joy - a day of my life -

日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

「嫌い」の本質

2005年02月12日 | reflexion
父親が風邪で寝込んでから、もう5日ぐらい経っている。ただの風邪でも年齢が年齢なので、じつはドキドキしたりしています。まあ、たまに起きて何かしていたりするし、母親はゆったり構えているのだけど。

ふだんは粗暴にみえる人でも、風邪で寝込まれるとちょっと怖くなる。

もし父親が元気になって横暴に振舞ったとしたら、わたしの中にはまた怒りが出てくるだろう。

それはそれでいいのじゃないだろうか。親と子の場合は、お互いが元気なうちはわだかまりがあるのが普通だし、人間である以上解けない誤解というのもあるだろう。

誤解はべつに解けなくてもいい。嫌いあっているあいだはお互い嫌いあっていればいいのだ。

おそらく、好きと嫌いや憎しみは両立するのではないだろうか。親子の関係に限らず、人間関係全般で、好きと嫌いは両立するのではないだろうか。わたしはあの人のことが好きだけど嫌いだ、という風に。

誤解が解けなければ、AさんとBさんは一生に憎み合ったままだろう。しかしそれは、じつはAさんもBさんもお互いに相手にわかって欲しいという欲求の現われなのです。

わたしは何年にも渡って人を憎み続けることがあります。今でも、過去の恨みを思い出して、想像の中で何人かの人を叩きのめし、侮辱のかぎりをつくすこともあります。

しかし、わたしは思うのですが、わたしが憎んできた人はすべて、どこかでわたしはその人たちに憧れていたり、友達になりたかったりしていたのです。おそらくわたしはその人たちのことが好きだったから、自分の期待がかなわなくて憎んでいるのだ。

好きでなければ憎めない。

誤解が解けない以上、二人が和解することはないけれど、それは二人がお互いに好き合っていることの証明なのだ。


涼風



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3 Comments

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本音 (あゆみ)
2005-02-14 14:53:59
こんにちわ!!いつも、ご自分の本音をキャチし、正直にみつめる勇気に感動しています。人間には良い部分、悪い部分両方あっていいのに、わたしは、神に女神になりたく、もっというと、女神でないと人に愛されない、と思っていたように思います。

自分の醜いこころの声を受け入れられずに、見ないように、みても頭で良い考えに書き換えていました。

自分の嫌な感情もあたし。自分で自分を許したい。

皆のほうがあたしの悪魔を愛して許してくれている感じがする。

よく、ここまで良い子になろうと生きてきたなと今日は自分を愛したい。愛されたかったんだと。

愛されていたのに。分からずに。

涼風さん、あなたは勇気のある男性です。

強い!!あたしは、そういうところが大好きです。







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Unknown (涼風)
2005-02-15 00:08:48
あゆみさん、こんにちは。コメント、ありがとう。このあいだは、お疲れさまでした。見事成功でしたね。いいスピーチを聴けて楽しかったです。



そうですね。じぶんは「いい子」を演じているつもりでも、まわりはじぶんの「悪い子」を見てそれを気に入ってくれていたということも、ありますよね。隠そうとしても、まわりの人はちゃんと見ているんですよね(笑)。



ということは、みんなはそんなに気にしていないってことかもしれませんよね。



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Unknown (あゆみさん ふみこさんへ)
2005-04-07 10:38:23
あゆみさん ふみこさん



ハワイからのお便りありがとうございます!突然エア・メールが来てうれしいサプライズでした。こちらこそ、これからもよろしくお願いします。





(メル・アドのデータをなくしてしまって、こんなかたちのお返事ですみません



涼風
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