CuniCoの徒然・・・岩下邦子の独り言

日々の暮らしの中で、立ち止まったり、すれ違ったり。私の中のアレコレを思いつくまま、気の向くまま。

痛いのはつらいなぁ・・・

2019-06-13 10:25:27 | 華麗なる加齢 あるいは 身体
やせ我慢をするタイプである、私は。
艱難辛苦を乗り越えて、的な人間である、私は。
つまり、我慢強い、マゾなのだ、どちらかというと。
だから、我慢した。
違和感から痛みになっても耐えていた。
左腕の筋肉の違和感から始まって、
指もおかしいなと思い、肩にも痛みが現れて、
日常動作も違和感を覚え、傘を閉じることもつらくなり、
車の助手席に座り、ドアを閉めることがつらい。
歩道の段差でバランスを崩し、
転びそうになったのを耐えたとき、左腕全体に激痛が走った。
あぁ、もう限界だ・・・と思いつつ、先月21日のGigを乗り切り、
ついに接骨院へ・・・
張り付いた筋膜をはがさないと・・・
かなり時間が経過していて、治療には時間がかかるという・・・
電気と吸引と手技とで30分以上の時間をかけて、徐々にほぐす。
一日おきの接骨院通い。
まぁ、我が家から徒歩2分だから、通院は、楽ではあるのだが。

9日のライブ前日。
接骨院が三連休。
痛みも動きもとにかく状態が悪すぎて、台湾の方の整体へ。
カップリングを試す。
可動範囲は少し広がった。
9日本番・・・内出血だらけの肩をショールで隠して乗り切る。
痛みは・・・ある。
しかし、肩周りがごちごちでは、いつもより声も出ない。
できる範囲でのストレッチは、必須である。
激痛が走り、しばしばそれをこらえる。
こらえながらのストレッチ。

痛いのはつらいなぁ・・・

夜もおちおち寝ていられない時期もあった。

今は、夜は眠っている。

しかし、朝起きてから動き出すまでの時間は、1時間みないと無理である。
つまり、まどろみながら、痛みをこらえながら、マッサージしたりストレッチしたり。
とにかく、痛みが怖くて左腕は、力みがちになる。
とにかく、気分もLOWになる。

接骨院の先生にも『痛い』とは言うがどうやら私の『痛い』という伝え方は
他の人たちより軽めに伝わるらしい・・・それが昨日分かった。
施術しやすいようにタンクトップになるために、上に着ていた服を脱ぐ。
まぁ・・・当然激痛で、いつものように激痛で、肩をおさえ縮こまり痛みに耐えた。
先生は、「えっ?そんなに痛いのですか?痛いですよね・・・」と。
「ハイ。これでも少し良くなってます。」

痛いのはつらいなぁ・・・と思いつつも、痛み止めを服用しない私。

元凶は、べったり張り付いてしまって固くなった肩甲骨周りの筋肉。
そこが、固まったから、腕の筋肉に負担がかかり痛くなり、肘や手の指にまで異常をきたす。
当然首も固くなり、血流も悪くなる。
吐き気まで生じる。

かなり、重症なのだという自覚がやっと出てきた。。。

意識的にストレッチ(痛くなる一歩手前まで)をする。

今朝、肩甲骨の辺りが、バリバリ・・・って。
音がした、バリバリって・・・

これは、いい傾向だと、素人判断だが思う。

少し動き始めた気がした。

以前五十肩をやったとき、こんなに苦しかったり痛かったりしなかった気がする。
こりゃ四捨五入で六十肩とでもいうものだろうか・・・
握力も無くなり、珈琲カップも持つこともつらい。

一進一退を繰り返しながら、それでも確実に良い方向に向かっている、はず。

いつか、反対側の耳が触れるほどに、快復することを願いながら日々ストレッチする。

さすがのマゾヒストのお邦も実は数か月かなりつらい日々なのでした。

そんなこんなで満身創痍なお邦ですが
21日19時 start Bitches Brew
CuniCo×
ケミー西丘
よろしくお願い申し上げます(^.^)


それにつけても、痛いのはつらいなぁ・・・

そのことを私は考えている。

2019-06-12 08:20:49 | 表現にからむ様々なこと
私が歌い始めたころ、
右も左もわからずに、
歌い始めたころ・・・
10代の頃からずっと私を知る演出家が、
私にいつも通り長文のメールをくれた。
『歌う行為』について、様々書いてくれたのだが、
そのメールがどこを探せば出てくるのか、整理能力皆無の私にはわからない。

ただ、彼が言っていたことをその時理解できなかったことだけは覚えている。
今読めば、少しは理解することができるかもしれないのにと思うのだが。

『ものがたり』はすでに終わった。
『すべての表現行為』は20世紀にやりつくしている。
そんなことをあれやこれや思いながら、いま、この時代にリアルに生きながら
何をどう表現するのかということは、私にとっていつも大きな課題ではあった。

