joy - a day of my life -

日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

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2004年12月03日 | 日記
きのう、《信頼》について書きました。もうすこし、信頼について考えてみたいと思います。

信頼するとは、どういうことなのでしょうか。英単熟語集のベストセラー『Duo 3.0』につぎのような例文があります。

You won’t let me down. I have great Faith in you. ...
(僕をがっかりさせないよね。信頼しているよ。...

これは信頼というより、他人を自分の思い通りにコントロールしようとしているようにわたしは感じました。そのときの状況次第では「俺を失望させるなよ」という脅しのように解釈できるからです。まあ、そのときの受け取り方しだいですけど。


それに対して、信頼とは、いまのわたしには、どんなことも、どんな結果になっても、OKとみなすことのように感じます。

アメリカの心理トレーナー、チャック・スペザーノさんは、信頼をつぎのように述べています。


「《信頼》とは、・・・、どんなに否定的に思えることでも、その状況を全体的に把握し、うまくいく方向に変えることです。マインドのパワーを使って、状況を肯定的に展開させるのです」(『30日間で、どんな人でもあなたの味方にする法』ヴォイス)

「ネガティヴなものごとに《信頼》を置いてあげると、最善の方向に変化します」

「幸福、豊かさ、愛や真実など、望むことが実現すると選択し、《信頼》するだけでよいのです」
『Dr.チャック・スペザーノのセルフ・セラピー・カード』ヴォイス)


こういう説明だけをみると、「信頼」ってとても便利な道具だなと思いたくなります。「なんでも想えば実現するんだ!」「これで人生ハッピーだぞ!」「イッヒッヒッ…」という感じですね。


でも、そういう解釈の仕方は、おそらく、というよりぜんぜん間違いなのでしょう。

信頼は、「(自分や他人や状況が)こうあらねばらない」という私たちの思い込み=コントロールを癒す、とチャックさんは言っています。つまり、信頼とはコントロールの対極にあるということです。

だから、「信頼したんだから、もう物事は思い通りにいくはずだ!!!」と思うことは、全然《信頼》にはなっていないわけですね。

わたしがチャックさんの心理学のなかでよくわからなかったのは、この信頼とコントロールの違いです。

信頼とはなになのでしょうか。


きのう思ったのは、信頼とは受容のひとつの形だということです。どんな状況も受け入れるということです。

チャックさんはつぎのように言っています。

「あなたの仕事は、平和を感じるまで「信頼」を送り続けることです。そのとき、何層もの違った感情を通り抜ける感じがするかもしれません。もしそうであれば、それは癒しそのものです」(『30日間で、どんな人でも・・・』)。

つまり、信頼とは、自分が嫌っている今の状況を直視して、その状況にまつわる感情をすべて感じていくことだとも言えます。どんなにそれが嫌な状況だとしても、現実にそれがこの世界に存在すること、それをはっきりと認めることです。

チャックさんは、《信頼》について説明するとき、いつもつぎのようなことばを付け加えます。

「《信頼》とは、情報や直観を無視して、何でもかんでも信用してしまうことではなく・・・」(『30日間で、どんな人でも・・・』

「信頼は世間知らずとは違います。何らかの感情や傷心につながるような情報を否定したりはしません」(『癒し大全』ヴォイス


繰り返しになりますけど、自分が嫌なことが現にあること、あるいは自分が何かに怖れをいだいていること、そのことをはっきりと認めるということですね。

それは、同時に、この《世界》というものを認める、承認するということだと思います。つまり、その状況あるいは人々がこの世界に存在することを許可するということ。許可という言い方が傲慢に聞こえて語弊があるとすれば、その状況が存在することが正当であると認めると言うことです(おんなじか)。

どんなことが起きようとも、その世界の進行が「正しい」と認めるということですね。

そうすると、感情を感じるということは、世界を肯定していくひとつの方法であると言えます。じぶんが人や状況を「嫌っている」ことを受け入れるということは、不完全な世界と自分を受け入れていくことなのだと思います。


じゃあ、どうしてこの「嫌い」という感情を受け入れると、ものごとが「最善の方向」に変化するのでしょうか?「幸福、豊かさ、愛や真実など、望むことが実現する」のでしょうか? 

どういうことなのだろう? わたしにとっては、チャックさんが言う《信頼》という概念のなかでは、ここのところが一番むずかしいです。「ホントに、そんなに物事がうまくいくの? それって《期待》じゃないの? 《期待》しちゃいけないんじゃないの?」


ただ、チャックさんはつぎのように言っています。

「《信頼》は、状況がどんな風に見えようとも、あなたにとってすべてがうまくいくと知っています。このことを知っていると、どんな状況でも、ありとあらゆる利点と恩恵を、見つけ出すことができるのです」(『30日間で、どんな人でも・・・』


つまり、《信頼》とは、現在の状況自体に、将来の自分の幸せの種があることを信じることだと言えるのかもしれません。いや、信じるのではなく、それは「知っている」のです。

この「知っている」という状態は、まさに、手に入れようとして手に入るものではないように思います。むしろ、現在の状況にまつわるあらゆる感情を感じつくし、その感情が消えたときに訪れる《平和》な感情の中で達成される状態のように思います。

少々理屈っぽく書いたけど、ほんとは、そんな大げさなことではないのでしょう。

ただ、ここまで書いてきてわたしが思ったのは、《信頼》とは、自分が嫌なものを受け入れるときに自分に訪れるプレゼントのような、平和な状態のように思えます。

つまり、その自分に訪れた《平和》という状態こそが、世界を《信頼》している状態であり、それが、「最善」なこと、「幸福、豊かさ、愛や真実」のように思えるのです。


タデウス・ゴラスさんはつぎのように言っています。

「地獄でさえも愛することができるようになれば、あなたはもう、天国に住んでいるのです」(『なまけ者のさとり方』地湧社or角川文庫)

チャックさんの真意はべつのところにもあるかもしれませんが、癒しとしての《信頼》とは、そういうことだと思いました。

つまり、何か特定の望むことをイメージすることも《信頼》なのかもしれませんが、イメージするという行為以上に、あるいはその行為だけでなく、《信頼することができる状態》、つまり《平和な状態》に自分がいること、そのこと自体が癒しのように思いました。

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