CuniCoの徒然・・・岩下邦子の独り言

日々の暮らしの中で、立ち止まったり、すれ違ったり。私の中のアレコレを思いつくまま、気の向くまま。

CuniCoの2019年幕開けはいよいよ、明後日(^^)

2019-01-19 10:18:49 | 表現にからむ様々なこと
2019年、どんなスタートを切られたでしょうか?

寒暖差はあるものの比較的穏やかな年末年始だったのかもしれません。

さて、私の2019年は、21日(月)からスタートします。
ジャスの、しかもどちらかというとインプロ志向のビッチェズというお店と出会い、
迷いながらも、自分の方向性を意識し始めています。

課題は壮大だと自分でも思うのですが、
これまでの自分が得てきたもの、
そして、今、
さらにこれからへと進む所存です。

明後日、今、思い描いている片鱗をお届けできれば、と考えています。

CuniCo の 今に立ち会ってくださるようご案内申し上げます。

1/21(月)19時 start 3,000円(1drink in.)
@ Bitches Brew (白楽)


まだまだ朝晩、冷え込みます。
いらっしゃる際には、
暖かくしてお出かけ下さいませ。

CuniCo

模様替えしても、片付かないなぁ。。。

2019-01-17 22:49:28 | 日記
潔くないのかなぁ。
いつか・・・みたいな思いがどっかにある。
しかし、時間にも能力にも限界があることを知っている。
だから、いつかは、やってこない。

2011年、4月三春の滝桜は見事に咲いていた。
あの時体育館に避難していた5才のそらくんからもらったお菓子は捨てられない。

あ、横向いている。。。包装の色もすでに褪せている。
いつか食べるから、ではなく、これは、捨てられないものなのだ。

いつか・・・は捨ててもいいと思うのだが、いざとなると捨てられない。

昨日、模様替えをした。
FBで模様替えの混乱状況をつぶやいた。
クジラのように立って寝てみては?とご提案もいただいたが、
午前1時を回るころ、どうにか寝る場所は、確保した。

立って眠りそうな写真ではある(^_^;)

私の部屋は東南角の最高の位置にあり、広い。
その部屋に、
一人で、いや、一人と一匹で寝るダブルベッド。
0.75 畳くらいの大きさのだんぼっち。
チェスト2つ。バンブーの棚。CDのボックスに姿見。
PCの机と本体とプリンターを置いてある棚。
北側に二間分のクローゼット。
東と南には窓があり、西側の壁には、壁灯まである。
だんぼっちは高さがあるためエアコンのある壁には置けないし、
壁灯の位置もだんぼっちより低い。
置く場所にいつも苦労する。
故に部屋は、広いが私の家具たちは、いつも不安定な位置にある。
今回もアイランド型を余儀なくされて、部屋の中は、
迷路のような、『廊下』があるような配置になった。

まぁ、眠ることと、声を思いっきり出せることと、
PCが使えることが一番重要で、他はあまり興味がない。
片付くはずがない。

昨日の模様替えで、私は、本棚を壊した。
本を詰め込みすぎていた(>_<)
今、その本は、狭い床にツンドク状態。
壊したお陰で、いろんな懐かしい本と再会する。

これは、再会ではなく、発掘した多分娘の本。


日本文化学科とか言う学科で学んでいたからなぁ。。。
結構、彼女の蔵書は興味深い。

いつか、ではなくこの本、今夜読み始めてみることにした。
加藤周一は何冊か読んだが、この本は読んだことがない。

というわけで、あちこち筋肉痛な私は、今日も無事仕事を終え、
相撲に物申したい気分を抑えつつ、本を読みながら、眠ることにした。
部屋の真ん中のバンブーの棚の上から、イーブイやジジたちが娘の守ってくれている。

まぁ、プーさんとジジ以外は、これまた娘のぬいぐるみではあるのだが。。。
明日は早番4時起床だから、早めに眠ることにしよう(^^)



心技体・・・第72代横綱稀勢の里に感謝。

2019-01-16 11:21:57 | お相撲(スポーツ)のこと
お相撲好きの歌唄いというからには、今日はこのことを書かなければなるまい。
私のブログは、相撲関係の記事が最も読まれることも確かだしなぁ・・・
書き留めておかなくては。。。