かのピーター・ブルックが
『オペラは人類が初めて洞窟から出たときに発した声である』という意味のことを言っているが、
まさしくそこから発展し、形式を構築してきた表現というものが、存在している。

さて、誰しもひと度『人前に立つ』という非日常を与えられたとき、
それは、すべてが『意識的』な世界となる。
そこにはある種の緊張が生まれる。
その緊張を越える技術であったり、訓練や稽古であったり、
想いの強さがあったりしなければ『立つ』ことはできない。
その『意識的』な世界を『素』で生きることができたら・・・
意識された『素』である。
そのことを私は考えている。

話を変えよう。

私は、MC(曲間での喋り)なるものの存在と『歌う』という行為の落差に苦しんだ。
『歌う』行為は意識的モノであるが、
MCがどうもよくわからない、その立ち位置がわからない。
私は、マイクを持つという行為によって、自分が不自由になることを感じた。
マイクは、妙な緊張感を生むのである、『私、歌います。』的な緊張感。

それと、
私は、歌に自分を近づけることより、歌を自分に近づけるようにしてきた。
よくわからないのだが、その方が自分の言葉として発することができるから。
その一方で、どんなに感情的な歌でもコントロールできていないといけない。

いま、まだ『歌う』という行為に集中するので、MCがボロボロである(笑)
そこまで、意識できるようにならなくてはな・・・と思っているが、
いやはや、それが、なかなか難しい。
そのことを私は考えている。

もう一つの話。
60年代から70年代の日本は、戦後の混乱から立ち直り
高度経済成長へと力強く変化していた時代。
その時代の表現は、その日常から非日常へと誘うものだった。
そして、このままでいいのか、もっと狂え、安定なんてクソクラエとばかりに、
人間の持つある種のエネルギーを象徴するモノであった。
80年代になると、多くの人たちが表現する場を得ていく。
60年代70年代象徴的だった向こう側の世界に自らが立ち、
表現者となり、多くの若者が、活動を始めるようになる。
それは、高度経済成長が生んだ経済効果の一つなのかもしれない。
そして、空前のカラオケブーム。
誰しもが歌い、酔いしれる。
しかも、かなり、うまい。
21世紀インターネットが普及し、
ストリップ劇場に行かなくても刺激的な映像は、
自分の部屋までやって来る事態となった。
もちろん、世界中の音楽が布団の中に寝転がっていても楽しめ、
電車の中でも道を歩いていても、耳には、音楽があふれている。

そして、9.11.である。

あの時、少しずつ感じていた『日常が虚構を越えているのではないか。』
という感覚を、一気に確信にまでもっていった。
それまでも、現実の社会で虚構を越えた行為や事件は多々あった事は確かだ。
しかし、あの9.11.で現実社会の異常性を、
人間がここまで来てしまったということを身体の髄まで感じたときは無かった。

現実が、想像(創造、あるいは虚構)をはるかに超え突っ走ってしまった現代。

誰しもが、多くの情報が氾濫し、自由にコミニュケーションできる時代に生きている。
ところが現実は、コミニュケーションをとることも不自由にな時代に生きているのだ。

表現するという行為で、いったい何ができるのだろうか・・・
そう思ったとき、自分がどう『立つ』のか・・・

私は、ずっと、そのことを考えている。

ライブの感想をたくさんの方から頂戴した。
とても嬉しいし、ありがたい。

自分一人の視線ではなく、他者の視点を受け止められることは刺激にもなる。
もちろん、落ち込むことも、木に登るほど喜ぶことも様々だが(笑)

今朝、起きて最初に目にしたのは、メッセンジャーにいただいた感想だった。
とても興味深く読ませていただいた。

先日このブログにも書いたように、
私は自信がない人間だし、音楽の世界からは遠いところに生きてきた。
そんなある意味ど素人が、『歌う』という行為と向き合っている。
この歳になって・・・である。
まぁ、そんな馬鹿な女が世の中にいたっていいじゃないか・・・そう思う。

『意識された素』
『意図された素』
そのことを私は考えている。

そんなことが、自分の表現でできれば、これは、めっけもんである。
それは、日常の延長であり、決して日常ではないそんな世界なのかもしれない。
朝、メッセンジャーを読んでから、少なくともCuniCoの頭はフル稼働した。

CuniCo's world 2019 初夏を終えて・・・雑感。。。

2019-06-10 12:11:47 | 表現にからむ様々なこと
『CuniCo's world 2019 初夏』に立合ってくださったみなさまありがとうございました。
ピアノ、尺八、写真、そして私。
それぞれの個性際立つ時間に立合っていただき、心から感謝申し上げます。



