CuniCoの徒然・・・岩下邦子の独り言

日々の暮らしの中で、立ち止まったり、すれ違ったり。私の中のアレコレを思いつくまま、気の向くまま。

大好きな『お母さん』

2016-10-06 07:28:41 | 日記
私は、子どもたちのお父さんと離婚をした。
それなのに、別れた夫のお母さんは、私にとって、ずっと『お母さん』だった。
離婚のとき、すでに再婚相手のいた元夫は、当然『夫』ではなく『元夫』なわけで、
たいていの場合・・・姑である『お母さん』も『お母さん』ではなくなる。

私が三人の子どもを育てることになったこともあるが、
お父さんやお母さん・・・つまり、おじいちゃん、おばあちゃんの孫が私と一緒にいるわけで、
孫の成長をずっと心配してくれていた。
つまり、おじいちゃんおばあちゃんは、ある意味私を応援してくれる人であって、大好きな二人なわけです。

しかしながら、新しいお嫁さんもいるので、少しは遠慮しながら、それでもお付き合いは続いていた。

いっぱい喧嘩もした。
最初の子を産んだ時など、喧嘩して、子どもを抱えて家を飛び出したこともあった。
そうそう、あの時、中学の時代の彼氏の家を訪ねたような記憶がある。
そして、少しお喋りして、その子に帰るきっかけをもらって帰ったっけ・・・
今思えば、タクシー代もったいなかったなぁ・・・

記憶をほとんどしない私にしては、よく覚えている。

三人目を生んだ時には、別居していたっけ。
立合い出産だったため上の二人を見てもらうために、元旦の朝から、来てもらったなぁ・・・

私が洋服を買ったときには、必ず着て見せたもんだ。
女の子がいないお母さんは、喜んでいたっけ・・・

家を建て直し二世帯住宅にするとき・・・仮住まいだったお家に子どもを連れて遊びに行くと
ご近所さんは、私を本当の娘だと思い、「いいお婿さんね・・・」と言われたと大笑いしていたっけ。

私の大好きな『お母さん』が急逝した。

先日、大きな梨がお母さんから届いて、お礼の電話をしなくっちゃと思いながら、
病院をはしごしたりで、電話ができずにいた・・・
その翌日、つまり昨日、娘が電話をしたら・・・急逝したとのこと。

前の日の夜まで、元夫と談笑し、朝起きたら、亡くなっていたと。。。
自宅での死だったために、検死などもあった。
急性心不全だろうとのこと。
家族に世話にならずに死にたい・・・お母さんが言っていた通りになった。
棺の中のお母さん・・・死斑が出ていて少しかわいそうだった。
今日、お化粧してもらえるらしい・・・綺麗にしてもらいなね。

大好きなお母さん。
ちょっと変わり者のお父さんのこと、心配だろうなぁ。
大丈夫、たまにランチするようにするよ、お父さんと。

喧嘩ばっかりしていた二人だけど、喧嘩する相手がいなくなって、途方に暮れてるだろうな・・・って思う。
夕べは、シャキッとしていたけど、きっと・・・1週間もしたら・・・ガクッとくるだろうし、
そうだな・・・冬になる前に、ランチするからね・・・お父さんと(^.^)

大好きなお母さん・・・ありがと。
10日が最後のお別れになるらしい・・・シフト交代してもらったから、お別れに行ける。

大好きなお母さん・・・ありがとう。本当に、ありがとね。
そして、これからもずっと見守っていてね。
ありがと・・・お母さん。。。