まずは、第72代横綱稀勢の里に『ありがとう』と『お疲れ様でした』の二つの言葉を伝えてい。
これは、相撲ファンみんなの思いであろう。

横綱稀勢の里は、今場所も心と技と身体がバラバラだった・・・
相撲にならない。
いわゆるたたき上げで、ずっと相撲の世界で生きてきた稀勢の里にとって、
なにがどうしてこんな状態になっているんだ・・・と、
それはそれは、苦しい日々だったことは、想像に難くない。

相撲に、そして横綱に求められるもの。
それは、まず、『心』である。
『白星』ではない。
星は、勝ち負けは後からついてくるものであって、
求められるのは『心』であると私は思っている。

私が『横綱』としての『心』を備えていると思うのは、やはり『稀勢の里』なのだ。
ちょっと、繊細なところがあり、そして真面目で、優しくて・・・
それらが、『鬼』にさせなかったのかもしれないが、
やはり大相撲の横綱として稀勢の里は、心に刻まれる一人である。

多くの人が、稀勢の里を想い涙していることであろう。
その無念が、とてもよくわかるから。。。
そして、これまで稀勢の里が背負ってきたものの重さもわかるから。。。

稀勢の里は、自分の相撲を三日間求め続けた。
左差しにこだわるな、右上手を簡単に取らせてはもらえない・・・
多くの人にそう言われた。
それでも、三日間、これでもか、これでもかと、自分の相撲にこだわった。
観るものが、落胆しようが、『横綱』の相撲ではないと批判されようが、
自分の型にこだわって、これでもか、これでもか・・・と。

三日間の相撲を思い起こすと、どの相撲も、
まるで相撲の取り方を忘れたのではないかと思うほど、
力が伝わらず、『醜態』と言われても仕方ないような内容だった。
心技体がバラバラだった。
私は、もう限界か・・・と毎日思いながら、息をつめて相撲を観た。
なぜ、左差しにこだわるのかがわからなかった。

今日、引退の報に触れ、気が付いた。

稀勢の里は最後まで稀勢の里だった。
『自分の相撲』にこだわった。

自分でもどうなってるのかわからないくらいの心技体ばらばらの状態だったが、
自分の相撲を最後まで、あきらめていなかったんだ・・・
そのことに、今、気付いた。
なんて人なんだろう・・・なんて・・・

寡黙で多くを語らず、じっと自分と戦い続けた横綱稀勢の里。
誰にも真似をできない三日間だった。

勝てばいいってもんじゃない。
もちろん、番付社会で星数ですべてが決まる。
それでもあえて言う、勝てばいいってもんじゃない。
白星の数のために何でもやってのけるようでは、横綱にはふさわしくない。

そのことを、今一度しっかり肝に銘じてほしい。

数字には表れない大切なものがそこにはある。
番付には表れない大切なものがそこにはある。

心技体・・・そのすべてがそろってこその横綱であり、
その中心は『心』である。
『心』は『真』であり『信』である。

泣きすぎて・・・今日一日が終わってしまいそうだから、このくらいにしておこう。

初場所は、四日目の取組がすでに始まっている。

力士たちが、自分の相撲を取り切ることを、願う。
第72代横綱稀勢の里が示したことを、最後の三日間に示したことを、
心に刻み土俵をつとめてほしい。

若山・・・横綱として場所で相撲を取る最後の日となった昨日も
横綱の座布団をしっかり抱えていたね・・・
横綱稀勢の里をしっかり胸に刻んで、
今場所も自分の相撲をしっかり取り切ろうね。

最後にもう一度・・・

稀勢の里・・・ありがとう。
そして、お疲れ様でした。
本当に、ありがとうございました。

ことば、コトバ、言葉

2019-01-13 14:50:00 | 表現にからむ様々なこと
わかっているつもりだが、
つまり、全世界で囁かれている『愛してる』という言葉さえ、
愛していないくせに「愛してる」と言っている人が、
たくさんいるということを私は十分理解しているし、
「嫌い、大っ嫌い!」と言いながら、
好きで好きでたまらないってこともある。