当日まで判断しきれなかった部分、
そして、ぎりぎりで変更した部分、
様々ありましたが、
どんな状況にも対応していただける心強い奏者とともに、
時間を紡ぐことができました。

基本的に私は『自信の無い人間』ではあります。
一番似合わないことをしているのかもしれません。
でも、私について言えば、
表現って『自信』があるからするものではないことがわかってきました。
実は、私は怯え震えています。
プライドとか誇りとかそういう感覚もない。

なんで自信を持てないんだろう、
もっとプライド持たなくっちゃ、
自信を持たなくてはいけない、そう思っても、言い聞かせても、
そんなこと、私にはできないんだ・・・それが、わかったのです。

圧倒的な感性と音楽の技量を持った人たちと出会い、
圧倒的な感性と身体能力をもった舞踏家たちと出会い、
類い稀なるその存在を目の当たりにして、
もちろん、そこには努力もあるわけで
そんな方々を見るにつけ、
到底私には至らない世界だ・・・と感じつつ、
でも、その素晴らしい人たちと同じ板に立つ。

それを考えていた時、
つきものが落ちたように『無欲』になりました。

そしたら、楽になりました。
周りに静かな世界がひろがりました・・・
平常心とでもいうのかしら・・・

と、鍵を忘れてことに気づき、
思ったより多くのお客様がやってきて、
だんだん、落ち着きが亡くなり、ちょっと暴走したりしましたが・・・

だた、存在している・・・
その存在が、そこに立っている。
存在する者は、変化しつつ、存在する。
そして、『存在』は誰かが許すものでもなく、
誰かに許しを乞うものでもなく、そこに在る。

存在そのものをさらす・・・
そういうことのような気がしてならない。

もちろん、人様のお金と時間をいただく。
そのための準備というものはある。
技術・・・力量の差はある。
しかし、そこで存在することを『さらす』。
さらすためにできることをやる、準備する。

そう、私は自信がない・・・
そのことを見抜き応援してくださる方、
そのことを感じながら寄り添い時には引っ張り上げてくださる方、
とにかく、CuniCoを応援してくださる方。
CuniCoに興味を持ってくださる方。
そんな方たちに支えられて、存在しています。

感謝しながら、これからも、立ち続けます。

ただ、寄りかかり過ぎてはいけないなぁ・・・
自分の足で立たんといけない・・・そう思う私なのでした。

みなさま、これからも応援どうぞよろしくお願いいたします。

とりあえず、今日は、ゆっくり過ごします・・・
と言いつつも次のBitches BrewのGigまで10日しかない。
夕刻には、ぼちぼちそちらのイメージをしないといけないなぁ・・・

6/21(金)19:00start
CuniCo(歌・語り)×ケミー西丘(pf)

東横線白楽 Bitches Brewでお待ちしております(^.^)

ライブは五日後、雨が降るらしい。。。

2019-06-04 13:38:00 | 表現にからむ様々なこと
先日、ある方とお話ししていて、『歌』の話になって、
「言葉なんて聴いていないでしょ、普通。聴いているのは音だよ。」と言われた。

私の拠って立つところは『言葉』である。
その『言葉』を聴いていないと言われたわけだから、どうしたもんじゃろのぉと考える。

もう10年も前から『物語は終わった』などと嘯いている私ではあるが、
『物語』を紡ぎ続けている、『言葉』という伝達手段で。

で、自分は何を聴いているのか考えてみた。
ピアノ、サックス、尺八、ジャンベ、、ベース・・・いろんな音を聴く。
舞踏もやってくる、フルートも鼓も、Bitchesにはやってくる。

『音』を聴きながら、景色を見る。
『音』が空気を変える瞬間を見る。
そこに渦巻く感情を見る。
『音』を感じている。

『音』が『声』となり『言葉』を生む。
『言葉』になるまでに余分なものも纏ってしまう。
『言葉』孕む様々を聴いている。

きっと、その人もそういうものを感じているんだと思うことにした(^^)

昨年4月15日、白楽に行き、Bitchesの扉を開いた。
杉田誠一氏と出会い、そこからさらにたくさんの出会いをいただいた。
Jazzの『ジャ』の字も知らない私が、感じるままに話す。
それを馬鹿にしたりしないで、杉田さんは真顔で聞いてくださる。
Bitchesとずっと昔から繋がっている方々も、
カウンターの中にいる私を受け入れてくださる。
ありがたきこと。
さらには、昨年のBitchesBrewでのリューダス・モツクーナス、
今月末の崔善培のJapanTourのお手伝いなどを通じて 稲岡邦彌氏とも出会う。
そのご縁もあり、WebMagazine『JazzTokyo』にライブの紹介記事を掲載いただいた。
Newsのタグを開くと、しっかり掲載されている。
『このケミストリーが吉と出るか、凶と出るか自らの耳で確かめてみるしかないだろう』
https://jazztokyo.org/
掲載いただき、心から感謝。

