joy - a day of my life -

日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

「農奴の家系なんだ」

2006年04月05日 | reflexion

昨日、今日と泊りがけで姉と姪が遊びに来ていました。彼女は今度中学生ですが、赤ちゃんから子供の頃を撮影したDVD(ビデオから編集したもの)をわざわざ持って来て、上映会をしました。

DVDプレーヤーは先月買ったもの。やっぱりDVDはビデオに比べてかさばらないし、ビデオと違って予告編を無理やり見せられることもないのでいいですね。

画像はそれほどでもないかな。でもウチのテレビは結構古いのに、DVDによってはすごくキレイな画面になります。

姪の子供の頃(今でも子供だが)はすごく無邪気でした。逆に言えば、子供というのは小学生の中学年くらいから急激に「大人」「自立」への道を駆け上がって行くということですね。

それまで純真だった彼らにとって、擦れて斜に構えることは新鮮であるのでしょう。大人以上に大人になると言えるかもしれません。「純粋さ」は急激に薄れます。

これはいいとか悪いとかではなく、そういうものなのだと思います。

どこかで江国香織は「大人のほうが子供より親切だ」と言っていたけど、大人は、そういう擦れて斜に構えた態度で10代を駆け抜け、20代で今度は「よい大人」「善良で賢い人間」になろうとします。まぁ、その際に自分の中の「シャドー」を抑圧するので、大抵は意地悪で残酷な部分と善良な部分を合わせ持ち、そのため多くの人は周りの人とトラブルを起こして行きます。

そうした困難を潜り抜けながらも、なんとか純粋に子供のようになろうとするのが大人でしょうか。多くの人は老年期にその目標に達しているものなのかもしれません。


私の家系の多くは、調べたことはないけれど、低所得層です。私の家もそうだし、姉も学歴はありますが引力に引き寄せられるように低所得の家庭を営んでいます。

姪も将来に就きたい仕事について話していたりしていましたが、それも人生に希望を見出すというより、手近にちょっと興味のあることと職業を結び付けただけのような、表面的には低所得に見える職業に就きたいと言っています。

そうした光景を見てちょっと絶望的になりました。何代に渡ろうが自分の家族は低所得と貧困と苦労にあえぐ「農奴」の家族なのだ、と思わされました。

創造性を発揮して経済的に豊かになるDNAが自分の家系には欠けており、その実例をまた姪の人生によって見せられるのかと思うと絶望的な感じになりました。頭の悪い家族なんだ、と。頭が悪く、脳の働きが十分でなく、地を這うようにしか生きることができない。

以前人に私の出自をバカにされたように感じたとき、言いようもない怒りと屈辱感に苛まれたことがあります。

じゃぁ、姪が「医者になる」とか「上場企業のキャリアウーマンになる」とか言えば私は安心するのでしょうか。おそらくヘンに安心すると思いますが、それは偽りの安心であり、その裏にはやはりつねに「自分は農奴の家系でしかない」という怖れを持っているので、その怖れに直面させられるような現実にいずれ出会うことになるでしょう。

親は私に安定した収入のあるサラリーマンか公務員になることを望んでいただろうし、私はおそらくそれに反発した人生を生きています。そのことへの後悔を私は脱しているとは言えないし、しかし同時にでは親の通りに生きていればよかったわけではないことを私の一部は知っているようにも感じています。

私は姪の人生をコントロールすることはできないし、まして自分の人生もコントロールすることはできません。

涼風

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