CuniCoの徒然・・・岩下邦子の独り言

日々の暮らしの中で、立ち止まったり、すれ違ったり。私の中のアレコレを思いつくまま、気の向くまま。

認知症について、あれこれ考えた。

2018-10-25 19:00:00 | 華麗なる加齢 あるいは 身体
昨日、NHK『ガッテン!』(いつのまにか番組名が変わってた)をさらっと見た。
認知症の人の視野の変化や『ユマニチュード』がテーマだった。

私の父は、60歳になる少し前から、軽い認知症症状が出始めていた。
軽い脳梗塞が頭のあちこちで起こっていると言われたのは、
私が15歳の時だから、それから5年くらいで、ボケ症状が出始めていた。
それでも、特に問題はなく過ごしていたが、65歳を過ぎた頃から
メガネを冷蔵庫にしまったり、かなり大変な状態、らしかった。
たまに会いに行くと、普段と変わりないので、母が騒ぎ過ぎではと思うほどだった。
それでも、いろいろなことが起こるようになり、養育院(当時)で認知症の検査を受けた。

父がドクターと受け答えをする。
母と私がその後ろで聞く。

「今日は何月何日ですか?」
「6月6日です」
キッパリと答える。
すでに秋も深まった頃だったから、私はビックリした。
ビックリする私の横で「6月6日雨ザァザァ降ってきて・・・」と口ずさむ母。
あれま、どっちも大変だ、こりゃ・・・と思う私。

「山田さんの職業は何ですか?」
「軍人です!」
「そうですか、戦争に行かれたんですね。それは大変でしたよね。」
ドクターは、否定をしない。そしてさらに
「戦争が終わって、復員されましたよね。」
「はい」
「そのあと、お仕事をされたでしょ。それは、どんなお仕事でしたか。」
「軍人です。」

そう、ついさっきまで普通に話していたし、
朝起きて、普通に支度もして、バスに乗って、
電車に乗って、商店街を歩いてきたんだ、病院まで、普通に。
へっ?何で軍人なんだ???

60代半ばで中程度の認知症。
そして、その後、パーキンソンも進行した。

たまに、通院に付き合う。
幻覚も見えるので、
「ほら、水がヒタヒタとこっちに来る。」
と、病院の床をじっと見つめる父。
母は、正しいことを認知させたくて、
「水なんてどこにもないでしょ、お父さん」という。
私は、父がどんな景色を見ているかが
気になるし面白いから、ごっこ遊びを始める。
一緒に寄せてくる水を見る。

母は、父と二人で暮らしていて、疲れ切っている。
だから、心に余裕なんてない。
日々、必死なのだ。
私は、たまに一緒にいるだけだし、
もともとこんな性格だから、いろんなこと、面白がる。
両極端な二人に挟まれて、
自分だけの世界を見つめている認知症の父がいた。

よくヘルパーさんが、私に言った。
「弘子さん(母)の介護では、正夫さん(父)が辛いはず。」
「何度教えてあげてもできない。」と。

まぁ、仕方ない。
母も体がつらいんだ。
だから、教科書通りには、いかないんだ。
母の心が折れないことが一番なんだ。

私は、そう思って、聞き流した。
聞き流しながら、母が元気な時にサラッと、こうしてみれば?と言う。

その父も20年くらい前に他界した。
今は、母は、兄の家の近く、スープが冷めない距離に一人暮らしだ。

認知症に関しての理解が進む。
そして、色々な状況が好転したりする。
が、
介護している家族や介護施設の職員の状況は変わらない。
経済も時間も、労働環境も変わらない。
変わらないどころか、ひどくなっていたりもする。
認知症がどういうもので、どういった対応することが良いのかについて
理解が進むことは、とても良いことだと思う。
それを、実践できるだけの環境を
社会全体で構築しなければならないと、私は思っている。
『家族の愛があれば』などという精神論では解決できないものが、
根底にあることを忘れてはならない。。。と思った私なのでした。