この歳になると・・・ということだろうか、
家人はすでに後期高齢者なので、その友人知人はその年齢層。
いろんな方から、病の報告を受ける。。。
年末年始、そんなことが相次いで、少し元気がなかった家人だった。
そして、今年に入って、私と同世代の方の病の報告が相次いでいる。
年賀状でオペを済まされた・・・との報告があったかと思うと、
新年会でご一緒する予定だった大好きなNくんが、
胃癌のオペのため新年会欠席との連絡があったとの事。
さらにもう一人・・・
なにかと、病の報告が多くなっている。
健康診断を受けていても、急激に『病巣が元気に』なってしまうこともある。
心配し過ぎもどうかと思うが、やはり自分の体調を自覚しておくことは重要だ。
どうも、大丈夫、大丈夫・・・と言っている人の方が、心配だったりする。
そして、病気は誰でもなるものだから、迷惑をかける・・・なんて心配は無用。
自分が病気になったとき、心配無用と言われても気になるものだが、
大丈夫・・・みんながまわしてくれる(^.^)
そんな風に思う私は、結構病気にならないかもしれない。
無理はしないってことだから(笑)
頑張る・・・と、無理は違うからなぁ・・・
頑張り屋だけど、無理はしない。
少し前まで、無理をしていた気がするけど、
最近・・・この歳になると無理ができなくなる。
自然の摂理とは凄いな・・・と思う。
老いると無理ができなくなる。
そのことを受け入れることが大事なんだ。
頑張り過ぎず、無理をせず、適度に頑張る(笑)
その摂理を一番感じるのは『老眼』だ。
これは理にかなっていると私は常々思っている。
つまり、シワやシミ、白髪が気になり始めるころ、老眼がやって来る。
鏡を見ても、シワやシミ、白髪が見えづらい仕組みになっている。
なんと素晴らしいじゃないか。
それでも、気になって、老眼鏡かけて鏡をのぞき込んだりもするかもしれないが、
いやいや、いいではないか。。。老いを受け入れるということも必要なんだ・・・
と、いいつつ、白髪の量が増えすぎて、老眼も追い付かず・・・
せっせとカラーに通う私でもあるのですが(笑)
健康であっても加齢は避けられない。
だから、華麗なる加齢・・・を目指しているわけです。
私は自分の年齢を言える人間でありたい。
若い頃からずっとその思いは変わらない。
若いほうがいいなんて言う迷信は捨てた方がいい。
若いほうがいいなんて私は思わない。
自分なりの在り方・・・
自分の生きてきた時間へのプライド・・・
それが大切。
それは失敗も含めて全部・・・今の自分につながっている。
いくつに見える?などと言うのは愚の骨頂・・・だ。
見え方など、本質とはかけ離れているのだから。
ん?話がそれているかなぁ・・・
病になったとき、その病とともに自分が在るということを
慌てず、焦らず、受け入れられるようにしておきたい・・・
ここから先、『潔い生き方』ができれば何よりなわけで・・・
まぁ、なんだかんだ言ってるのも
そうなれない煩悩に囲まれているから、そう在りたいと思うのだろうな。。。
屋根の雪とも氷ともつかない塊がドサッ、ドサッと音を立てて落ちている。
あるがままに・・・自然に身をゆだねて、地球の営みとともに・・・
みたいな、かっこいい生き方・・・死ぬまでできそうもないけど、
憧れるんだな私・・・そこに対する憧憬は持ち続けたいと思うのであります。
そんな生き方を目指すことが、生きる力となればいいなと思うわけです。
病の報告が重なった年末年始・・・あらためて、いろいろ思う私なのでした。
家人はすでに後期高齢者なので、その友人知人はその年齢層。
いろんな方から、病の報告を受ける。。。
年末年始、そんなことが相次いで、少し元気がなかった家人だった。
そして、今年に入って、私と同世代の方の病の報告が相次いでいる。
年賀状でオペを済まされた・・・との報告があったかと思うと、
新年会でご一緒する予定だった大好きなNくんが、
