CuniCoの徒然・・・岩下邦子の独り言

日々の暮らしの中で、立ち止まったり、すれ違ったり。私の中のアレコレを思いつくまま、気の向くまま。

心技体・・・第72代横綱稀勢の里に感謝。

2019-01-16 11:21:57 | お相撲(スポーツ)のこと
お相撲好きの歌唄いというからには、今日はこのことを書かなければなるまい。
私のブログは、相撲関係の記事が最も読まれることも確かだしなぁ・・・
書き留めておかなくては。。。

まずは、第72代横綱稀勢の里に『ありがとう』と『お疲れ様でした』の二つの言葉を伝えてい。
これは、相撲ファンみんなの思いであろう。

横綱稀勢の里は、今場所も心と技と身体がバラバラだった・・・
相撲にならない。
いわゆるたたき上げで、ずっと相撲の世界で生きてきた稀勢の里にとって、
なにがどうしてこんな状態になっているんだ・・・と、
それはそれは、苦しい日々だったことは、想像に難くない。

相撲に、そして横綱に求められるもの。
それは、まず、『心』である。
『白星』ではない。
星は、勝ち負けは後からついてくるものであって、
求められるのは『心』であると私は思っている。

私が『横綱』としての『心』を備えていると思うのは、やはり『稀勢の里』なのだ。
ちょっと、繊細なところがあり、そして真面目で、優しくて・・・
それらが、『鬼』にさせなかったのかもしれないが、
やはり大相撲の横綱として稀勢の里は、心に刻まれる一人である。

多くの人が、稀勢の里を想い涙していることであろう。
その無念が、とてもよくわかるから。。。
そして、これまで稀勢の里が背負ってきたものの重さもわかるから。。。

稀勢の里は、自分の相撲を三日間求め続けた。
左差しにこだわるな、右上手を簡単に取らせてはもらえない・・・
多くの人にそう言われた。
それでも、三日間、これでもか、これでもかと、自分の相撲にこだわった。
観るものが、落胆しようが、『横綱』の相撲ではないと批判されようが、
自分の型にこだわって、これでもか、これでもか・・・と。

三日間の相撲を思い起こすと、どの相撲も、
まるで相撲の取り方を忘れたのではないかと思うほど、
力が伝わらず、『醜態』と言われても仕方ないような内容だった。
心技体がバラバラだった。
私は、もう限界か・・・と毎日思いながら、息をつめて相撲を観た。
なぜ、左差しにこだわるのかがわからなかった。

今日、引退の報に触れ、気が付いた。

稀勢の里は最後まで稀勢の里だった。
『自分の相撲』にこだわった。

自分でもどうなってるのかわからないくらいの心技体ばらばらの状態だったが、
自分の相撲を最後まで、あきらめていなかったんだ・・・
そのことに、今、気付いた。
なんて人なんだろう・・・なんて・・・

寡黙で多くを語らず、じっと自分と戦い続けた横綱稀勢の里。
誰にも真似をできない三日間だった。

勝てばいいってもんじゃない。
もちろん、番付社会で星数ですべてが決まる。
それでもあえて言う、勝てばいいってもんじゃない。
白星の数のために何でもやってのけるようでは、横綱にはふさわしくない。

そのことを、今一度しっかり肝に銘じてほしい。

数字には表れない大切なものがそこにはある。
番付には表れない大切なものがそこにはある。

心技体・・・そのすべてがそろってこその横綱であり、
その中心は『心』である。
『心』は『真』であり『信』である。

泣きすぎて・・・今日一日が終わってしまいそうだから、このくらいにしておこう。

初場所は、四日目の取組がすでに始まっている。

力士たちが、自分の相撲を取り切ることを、願う。
第72代横綱稀勢の里が示したことを、最後の三日間に示したことを、
心に刻み土俵をつとめてほしい。

若山・・・横綱として場所で相撲を取る最後の日となった昨日も
横綱の座布団をしっかり抱えていたね・・・
横綱稀勢の里をしっかり胸に刻んで、
今場所も自分の相撲をしっかり取り切ろうね。

最後にもう一度・・・

稀勢の里・・・ありがとう。
そして、お疲れ様でした。
本当に、ありがとうございました。