joy - a day of my life -

日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

正義

2005年07月09日 | Book
横浜国立大学・保健センターの堀之内高久さんという方が介護にたずさわるさいの色々な罠について書いた『介護ストレス解消法―介護保険後の戸惑う現場へ』(中央法規)という本があります。その中に次のような記述があります。

 ある介護従事者が仕事量の多さを上司に訴えたところ、「他のメンバーはそんなことを言っていない。あなたの時間の使い方がまずいんだ」と言われたそうです。このエピソードにからめて堀之内さんは次のように言います。

 「たとえば、介護職として、相手を思いやり、利用者ひとりひとりの個性を尊重しながら援助していく、というような正論を出されると、誰も反対できません。

 このような場合は、(部下との)信頼関係のない関係を上司が作り出していることになります。「利用者との関係は、信頼関係に基づいて」などといつも口にしている言葉とは裏腹に、自らが部下との信頼関係を作れていないのです。

 (このような上司の姿勢は)「いい子」として社会に貢献する、いいものを作り上げようとする前向きな姿勢とみることもできるでしょうが、スタッフの苦痛には目をつむり、思いどおりにしたいという上司側の自己愛の満足のために、正論を言い続けている場合があるのです。

 正論は、時として暴力になり、相手への思いやりが欠けてしまうところがあるので、もしかして、自己満足を満たすためだけに言っているのではないか、と反省する感覚を持つ必要があるのです」(p.35)

要するに、社会の弱者を助けるという正義を遂行するために、同じ介護職の同僚の複雑な気持ちを理解する能力がこの上司には欠如しているということです。「複雑な」とは、介護者と言えども一人の人間であり、他人を助けたいという気持ちと同時に、自分自身の利益・気持ちの整理を尊重したいという側面があるということです。

こうした場面は、介護職だけではなく、医者・教師・学者・弁護士・そして昔であれば左翼活動家などにも頻繁に見られたものなのだと思います。それらの人たちは、「弱者」「一般の人」を助けるという観念が強固なため、助ける側の同業者を一人の人間としてみることができず、むしろ「強者」という単純なカテゴリーで括ってしまうということです。

これは堀之内さんが言うように、幼稚な自己愛だと思います。つまり、自分を至上の「正義の人」と思い込んでいるのです。

しかしこのような思い込みにはつねにストレスがつきまといます。自分の正義をつねに「罪深い他人」との対比で証明し、その他者への攻撃をともなうからです。

「正義」は同時に「悪」を作り出します。「悪」がなければ「正義」は存在することができません。

「悪」を作る(=「正義」をなす、「誠実」である)ということが周りの人と自分をスポイルすること、このことについての反省が必要なのが、日本を含めた西欧の現代の知的文化の特徴のように思えます(そのことについて考察したのが、『平気で嘘をつく人たち』(スコット・ベック)という本です)。


涼風

最新の画像もっと見る

post a comment