昨日の朝、洗濯物を干していると、
裏のマンションの女の子が、「いってきま~す」と
黄色いごみ袋を二つ持って玄関を飛び出した。
学校かな・・・と思ったら、すぐに「ただいま~」と
もどってきた。あ・・・ゴミを出しに行ったんだ。
そっか、今日ゴミの日か・・・あ、冬休みが始まったんだ・・・
昨日は、少し遅い時間の通勤電車・・・いつもより混んでいた。
大きな荷物を転がしている人が、あちこちにいた。
あ・・・帰省や旅行が始まるんだ・・・
私は、東京で生まれた・・・
お盆とお正月の東京の静けさが好きだ・・・
最近のお盆は、あまり感じなくなったが
お正月は、今でも「静かな東京」になる。
ゆっくり時間が流れる・・・電車も空いている。
もうすぐだな・・・私の好きな東京がやってくる。
私の生まれた育った家は、昭和八年に建った家で
小学校四年までその家に暮らしていた。
祖母の死で、建て直すことになるが、それまではその家に育った。
祖母の部屋には、三味線が二棹いつも吊るしてあった。
縁側の板の隙間には、床下が覗けるところがあって、
そこからモノを落としては、縁の下に取りに行ったりして遊んでいた。
雨戸のフシには、戦時中の灯火管制の張り紙があった。
つまり、新聞紙で穴をふさいで光が漏れないようにしていたわけだ。
庭にはヒョウタンの形の池があり、柿の木の下にはフキ、
ぶどう棚もあったし、さつきやつつじも綺麗だった。
お風呂がないお風呂場は物置になっていた。
台所の裏手には、茗荷・・・
それにしても昭和八年にお風呂があったなんて、
凄い家だったかもしれないが、
私が生まれた時代は新しい二階建ての家がどんどんできていて
雨漏りのする・・・古い家でしかなかった。
東京で生まれた・・・私の小さな頃の暮らしは、
同じ時代を生きる子どもたちとくらべると、
少し古い時代の空気に包まれていた。
しかも私はおばあちゃんっ子。
明治の生まれおばあちゃんとずっと一緒にいた。
前にも書いたが、母は祖母が亡くなってしばらくしてから洋装になった。
10歳くらいまで、和服姿の女性に囲まれていたわけだから・・・
やっぱり・・・少し古い時代の空気に包まれていたわけだ。
小学生になり「いってまいります」という挨拶を友達に笑われ・・・
(どうやら、そのこの家では「いってきます」が正しかった)
「御不浄」(ごふじょうと読みます、「トイレ」のことです)が
通じないことがとてもショックだったことを覚えている。
そんな環境なら、さぞお行儀がいいお嬢様に育つかと言えばそうではない。
膝小僧には、いつも赤チンのお日様があったし、塀の上を歩いて、怒られていた。
その家は、大田区の矢口にあった。
その後、大田区の池上に暮らし・・・
19歳で劇団に入団・・・熊本から出てきた同期の子が
バイト先の寮を出たいけど、独り暮らしは経済的に厳しいと同居人を探していて・・・
実家暮らしの私がルームシェアしようということになり、世田谷の松原に移り住む。
東京は、凄く変わった・・・ものすごく変わった。。。
でも、ときおり、古き良き東京を見つけると、ホッとしたりする。
そこに私の原点があるみたいで・・・ホッとする。
もうすぐお正月・・・私の好きな『静かな東京』になる。
すぐに、また・・・首都東京が動き出す。
それも、また、東京であることは、確かだ。
おっと・・・片付けが終わっていない。
午前中にこの部屋を終わらせて、遅番出勤。
多忙の年末土日がなぜかお休みのシフト!(^^)!
