるを得ない存在は、余計いらだちをかき立たせる。
そこに、パレスティナ問題と、国際金融のからくりとが絡んでくれば、問題は一挙に膨れ上がる。
一般市民にとって、罰当たりな「異教徒」が、自分達の精神である宗教を辱め、富を奪い、敵(イスラエル)を利している事に、反発すれども、それ以上に具体的行動に出る手段は無い事に怒りは増幅するばかり。
そこに、「サウジ」の王家にも連なる、巨万の富を有する人物が、搾取されているアラブの人々の側に立って行動を開始すれば如何なる仕儀と相成るか。
「悪魔の国家に神の制裁を下す」と公言して、積極的に行動を開始すれば。
先祖伝来の土地を暴力で奪われ、難民となったパレスティナ人は、難民キャンプで3世代目が生まれている。
考えられるだろうか。
「避難村」が故郷で、世界とは「避難村」そのものであり、「避難村」しか知らない世代を想像してみて欲しい。
学問も受けられず、職もない。
そのような、人生に希望のカケラももてない人々は、実際に「行動」を呼び掛けるリーダーには,当然心酔する。
大勢の「兵士」を育て、教育を施し、各種技術を身につけさせて、綿密な計画の元に「悪魔の国家」に一矢報いるチャンスを与えられれば、彼等は奮い立って、命すら投げ出すのだ。
ビン・ラーディンは、アメリカ政界戦略の犠牲になって、国土を荒らされ、一部の傀儡政権を富ませ、国民の尊厳を侵されている人々に撮っては、希望の星だった筈だ。
私は、個人的には「平和主義」である。
戦争は当然として、あらゆる暴力行為には嫌悪感を持っている。
この事は、拙ブログで散々書いて来た。
その度に、多くのコメントを頂いて、私の理論的破綻を指摘されて来た。
しかし、私は平和主義の首長は変えない。
お花畑の盲目のチョウチョと言われても、一向かまわない。
しかし、『ビン・ラーディン』の行動が、私には理解出来る。
支持はしない。
でも、理解出来るのです。
アメリカ人は、自分達の頭上から爆弾を落とされた経験が無い。
(パール・ハーバーを唯一の例外として)
世界史上、常に「他の民族」の土地に砲撃を続けて来た。
それがアメリカ人の気質であろう。
正義は自分達の側に有る。
武器が平和と正義を作る。
正邪は、アメリカの基準で判断する。
そして、自分達の正義を、世界中に押し付ける。
その「アメリカの正義」が、全人類に「普遍的」に正しいのであれば、問題は起こらないのだろう。
しかし、正邪は「相対的」な事に過ぎない。
アメリカ人には正しくとも、押し付けられる側には、正しくない事も、往々にして有るのだ。
それが、アメリカ人には解らないらしい。
そして困った事に、その「正義の行使」には、アメリカの経済が大きく関わり、世界の経済の首根っこを押さえている「国際資本」の利益の為に、行使される事が殆どなのだ。
アメリカ人達は、何も不都合は感じない。
しかし。
軍事基地を一方的に押し付けられて、経費を一方的に負担させられている側にとっては、堪え難い横暴であり、侮辱なのだ。
傀儡政権が、国民の真の利益に反して、唯々諾々とアメリカに利益供与をして恥じない事が、国民にとって、どれほど不利益を被り、どれほど反感を買っているのかを、傀儡政権の当事者達も、アメリカ自身も、気がつかない悲劇。
「法と正義」が、アメリカン・デモクラシーの基本である。
人権の確立を自慢し、自由の享受の権利を謳い上げる。
言論の自由を標榜し、確立した民主主義の制度を誇る。
それも良かろう。
何れも表向きの事に過ぎない。
そんな事は、当のアメリカ人達すら気がついていない、等と言う矛盾にも、目をつぶろう。
中南米の独裁政権を、築く裏工作をし、邪魔になったら転覆させる。
アフリカの独裁政権を、作っては壊す。
イラクの政権を崩壊させ、イランを敵視する。
中国に民主化を迫り、それらはすべてその時々の「アメリカの政治と経済」との都合で左右される。
そんな国家が、世界経済の半数を握り、国際政治を好き放題に左右する。
ロシアでなくとも、北朝鮮でなくとも、そんなアメリカの「やり口」には、いらだちを覚える。
