CuniCoの徒然・・・岩下邦子の独り言

日々の暮らしの中で、立ち止まったり、すれ違ったり。私の中のアレコレを思いつくまま、気の向くまま。

言葉を理解する能力・・・内耳と脳の関係

2016-10-24 10:37:02 | 華麗なる加齢 あるいは 身体
朝の風の音が、寒さを運ぶ。
我が家の前の大きな桜の木の落ち葉が、カサカサと音を立てる。
その音を聞いて、さらに寒さを感じる。今朝は、そんな朝だった。

最近は・・・あまりないが、
恋愛などという厄介な精神状態に陥ると、わがままになる。
『貴方に私の気持ちをわかってほしい』と思う女と
『君の気持ちは、よくわかるよ』などと嘯く男。
わかってほしいと思うことが、まず、無理なわけで、
理解はできるけど、本当にわかっているかは不明なんだというのが正しい気がする。
ところが、そういった『わかり合う』ことによる安心を人間は求めたりする。
わかり合っているという根拠のない思い入れで、安心を得たりする。

つまり・・・同じものを見ているようで、ちがうものを見たりしてるってことだ。
違っていても、そこはそれ、まぁ、共通認識って大事だったりするわけで、
モノゴトを認識する・・・コミニュケーション能力ってヤツも不可欠だ。
共通認識がなければ、混乱をきたすだけで、社会は成立しない。
『言葉』もコミニュケーションの大切なツールである。

『言葉』は文字や音で表現される。

ふと、言葉・・・音は耳で聞いているが、
どうやって理解しているんだろうと思った。
『音は慣れだから大丈夫』
歌うことに慣れていない私によく先生が言っていたこと。
つまり、聞こえる、聴き続けることで、
『声』をその音に当てられるようになるらしいが
加齢などで耳が聞こえづらくなるって、
どういう現象なのだろうと興味が湧いた。

調べて、ビックリしたことがある。
補聴器を使い始めることを先延ばしにすると、
補聴器の効果を充分に得られないことがあるようだ。
聞こえづらい状態を放置することで、
その言語や音を認識できなくなるらしい。
つまり・・・言葉をなぜ理解できるのかというと
耳の内耳という部分が送られてきた音を
脳が理解できる電気信号に変換し、脳にその信号を送る。
内耳には、蝸牛(かぎゅう)という器官があって、
その中に音を感じる有毛細胞というものがある。
何らかの理由でこの細胞が傷付き消滅する。
この細胞、再生できないとのこと・・・で、
音が聞き取りづらくなったり、
中耳から送られてきた音をしっかりキャッチできなくなり、
脳に音を送る過程で断片的な内容しか送ることができなくなるわけだ。

ここで厄介なのは、音が聞こえるということと、
言葉を理解するということには、違いがあるということ。

送られた電気信号を記憶とつなげるわけだけど、
聞こえにくい状態が続くとこの記憶と電気信号をつなぐことができにくくなる。
ゆえに、補聴器の効果が充分に得られない状態になってしまうわけだ。

ビックリしたなぁ。

耳が聞こえづらくなった時、
その人は聞こえていないから、
聞こえていないことに気づかない。
「うちの人、全く私の話を聞かないんだから!」なんて状態が、
その人の性格だと若い頃からボヤいていりするかもしれない。
そんな状態の人ほど『聞こえていない』ことに関して、
無頓着だったりするかもしれない。
『聞いていない』のと、『聞こえていない』は、全く別物だ。
周りの人の適切なアドバイスが重要なんだなぁ・・・と思うと同時に
人間の仕組ってすごいよなぁ・・・と感心した私なのでした。