明日から二日間は、パブリックスペースの片づけだ・・・
年賀状は家人に任せて・・・それも、明日くらいにできあがる・・・かな。
あまり意識しない我が家でも、確実に年の瀬・・・ムードです。
裏のマンションの女の子が、「いってきま~す」と
黄色いごみ袋を二つ持って玄関を飛び出した。
学校かな・・・と思ったら、すぐに「ただいま~」と
もどってきた。あ・・・ゴミを出しに行ったんだ。
そっか、今日ゴミの日か・・・あ、冬休みが始まったんだ・・・
昨日は、少し遅い時間の通勤電車・・・いつもより混んでいた。
大きな荷物を転がしている人が、あちこちにいた。
あ・・・帰省や旅行が始まるんだ・・・
私は、東京で生まれた・・・
お盆とお正月の東京の静けさが好きだ・・・
最近のお盆は、あまり感じなくなったが
お正月は、今でも「静かな東京」になる。
ゆっくり時間が流れる・・・電車も空いている。
もうすぐだな・・・私の好きな東京がやってくる。
私の生まれた育った家は、昭和八年に建った家で
小学校四年までその家に暮らしていた。
祖母の死で、建て直すことになるが、それまではその家に育った。
祖母の部屋には、三味線が二棹いつも吊るしてあった。
縁側の板の隙間には、床下が覗けるところがあって、
そこからモノを落としては、縁の下に取りに行ったりして遊んでいた。
雨戸のフシには、戦時中の灯火管制の張り紙があった。
つまり、新聞紙で穴をふさいで光が漏れないようにしていたわけだ。
庭にはヒョウタンの形の池があり、柿の木の下にはフキ、
ぶどう棚もあったし、さつきやつつじも綺麗だった。
お風呂がないお風呂場は物置になっていた。
台所の裏手には、茗荷・・・
それにしても昭和八年にお風呂があったなんて、
凄い家だったかもしれないが、
私が生まれた時代は新しい二階建ての家がどんどんできていて
雨漏りのする・・・古い家でしかなかった。
東京で生まれた・・・私の小さな頃の暮らしは、
同じ時代を生きる子どもたちとくらべると、
少し古い時代の空気に包まれていた。
しかも私はおばあちゃんっ子。
明治の生まれおばあちゃんとずっと一緒にいた。
前にも書いたが、母は祖母が亡くなってしばらくしてから洋装になった。
10歳くらいまで、和服姿の女性に囲まれていたわけだから・・・
やっぱり・・・少し古い時代の空気に包まれていたわけだ。
小学生になり「いってまいります」という挨拶を友達に笑われ・・・
(どうやら、そのこの家では「いってきます」が正しかった)
「御不浄」(ごふじょうと読みます、「トイレ」のことです)が
通じないことがとてもショックだったことを覚えている。
そんな環境なら、さぞお行儀がいいお嬢様に育つかと言えばそうではない。
膝小僧には、いつも赤チンのお日様があったし、塀の上を歩いて、怒られていた。
その家は、大田区の矢口にあった。
その後、大田区の池上に暮らし・・・
19歳で劇団に入団・・・熊本から出てきた同期の子が
バイト先の寮を出たいけど、独り暮らしは経済的に厳しいと同居人を探していて・・・
実家暮らしの私がルームシェアしようということになり、世田谷の松原に移り住む。
東京は、凄く変わった・・・ものすごく変わった。。。
でも、ときおり、古き良き東京を見つけると、ホッとしたりする。
そこに私の原点があるみたいで・・・ホッとする。
もうすぐお正月・・・私の好きな『静かな東京』になる。
すぐに、また・・・首都東京が動き出す。
それも、また、東京であることは、確かだ。
おっと・・・片付けが終わっていない。
午前中にこの部屋を終わらせて、遅番出勤。
多忙の年末土日がなぜかお休みのシフト!(^^)!
明日から二日間は、パブリックスペースの片づけだ・・・
年賀状は家人に任せて・・・それも、明日くらいにできあがる・・・かな。
あまり意識しない我が家でも、確実に年の瀬・・・ムードです。