胃癌のオペのため新年会欠席との連絡があったとの事。
さらにもう一人・・・
なにかと、病の報告が多くなっている。
健康診断を受けていても、急激に『病巣が元気に』なってしまうこともある。
心配し過ぎもどうかと思うが、やはり自分の体調を自覚しておくことは重要だ。
どうも、大丈夫、大丈夫・・・と言っている人の方が、心配だったりする。
そして、病気は誰でもなるものだから、迷惑をかける・・・なんて心配は無用。
自分が病気になったとき、心配無用と言われても気になるものだが、
大丈夫・・・みんながまわしてくれる(^.^)
そんな風に思う私は、結構病気にならないかもしれない。
無理はしないってことだから(笑)
頑張る・・・と、無理は違うからなぁ・・・
頑張り屋だけど、無理はしない。
少し前まで、無理をしていた気がするけど、
最近・・・この歳になると無理ができなくなる。
自然の摂理とは凄いな・・・と思う。
老いると無理ができなくなる。
そのことを受け入れることが大事なんだ。
頑張り過ぎず、無理をせず、適度に頑張る(笑)
その摂理を一番感じるのは『老眼』だ。
これは理にかなっていると私は常々思っている。
つまり、シワやシミ、白髪が気になり始めるころ、老眼がやって来る。
鏡を見ても、シワやシミ、白髪が見えづらい仕組みになっている。
なんと素晴らしいじゃないか。
それでも、気になって、老眼鏡かけて鏡をのぞき込んだりもするかもしれないが、
いやいや、いいではないか。。。老いを受け入れるということも必要なんだ・・・
と、いいつつ、白髪の量が増えすぎて、老眼も追い付かず・・・
せっせとカラーに通う私でもあるのですが(笑)
健康であっても加齢は避けられない。
だから、華麗なる加齢・・・を目指しているわけです。
私は自分の年齢を言える人間でありたい。
若い頃からずっとその思いは変わらない。
若いほうがいいなんて言う迷信は捨てた方がいい。
若いほうがいいなんて私は思わない。
自分なりの在り方・・・
自分の生きてきた時間へのプライド・・・
それが大切。
それは失敗も含めて全部・・・今の自分につながっている。
いくつに見える?などと言うのは愚の骨頂・・・だ。
見え方など、本質とはかけ離れているのだから。
ん?話がそれているかなぁ・・・
病になったとき、その病とともに自分が在るということを
慌てず、焦らず、受け入れられるようにしておきたい・・・
ここから先、『潔い生き方』ができれば何よりなわけで・・・
まぁ、なんだかんだ言ってるのも
そうなれない煩悩に囲まれているから、そう在りたいと思うのだろうな。。。
屋根の雪とも氷ともつかない塊がドサッ、ドサッと音を立てて落ちている。
あるがままに・・・自然に身をゆだねて、地球の営みとともに・・・
みたいな、かっこいい生き方・・・死ぬまでできそうもないけど、
憧れるんだな私・・・そこに対する憧憬は持ち続けたいと思うのであります。
そんな生き方を目指すことが、生きる力となればいいなと思うわけです。
病の報告が重なった年末年始・・・あらためて、いろいろ思う私なのでした。
こちらも、高校の同級生のN君が肺がんで亡くなったとの知らせが入りました。
クラスの人気者だったN君は、前回の同窓会では元気に来ていたのに・・・・
誰でも、その時が来ると分かっていても寂しくなります。
先ほど、仲の良かった友人たちに連絡しました。
日曜日は夜勤明けですが、見送りに行こうと思います。
これから、こんな連絡が ますます増えるでしょうね。(^_^;)
同窓の訃報は、心が折れますね。
でも、みなさんで思い出話をしながら、
しっかり見送ることができるのは、良いこと・・・ですね。
送られる方も、送る方も。。。
自分の身の回りの始末は、元気なうちにしておこうと思います。
『元気なうち』がくせもので、『そのうち』になりかねない。
『今でしょ!』と林先生の言葉思い出しても、なかなか進みませんが、
大切なこと・・・だと、つくづく思います。