今日は、昼前にてぃばぁの病院へ行く。
13時からオペだ。
予定では1週間の入院。
ADLが独居可能なところまで回復しなければ
他のリハビリ病院への転院となる・・・が
本人は、そのことはあまり理解できていないようだ。
つまり、自分は大丈夫だと思っている・・・
彼女自身が、現状理解ができない、
あるいはしたくないのかもしれないが、
自分は独り暮らしができると思っている。
現実は・・・無理だ。
ケアマネ・ヘルパーその他の方の助けなしには生活できない。
何度も部屋で倒れた状態で発見されている。
彼女としては、いつか誰かが来て起こしてくれるから、大丈夫。
という理論なのだ。
入院オペに関しても、何度も本人と話し合い、
納得していたはずなのに、私は手術なんかしないと突然言い始める。
みんなが、勝手に決めたことだ・・・と。
アルツハイマーであるということは、すでに診断されているのだから、
いつの言葉がホントなのか、わからない・・・
日常生活に支障もある疾患があるために
何度も夜昼構わず我が家に電話も入り・・・
本人も私も限界に来ていたので、今回の手術を敢行することになった・・・
もちろん、本人も納得の上での手術だ。
術前の診察や検診で、肺活量をもう少し改善しておかないと・・・
ということで、訓練をすることになった。
一日に三回・・・昨日の朝もその訓練をしてから病院へ向かう予定だった・・・
ところが、その器具があるはずのテーブルにない。
「ふーふーって練習する器具がないけど、どこにあるかな?」
「あれは、もうやらなくっていいって言うから、しまったの」
「誰が、やらなくていいって言ったの?」
「この間来た知らない人」
「知らない人が来る訳ないでしょ。病院からの指示で練習しなきゃいけないのに」
「もう、やらなくていいらしいよ。」
「そんなはずない!ドクターの指示なんだから・・・誰がそんなこと言ったの?」
「覚えてないけど、確かに言ってた。」
そんなやり取りがあり、私は、怒った。
「ここに来るのはヘルパーさんしかいないでしょ!」
「ドクターの指示なのに勝手にやめていいなんて!」
「事務所に電話して、きちんと抗議する!ひどいよ、全く!!」
私は、ヘルパーが練習をやめていいと言ったとは、思っていなかった。
とりあえず、器具も見当たらないので、担当のヘルパーに聞くために電話した。
てぃばぁが嫌がり、彼女自身が器具を隠したとのこと。
その器具は一昨日探し出し、入院の荷物に入れてあるとのこと。
さて・・・真相がばれたてぃばぁは、見え透いた作り話・・・嘘をつきはじめる。
「誰も練習やめろなんて言わないよ。私も嫌だなんて言ったことないし。」
「誰がそんなところにしまったんだろうねぇ。」
一昨日、ヘルパーは「明日入院ですよ」と何度も確認したが、
昨日の朝、迎えに行った時には、すっかり忘れていた。
いろいろなことが、認識できなくなっている。
排尿したいと言ってトイレに行くまではいいのだが、
リハビリパンツを下ろして、トイレの前に立ち、
次に何をするべきかわからなくなったりする。
痴呆もあるから、こちらも何がホントで何が意図的なウソなのか、よくわからない。
介護する側も・・・疲れ果てる。
昨日の朝の会話は、確実に・・・私に怒られないように、嘘をついた。
見え透いた・・・嘘だった。
痴呆にともなう、作話ではない。
自分を守るための嘘だった・・・
私は、子どもがまだ小さい頃、子どもが嘘をついたと気付いた時、
あらあら、成長したもんだ・・・自分で考える力がついてきた・・・と思ったりした。
お年寄りの嘘に直面した時・・・そんな余裕は微塵もない。
いつだったか姑を介護している友人が「お義母さんの中には天使と悪魔が棲んでいる」
と話していたのを思い出した・・・
「聞こえないふりして、全部聞いている」とも言っていた。
嘘には二つの嘘がある。
『相手を思いやってつく嘘』
『自分を守るためにつく嘘』
そんな風によくいわれるが、
昨日のてぃばぁを見ていて、
嘘について考える時間をもらった。
よく考えてみたら・・・
相手を思いやっているつもりの嘘も
実は自分のためについているような気がしてきた。
つまり、心配かけたくないからつく嘘は、
実は、心配されるようなことをしているわけで・・・
傷つけたくないからつく嘘は、
裏を返せば、傷つけるようなことをしているということ。
嘘は、絶対いけないなんて野暮なことは言わない。
でも、その嘘は、相手のためではなくて、
自分のためについている嘘なんだ・・・
という自覚がなくてはいけない・・・そんな気がした。
嘘を正当化してはいけない・・・そんな気がした。
昨日は・・・嘘について考える時間が多かった。
さぁ・・・オペの付き添いだ・・・
『待ち』の時間が長い。。。有意義に待てる準備をして出かけるとしましょう。