しかし、世界の秩序の中に有る国家としては、表立った「抵抗」はやりにくい。
抵抗すれば、戦争になるか、経済が破綻するかのどちらか、或は両方訪れる事は、皆分かっている。
駆け引きと、外交的非難の応酬で、終わってしまうのがオチであった。
ところが、ここに、一国の予算程もの財力を有し、建前を貫く必要の無い「一個人」が居た。
欺瞞と暴力とを垂れ流すアメリカに対して、個人的に反撃を試みる人物に、虐げられて来たと思い来んで居る人々は、当然全面的に支持を送り、陰から日向から支援するのは当然である。
911によって、アメリカは「頭上にから爆弾が落ちて来る恐怖」を、始めて実感した。
とたんにパニックに陥ってしまった。
後は、「対テロ戦争」と言う旗印のもとに、同盟国、友好国を巻き込んでの「ビン・ラーディン探し」に狂奔するのだ。
しかし、忘れてはならない事は、オッサマとジョージ・ブッシュとは、家族ぐるみの付き合いの仲だったと言う事。
サウジの石油と、サウジ王家のアメリカ支持政策は、アメリカの中東政策に置ける、重要不可欠なY要素である。
その王家に連なる人物を、果たして何処まで「本音」で潰そうとして来たのか、考えてみる必要も有るのでは無かろうか。
そして、陰謀説もある911事件のあと、支配構造の安泰を図る意味でも、「国家を上げての目標」が、必要であった。
探せども探せども、見つからない。
地球上の総ての場所を、10センチまでの解像度で撮影出来るカメラを搭載した衛星をフル稼働して、後を置い続けて来た。
そして、昨日いきなり「殺した」と言う報道。
顔を歪めて歓喜に沸き立つ「良き市民」達。
なにか、表現出来ない「違和感」を覚えるのだ。
パキスタンの峨々足る山並みの、荒涼たる世界に隠れ住んでいた訳ではなく、なんと多くの人々が暮らす「平和」な町中に、周囲の民家の8倍にも及ぶ広大な土地に住居を構えて、家族共々暮らしていた、と言う事実にも、違和感を覚える。
誰も彼の行方を知らなかった??
米軍の特殊部隊や、CIA その他の組織の総力を挙げての捜索を、楽々と逃げ延びて来た彼が、そのように開けっぴろげに暮らしていたとは、何を意味するのか。
慢心してしまったのか。
油断してしまったのか。
じつは、彼は「本当には」身の危険を感じていなかったのでは無いか?
彼は、現地の政権や人々と、密接に繋がっていたのでは無いか。
そして、いくら「困難な作戦」とは言え、大した防御もされていなかった「民家」に、特殊部隊を突入させて、わずか40分の作戦で帰還した。
殺してしまって。。。
腑に落ちない。
腑に落ちない事はさておいて、自由と民主主義の国が、生け捕りにして「裁判」にかけ、911その他、これまでの数々のテロ作戦の事実を解明するでもなく、殺して、しかもそのまま「水葬」にしてしまった。
死体をアメリカに運ぶでも無く。
「遺体を引き取る国が無かった」
やはり、何かが有るのでは無かろうか。
アメリカの一般国民の狂喜乱舞する様子は、見ていて決して気持ちのいい物では無い。
彼が何故「そこまで」大胆に大掛かりのテロ作戦を遂行してきたのかを、決して理解する事も無かろうに、ただ「殺した」事に狂喜乱舞。
ヒロシマに、ナガサキに、原爆を落としたときのアメリカ人達も、きっとこのように「狂喜乱舞」したのだろう。
そんな想像をしてしまう。
アメリカ人達は、これですっきりした事だろう。
何しろ「911」の首謀者を誅殺したのだから。
しかし、オサマを世に送り出した原因は、全く理解されていないし、解決も期待出来ない。
しからば、相手側に立ってみれば、自分達にとって、「具体的に」アメリカに強烈な一撃を桑絵里子とが出来るただ一人の「規模の星」を失ってしまったのだ。
問題は、これから更に大きくなって行くのでは無いのか。
その事に考えの及ばないアメリカの人々にとっては、枕を高くして眠る事は出来そうにない様に思う。
世界は、増々混乱の度を深めるに違いない。
第一、本物の『オサマ・ビン=ラーディン』だったのか。。。