私は、言葉を信じない。
毎日、『言葉』をつらつらとアップしているのに
毎日、『言葉』と向き合って表現することを考えているのに
おかしいよな・・・と思うけど。。。
私は、言葉を信じない・・・
それなのに『言葉』で安心したり、
不安になったり、喜んだり、怒ったりする。
たぶん、その気持ちの動きや心の動揺が、
的外れだったりして、あ~言葉なんて信じちゃいけない・・・
と何度か思ったことがあるからかもしれない。
立場や状態・・・関係性で
同じ言葉も違う意味をもったりするから、厄介だ。
地球上で、今この瞬間に、男が女に・・・女が男に・・・
「愛してる」と言っている。。。必ずどこかで。。。
チャンチャラおかしいとは言わないが、同じ「愛してる」でも全く違う。
もちろん普遍的なというか、本当にと言うか、
だれしもがうなずく「愛している」もあるのだろうけれど・・・
とりあえず言っとく「愛してる」が無数にあるわけだ。
『言葉を信じない』という私の基本的なスタンスがあるから、
歌詞と向き合った時にいろいろな探検ができるのかもしれない。
言葉を額面どおり受け取らない癖があるから・・・
どんな心持で言葉を発しているのだろう・・・
それは歌の中の主人公であったり、
詩人(書いた人)は何を伝えたいのだろうと右往左往する。
もちろん心のままに書いている。
いわゆる本心をそのまま言葉にのせていることもある。
といっても、その心にも強弱もある。。。
いろんな「愛してる」があるように、心の在り方は様々だ。
と・・・ここまで書いたが、
つまり言葉を信じない私にも信じたい言葉がある。
昔・・・今もあるけれど、
『手紙』と言うコミュニケーション手段があった。
書きながら思考する・・・
イメージする・・・
空を見上げて、
そして、便せんに向かう。
そんなことを繰り返しながら、綴られていく。
その『時間』がなんとも・・・言葉に深みを与える。
今は、あまり思考に時間を書けないで、メール(言葉)が飛び交う。
もう少し何とかならないかな・・・と思うほどお気楽に『言葉』が飛び交う。
そのお気楽に発せられた『言葉』に傷ついて、命を絶つ人もいる。
なんということだ・・・無責任極まりない『言葉』が飛び交う・・・
発している人が特定できない・・・これ、私には理解できない。
と・・・ここまで書いたが、
メールもなかなか、いいもんだ。
面と向かって言うに言えないことがある。
恋人と喧嘩して・・・ごめんなさい。。。とか。
もちろん、きちんと向き合って言うべきことなのだろうけれど
意地ってやつが邪魔したりするから・・・メール、かなり有効だ。
そんなこんなで、私は言葉を信じない・・・
そんな私は、きっと・・・
言葉を信じたくてしょうがないんだろうなぁと思う。
つまり、言葉を信じないといいながら、信じたいわけで、
やっぱり、言葉は信じられないなぁ・・・と思ったりもするわけです(笑)
今年の年越しは、『言葉』としっかり向き合って、過ごします。
これまで、歌ってきた歌。これから歌う歌。
その一つ一つの『言葉』を吟味しなおす時間を持ちたいと・・・
思いと現実のギャップはつきものです。
お部屋、クリスマスまでに片付けないと・・・落ち着かない。
クリスマスにデートがないので・・・幸いです(笑)
毎日、『言葉』をつらつらとアップしているのに
毎日、『言葉』と向き合って表現することを考えているのに
おかしいよな・・・と思うけど。。。
私は、言葉を信じない・・・
それなのに『言葉』で安心したり、
不安になったり、喜んだり、怒ったりする。
たぶん、その気持ちの動きや心の動揺が、
的外れだったりして、あ~言葉なんて信じちゃいけない・・・
と何度か思ったことがあるからかもしれない。
立場や状態・・・関係性で
同じ言葉も違う意味をもったりするから、厄介だ。
地球上で、今この瞬間に、男が女に・・・女が男に・・・
「愛してる」と言っている。。。必ずどこかで。。。
チャンチャラおかしいとは言わないが、同じ「愛してる」でも全く違う。
もちろん普遍的なというか、本当にと言うか、
だれしもがうなずく「愛している」もあるのだろうけれど・・・
とりあえず言っとく「愛してる」が無数にあるわけだ。
『言葉を信じない』という私の基本的なスタンスがあるから、
歌詞と向き合った時にいろいろな探検ができるのかもしれない。
言葉を額面どおり受け取らない癖があるから・・・
どんな心持で言葉を発しているのだろう・・・
それは歌の中の主人公であったり、
詩人(書いた人)は何を伝えたいのだろうと右往左往する。
もちろん心のままに書いている。
いわゆる本心をそのまま言葉にのせていることもある。
といっても、その心にも強弱もある。。。
いろんな「愛してる」があるように、心の在り方は様々だ。
と・・・ここまで書いたが、
つまり言葉を信じない私にも信じたい言葉がある。
昔・・・今もあるけれど、
『手紙』と言うコミュニケーション手段があった。
書きながら思考する・・・
イメージする・・・
空を見上げて、
そして、便せんに向かう。
そんなことを繰り返しながら、綴られていく。
その『時間』がなんとも・・・言葉に深みを与える。
今は、あまり思考に時間を書けないで、メール(言葉)が飛び交う。
もう少し何とかならないかな・・・と思うほどお気楽に『言葉』が飛び交う。
そのお気楽に発せられた『言葉』に傷ついて、命を絶つ人もいる。
なんということだ・・・無責任極まりない『言葉』が飛び交う・・・
発している人が特定できない・・・これ、私には理解できない。
と・・・ここまで書いたが、
メールもなかなか、いいもんだ。
面と向かって言うに言えないことがある。
恋人と喧嘩して・・・ごめんなさい。。。とか。
もちろん、きちんと向き合って言うべきことなのだろうけれど
意地ってやつが邪魔したりするから・・・メール、かなり有効だ。
そんなこんなで、私は言葉を信じない・・・
そんな私は、きっと・・・
言葉を信じたくてしょうがないんだろうなぁと思う。
つまり、言葉を信じないといいながら、信じたいわけで、
やっぱり、言葉は信じられないなぁ・・・と思ったりもするわけです(笑)
今年の年越しは、『言葉』としっかり向き合って、過ごします。
これまで、歌ってきた歌。これから歌う歌。
その一つ一つの『言葉』を吟味しなおす時間を持ちたいと・・・
思いと現実のギャップはつきものです。
お部屋、クリスマスまでに片付けないと・・・落ち着かない。
クリスマスにデートがないので・・・幸いです(笑)