淳一の「キース・リチャーズになりたいっ!!」

俺好き、映画好き、音楽好き、ゲーム好き。止まったら死ぬ回遊魚・淳一が、酸欠の日々を語りつくす。

「さみだれ」

2007年05月27日 | Weblog
 朝から雨が降っている。
 昨日の夜はコンサートに行き、その帰り、独りでいつもの行きつけのパーへ。

 朝食を食べたきりで、あとは何もお腹に入れていなかったので、冷えた生ビールを呷り、リキュールのサザン・コンフォートをロックで続け様に飲み干したら、酔うのなんの・・・。
 マスターと話が弾み、BGMのジャズを聴いているうちに帰宅は12時を過ぎてしまった。
 小雨が降り注ぐ真夜中を街を、独り酔いながら帰る。

 今朝はゆっくりと朝寝坊。
 軽めの朝食を済ませ、前にも観た、成瀬巳喜男監督、昭和30年作品「浮雲」をまたビデオで。
 林芙美子の原作を、高峰秀子、森雅之の共演で撮った、恋愛映画の傑作である。

 しかし、何度観てもこの映画は素晴らしい。
 観るたびに新しい発見がある。
 農林省のタイピストとして仏印に渡ったゆき子(高峰秀子)という女性が、現地で富岡(森雅之)という男性と出会い、激しい恋に落ちる。
 ところが富岡には妻がいた。
 富岡という男性は、どこか投げやりで虚無的なところがあり、しかも優柔不断でブレイホーイ。自分勝手で、自身だけを愛しているエゴイスト。
 その曖昧な恋愛に対する態度が、彼女を困惑させ、苦悩の中に身を投じさせてゆく。

 高峰秀子が秀抜である。
 愛くるしく、一途で、しかも内に凄まじい愛の炎を燃やし続けている。
 逢瀬を交わす際の、その眼差しと仕草。色気の極地というか、艶かしさの究極形態というか。
 別に肌を露出するとか、姿態を見せ付けるとか、そういうことではなく、醸し出す雰囲気、目線、態度そのものが艶(なまめ)かしくて、しかも美しい。
 愛がぷんぷんと匂っている。

 それから、森雅之。
 男の持つ優柔不断、いい加減な態度、女性への母性的願望、目移りと果て無き女性愛。突然、醒めたかと思うと、いきなり愛を求めて、乞い、嘆願する。
 なんという、だらしなさ。傲慢さ。自堕落さ。
 そんなどうしようもない男を熱演する。

 これこそが、日本映画史に残る傑作の中の一本だろう。

 映画を観終え、某デパートで今日まで開催している「おめざフェア」で買い求めた、スイーツを堪能。
 名物「舟和」の芋羊羹に、餡だまに、名店「清月」のイタリアン・ロール。そして美味しいエスプレッソ。

 食べ終えて、3階の部屋から外を望む。
 雨が降っている。五月雨、5月の優しい雨。
 音が欲しくなり、この頃聴き狂っている、竹内まりやの「デニム」を聴きながら、またイタリアン・ロールをバクリ。

 日曜日の静かな午後。
 さあ、これからお出掛けしますか。
 映画館で映画を一本観て、そのあとは・・・。
 うーん、どうしよう。






 
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