このブログでも何度か書いたと思うが、私は言葉を信じない。
それは、言葉の表面的な意味に騙されないというか、
そこに翻弄されたくないというか・・・
『言葉』を使い表現するものとしての基本的スタンスというか・・・

なんて、常日頃、思ったり考えたりしているくせに、
あぁ、本当に全くもって、私は未熟だと思い知った。

あ、嘘つきな男に「愛してる」と言われて、
お調子者のお邦が踊った・・・
という話では、ないので、念のため。。。

実は、数年前から何度も聞いている歌があった。
私は何度もこの『言葉』たちを聞いてきたのに、
なにひとつわかっていなかった・・・
いろんな方が、その言葉たちについて、書かれている。
歴史的背景を書いているし、私は何度も読んでいた。
意味も歴史も背景も理解しているつもりなのに、
どうしても、ストンと落ちなかった。
表面的な言葉の意味はわかるし、
とても素敵な『歌』なのだが、どこかストンと落ちないでいた。

が、言葉の奥底にあるもの、それがストンと落ちる瞬間がやってきた。
その瞬間に体が震え、涙が溢れる。
電車の中で、耐えられず、涙した。

歌を聴くとき、人々の耳に届くのは音となった『言葉』である。
詩を読むときには、活字で著された『言葉』がそこにある。
聴く人も読む人も、それぞれに
その『言葉』からイメージするし、その言葉に心が震えたりする。
それは『言葉』を発した人、あるいは著した人のイメージとは全く別のものだ。
10人いたら、十人の感じ方がある。
それでいい。

表現者が『なにか』を表現をした瞬間に、
その『なにか』は表現者の『手』を離れる。
当たり前のことだが、受け止めてもらった時に初めて、表現として成立する。

だからこそ、手を離れる瞬間まで、私はもっともっと抱え込むべきだ。
一つの方向だけでなく、最低3つ、
いや欲を言えば、もっと多方向から明かりをあてる。

当たり前のことだ。

明かりを当てても見えないこともある。

ストンと落ちる瞬間がいつ来るかは、私にもわからない。
理屈では、ない。

だからこそ、続けることだ。

ことば、コトバ、言葉。。。
それらを傍らに、寄り添いながら、寄りかからずに。

人生、自分の無知や無能を気づく瞬間が、何度もある。
そんな時こそが、次への扉に手をかけた瞬間なのかもしれない。

今、私が抱え込んでいる『言葉』たちを放つ時、それがGig。
1月21日(mon.)19:00start 3,000円(1drink in.)
その言葉を拾いにいらしてくださいませ。

1.21.(月)19時 2019年のCuniCo始動します❗️

2019-01-12 10:03:01 | 表現にからむ様々なこと
さてさて、2019年がスタートしています。
もちろん、CuniCoも蠢いております。
ひとつ、楽譜を書いてレッスンに臨みたいな。。。と準備中。
この曲に関しては、一度、意訳をしておく必要がある。
忙しくなるぞぉ・・・面白いぞぉ・・・とワクワクしている。

昨日は、久しぶりにのんびりしたけれど、
もちろん、『だんぼっち』に籠って、21日の曲を考え、『ながら腹筋』もした。

年末年始、鼻水くしゃみ咽頭痛咳とまさしく風邪症状が長く続いた。
一昨日あたりまで、まだ本調子ではなかったが、
昨日休息日としてゆっくり過ごしたので、かなり良くなった。

声が戻ってきた。
心も動き始めた。

2019年前半のCuniCo’s world のデッサンが始まる。
カンバスに最初の線を描く、1/21のGigの目撃者募集中です!

寒い夜、ちょっと白楽へ。
心ほぐしにいらしてくださいませ。

1/21(mon.)19:00start
CuniCo (vo.)ケミー西丘(pf.)
3,000円(1drink in.)
@Bitches Brew for hipsters only
東急東横線白楽駅下車5分
申込:utamonogatari@icloud.com