13時からオペだ。
予定では1週間の入院。
ADLが独居可能なところまで回復しなければ
他のリハビリ病院への転院となる・・・が
本人は、そのことはあまり理解できていないようだ。
つまり、自分は大丈夫だと思っている・・・
彼女自身が、現状理解ができない、
あるいはしたくないのかもしれないが、
自分は独り暮らしができると思っている。
現実は・・・無理だ。
ケアマネ・ヘルパーその他の方の助けなしには生活できない。
何度も部屋で倒れた状態で発見されている。
彼女としては、いつか誰かが来て起こしてくれるから、大丈夫。
という理論なのだ。
入院オペに関しても、何度も本人と話し合い、
納得していたはずなのに、私は手術なんかしないと突然言い始める。
みんなが、勝手に決めたことだ・・・と。
アルツハイマーであるということは、すでに診断されているのだから、
いつの言葉がホントなのか、わからない・・・
日常生活に支障もある疾患があるために
何度も夜昼構わず我が家に電話も入り・・・
本人も私も限界に来ていたので、今回の手術を敢行することになった・・・
もちろん、本人も納得の上での手術だ。
術前の診察や検診で、肺活量をもう少し改善しておかないと・・・
ということで、訓練をすることになった。
一日に三回・・・昨日の朝もその訓練をしてから病院へ向かう予定だった・・・
ところが、その器具があるはずのテーブルにない。
「ふーふーって練習する器具がないけど、どこにあるかな?」
「あれは、もうやらなくっていいって言うから、しまったの」
「誰が、やらなくていいって言ったの?」
「この間来た知らない人」
「知らない人が来る訳ないでしょ。病院からの指示で練習しなきゃいけないのに」
「もう、やらなくていいらしいよ。」
「そんなはずない!ドクターの指示なんだから・・・誰がそんなこと言ったの?」
「覚えてないけど、確かに言ってた。」
そんなやり取りがあり、私は、怒った。
「ここに来るのはヘルパーさんしかいないでしょ!」
「ドクターの指示なのに勝手にやめていいなんて!」
「事務所に電話して、きちんと抗議する!ひどいよ、全く!!」
私は、ヘルパーが練習をやめていいと言ったとは、思っていなかった。
とりあえず、器具も見当たらないので、担当のヘルパーに聞くために電話した。
てぃばぁが嫌がり、彼女自身が器具を隠したとのこと。
その器具は一昨日探し出し、入院の荷物に入れてあるとのこと。
さて・・・真相がばれたてぃばぁは、見え透いた作り話・・・嘘をつきはじめる。
「誰も練習やめろなんて言わないよ。私も嫌だなんて言ったことないし。」
「誰がそんなところにしまったんだろうねぇ。」
一昨日、ヘルパーは「明日入院ですよ」と何度も確認したが、
昨日の朝、迎えに行った時には、すっかり忘れていた。
いろいろなことが、認識できなくなっている。
排尿したいと言ってトイレに行くまではいいのだが、
リハビリパンツを下ろして、トイレの前に立ち、
次に何をするべきかわからなくなったりする。
痴呆もあるから、こちらも何がホントで何が意図的なウソなのか、よくわからない。
介護する側も・・・疲れ果てる。
昨日の朝の会話は、確実に・・・私に怒られないように、嘘をついた。
見え透いた・・・嘘だった。
痴呆にともなう、作話ではない。
自分を守るための嘘だった・・・
私は、子どもがまだ小さい頃、子どもが嘘をついたと気付いた時、
あらあら、成長したもんだ・・・自分で考える力がついてきた・・・と思ったりした。
お年寄りの嘘に直面した時・・・そんな余裕は微塵もない。
いつだったか姑を介護している友人が「お義母さんの中には天使と悪魔が棲んでいる」
と話していたのを思い出した・・・
「聞こえないふりして、全部聞いている」とも言っていた。
嘘には二つの嘘がある。
『相手を思いやってつく嘘』
『自分を守るためにつく嘘』
そんな風によくいわれるが、
昨日のてぃばぁを見ていて、
嘘について考える時間をもらった。
よく考えてみたら・・・
相手を思いやっているつもりの嘘も
実は自分のためについているような気がしてきた。
つまり、心配かけたくないからつく嘘は、
実は、心配されるようなことをしているわけで・・・
傷つけたくないからつく嘘は、
裏を返せば、傷つけるようなことをしているということ。
嘘は、絶対いけないなんて野暮なことは言わない。
でも、その嘘は、相手のためではなくて、
自分のためについている嘘なんだ・・・
という自覚がなくてはいけない・・・そんな気がした。
嘘を正当化してはいけない・・・そんな気がした。
昨日は・・・嘘について考える時間が多かった。
さぁ・・・オペの付き添いだ・・・
『待ち』の時間が長い。。。有意義に待てる準備をして出かけるとしましょう。