本の感想を書くときは、とりあえず一通り読んで、大体は読み終わったあとに記憶を頼りにページをパラパラめくってキーボードを打っています。
ただ先日読んだある本の箇所がすごくよかったので、まだ全部読んでいない本ですが、ここで紹介したいと思います。
「精神療法の領域で「革命的な」新手法や見地が開発されたとき、それは必ず粗雑な手技や認識である。開発ののち繰り返し試行され、現実と突き合わされるうちに、細部が整えられたり修正されたりして細やかな手技・認識として完成する。そうなった時点で眺めてみると、その完成物はさほど際立たない外貌となり、昔からの周知の方法や認識を再開発しただけであることが明らかになる。とはいえ新手技や新認識でなくなるわけでもない。「天が下に、新しきこと何も無し」という老人の知恵と、「日々新たなり」という生きる姿勢とは、言葉の見かけの上で対立するだけで、人の生の現場では矛盾なく両立する」(神田橋條治(著)『追補 精神科診断面接のコツ』p.59-60)。
私は精神医学については全く何も知らないし、カウンセリングについても知りません。それでも、療法家に対して書かれたこの本は、素人が読んでも、自分のこころについて洞察を深めるのにとても役立ちます。
上の言葉もその一つです。
心理学は私たちの日常に溢れており、素人である私(たち)は、その中に自分の知らなかった自分を幸せにしてくれる方法があると思いこみます。
それはたしかに幸せにしてくれるかもしれませんが、それが私たちを幸せにしてくれるのは、その本に書かれてある内容の真髄が、知っている人は前から知っているシンプルなものだと分かる時なのかもしれません。
こころはこころにすぎないのであり、こころは昔の人ももっていたのですから、こころをみるのに新しい方法など、めったに現れることはないのでしょう。
フロイトの精神分析ですら、少なくともその起源はヨーロッパの18世紀に求められるし、深く追えばもっと以前からかもしれません。
何が真実か分からなくなったときは、私たちはもっと自分が本当と思っていることに耳を傾けていいのでしょうね。
ただ先日読んだある本の箇所がすごくよかったので、まだ全部読んでいない本ですが、ここで紹介したいと思います。
「精神療法の領域で「革命的な」新手法や見地が開発されたとき、それは必ず粗雑な手技や認識である。開発ののち繰り返し試行され、現実と突き合わされるうちに、細部が整えられたり修正されたりして細やかな手技・認識として完成する。そうなった時点で眺めてみると、その完成物はさほど際立たない外貌となり、昔からの周知の方法や認識を再開発しただけであることが明らかになる。とはいえ新手技や新認識でなくなるわけでもない。「天が下に、新しきこと何も無し」という老人の知恵と、「日々新たなり」という生きる姿勢とは、言葉の見かけの上で対立するだけで、人の生の現場では矛盾なく両立する」(神田橋條治(著)『追補 精神科診断面接のコツ』p.59-60)。
私は精神医学については全く何も知らないし、カウンセリングについても知りません。それでも、療法家に対して書かれたこの本は、素人が読んでも、自分のこころについて洞察を深めるのにとても役立ちます。
上の言葉もその一つです。
心理学は私たちの日常に溢れており、素人である私(たち)は、その中に自分の知らなかった自分を幸せにしてくれる方法があると思いこみます。
それはたしかに幸せにしてくれるかもしれませんが、それが私たちを幸せにしてくれるのは、その本に書かれてある内容の真髄が、知っている人は前から知っているシンプルなものだと分かる時なのかもしれません。
こころはこころにすぎないのであり、こころは昔の人ももっていたのですから、こころをみるのに新しい方法など、めったに現れることはないのでしょう。
フロイトの精神分析ですら、少なくともその起源はヨーロッパの18世紀に求められるし、深く追えばもっと以前からかもしれません。
何が真実か分からなくなったときは、私たちはもっと自分が本当と思っていることに耳を傾けていいのでしょうね。