まさしく、何事も、現場でそれぞれが感じればいい。
だって、みんな違うんだから。

いま、立ちます。
私は、私。
背伸びしない等身大。
でも、手を伸ばすし、立ち止まるし、蹲る。

天気予報は、雨。
数年前、外出を控えるようにという天気予報の中でやったっけ。

どうぞ、応援よろしくお願いいたします。

渋谷並木橋 l’atelier
12:30 open / 13:00 start 3,000円








610.046km離れたところから(^.^)

2019-06-02 11:09:06 | 日記
昨日、城南高校三十三期軽音部主催城南祭Ⅱに参加した。

まぁその城南高校もいまや、六本木高校と名を変えてしまって、
『城南祭』の名を冠した文化祭は無くなってしまったわけで、
おらたちでやっちまおうじゃないか!てなノリで、
ずっとバンドなどをしてきている軽音部のメンバーが大人になってから
知り合ったミュージシャンの協力も得て、ライブハウスでの敢行である。
どうせなら、高校のあの体育館で・・・
坪当たりの固定資産税最も高いであろう西麻布の住所に体育館はある。
(ちなみに高校は道路を挟んだ六本木6-16-36という住所だ。)
その体育館でもいいじゃないかと思うが
機材の準備もその他の準備もアラカンには体力的に無理がある・・・
ってことかどうかは知らないが、新宿の老舗ライブハウスでの敢行となった。

ノリノリのナンバーでみんな今にも踊り出しそうになりながら時間がながれる。















なにしろ、あの時代の、六本木で高校三年間過ごしたわけで・・・
ディスコ在りましたから(笑)
ちなみに、私は人生一度もディスコに足を踏み入れてはいない、硬派である(笑)

そんなノリノリめっちゃ明るい、アラカンヤンキーな感じの空間で
私は『朝日楼』を歌った。

Bitches Brewの手伝いもあり、遅れて参上となったが、時間を作ってくれた・・・
(で、マロの曲がカットになったり、すまんかったのう)

表現する人間として、どんな時でもどんな場でも、その一つ一つを大切にする。
そのことを改めて認識した私なのでした。
褌を・・・帯をしっかり締め直して、立たなければいけないな・・・と
そんな風に感じた瞬間だった。

城南祭Ⅱ企画してくれたみなみなさま、ありがとうございました。

で、当然二次会に流れるわけだが、この二次会も私の丸まった背中を伸ばしてくれた。

「私は邦子の親友だからね!」とまっすぐ私をみつめて言ってくれるK子。
私は、記憶というものが乏しい。
短期記憶も長期記憶も、おぼつかない。
若い頃から、ずっと。
だから、高校の記憶があまりない。
まぁ彼氏が大学生だったこともあるが、『城南高校』での記憶は乏しい。
授業中眠っていて、授業終了のチャイムで目覚めると、
校庭の向こうに東京タワーが見えたことは覚えているが・・・
K子に「どーせ覚えていないだろうけれど・・・」といつも言われる。
「ごめん、覚えてない・・・」と答える私。
そんな私を『親友』と言ってくれるK子は、
とても静かな印象の子なのだが、芯がしっかりしている。
そして、友達も多い。
そんな彼女が真顔で言う。
「私はね○○キロ離れたところから、いつも邦子を応援してるんだからね!」
そう、彼女はいつも本気だ。
物静かだけど、芯はしっかりしている・・・こういう女性は、いつも本気である。
お酒も本気・・・生半可じゃない知識と愛がお酒に注がれている。
遠く離れたその地から、タイミングが合って
実家に戻っていれば、LIVEに顔を出してくれる。
そんな彼女は仕事もあるので、今日島根に帰るらしい。
「今回もいけなくって残念だけど、応援してるんだからね!」
まっすぐ私の目を見て彼女は言う。

勇気をもらった。
私は彼女とは正反対で、明るくて社交的でハキハキしているけれど、
実は自信の無い、迷ってばかりの女で、
誰かと旅行に行きたいとか食事したいとか思わないタイプだ。
そんな私は、いつものように昨日も座って踊るみんなを眺めていた。
しあわせそうなはじける笑顔で、
日常と違う表情でそこにいるみんなを眺めているのが好きだ。
でも、その世界に足を踏み入れることは無いし、望んでいないんだな、きっと。
眺めているのが、すきなんだ。

そんな私を、K子はまっすぐ見据えて言った。、
「応援してるんだからね!」
私の丸まった背筋が伸びた。

ありがとうね、K子。
お邦、頑張ります。

ちなみに、そのK子のお家と私の家の直線距離を検索してみた。
610.04km離れているらしい。
それが、どんな距離か実感できないけれど、K子はいつもそばにいるんだ・・・
そんな風に思えた。

昨日は、とても良い夜だった。