風の谷通信

専業農家からの引退を画策する高齢者。ままならぬ世相を嘆きながらも、政治評論や文化・芸術・民俗などに関心を持っている。

6-082 原発13地震と原発 

2011-06-29 20:17:39 | 世相あれこれ

風の谷通信No.6-082   追加訂正済み

九州の玄海原発を再稼動させるための市民説明会が催され、玄海町長は再稼動を認める姿勢だが、隣の町長は戸惑っている。福岡県知事は県議会の議論を踏まえてから判断したいと言っている。この説明会がどうも胡散臭い。当局側が認めた市民7人だけを会場にいれてその質問を受けた。多人数による混乱を避けるための方策であろうが、7人というのが果たして誠意ある会談/説明/回答の姿勢といえるかどうか大きな疑問である。しかも回答の中心は「安全である」ということだけであったという。出席者が安全性の説明は物足りなかったと述べている。

さて、原発の設置については「大地震の揺れが起こる場所に原発は建設していない」というのが基本姿勢である。その大嘘は1997年の川内地震でもこの度のフクシマでも暴かれたが、とにかく、地震と原発の関連を「原子炉時限爆弾」から拾ってみよう。(直接関連しない地震・事故も参考ために記載した。

                   7/01 以下に追加訂正を入力
1945     三河地震
1948    福井地震
1983.05 日本海中部地震
1988.02 浜岡原発電源喪失出力迷走事故
1989.01 福島第二原発再循環ポンプ大破壊事故
1989~   雲仙普賢岳群発地震
1990~1995 同噴火火砕流
1991.02 美浜原発蒸気発生破断事故
1993    北海道南西沖地震
1995    兵庫県南部地震
1997    〇〇地震=川内原発
2003.05 三陸南地震=女川原発
2004    紀伊半島沖連続地震
2004    中越地震(山古志村)
2005.08 宮城県沖地震=女川原発
2005    千葉沖地震・宮城県沖地震
2006    能登半島地震
2007.03 能登半島地震=志賀原発
2007.07 中越沖地震=柏崎刈羽
2008    岩手・宮城内陸地震
2009.08 駿河湾地震=浜岡原発
2009    桜島昭和火口大爆発
2011.03 東日本大震災=フクシマ

地震のすべてが原発に関わっているものではないが、その一方で地震とは無関係な事故が数多く起きている。いずれにしても(玄海および一般の)原発が安全であるという論は成り立たない。現にフクシマの循環水冷却システムが、新設して稼動させた途端に故障して稼動を停止している。しかも故障停止が一度ならず繰り返している。安全を主張する論拠が片端から崩壊している。

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6-081 原発12

2011-06-28 20:46:36 | 世相あれこれ

風の谷通信No.6-081

まだまだ原発から抜けられない。次の引用文はどこから持ってきたのかすっかり忘れてしまったのが不思議だが(週刊誌だったかな?)、とにかく現在の世相を言い表している。

引用: 原発には、重電・造船・鉄鋼・エレクトロニクス・土木建築・セメント・・・・いろいろな企業の儲け口が繋がっている。
(だから)原発が日本にとって必要かつ安全なものであるという考え方が(社会に)受け容れられるようにする。反原発思想を封じこめる。
そのために、メディアのスペースを獲る。そこに大学教授・キャスター・科学者・スポーツ選手・ジャーナリスト・漫画家・・・・・・すべてを動員する。
原発なくしてエネルギーの安定供給無し→経済成長なし→国際競争力なし、を宣伝する。原発は安全であるということを前提にする。従って、住民に不安や緊張を与えるような(避難)訓練はやるべきではない。その必要もない。 引用終り

なるほど、原発は安全であるという大前提に立てば、訓練なんて無用である、という訳ですか。では社内でも訓練はしなかった訳で・・・そうですね。だから全電源がダウンしても、冷却水が止まっても、水蒸気爆発が起きても、炉心溶融が進んでも、誰も何も対処できなかった訳ですね。平井憲夫さんが書いているように、東電は原発に対して全くの素人集団だったということが明らかになっただけですね。なんとも能天気なことで。とどのつまりは、あんな事故なんて津波のせいだよ、地震だけならば持ちこたえたはずだよ、我々東電には何の責任もない、単なる津波という自然災害なんだよ・・・ということですね。
だから2007年の中越沖地震で柏崎刈羽原発が甚大な被害を受け、その2年後にも駿河湾地震で高速道朗が崩落したのにも配慮せず、勿論岩手・宮城内陸地震の大きな被害にも気を配ることがなかったということでしょう。それで事故が起きてもそれを過小評価し、あまつさえ補償は政府のカネでやってもらおうというムシのいい考えです。

実に腹立たしい。情けない。みなさん、フクシマは収束したわけではありませんよ。近辺にはチェルノブイリ並みの汚染が広がっているのですよ。

 

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6-080 奥伊勢旅行7

2011-06-27 20:52:20 | 旅日記

風の谷通信No.6-080

滝原宮を出ると、次の訪問先「さんずい」の車が待っていてくれた。お迎え有難うございます。ムラの中にある広い民家を改装して客数限定のレストランを経営しておいでのご夫婦。

まずは玄関先や庭の奥の果樹園を拝見する。一番奥に小さな谷がありその中を紀勢線が走っていて、その向こうには大きなお寺がある。格式の高いらしい風情である。 
     
左から、道路からの入り口・玄関・庭の森(樫やカエデの若葉の緑が深い)

邸内の飾りつけがこれまた素晴らしい。
     
玄関を入ると床にこんな飾りつけがしてある。周辺の山で採取した、ごく普通の植物がこのように部屋飾りに変わる。ツルウメモドキ・イワヤツデ・ナンキンハゼ・ミズギボウシ・コバンソウと言った名前を聞いたが・・・。白い大きなのがナンキンハゼかな?ダメだ、すっかり忘れた。

料理の材料や名前だって結局は覚えられない。昨晩のホテルと同じこと。ここでも地元の作物が活用されている。近隣農家との合作である。
             おいしかったなあ・・・というだけの記憶。でももう一度食べたいよ。

さてここでハプニング! 全く本人の了解なしででライブショウが計画されていた。ムラの皆さんに事前通達が回っていて、みなさんが楽しみにして集まってこられた。どうしてこんなに人が集まるのかな?と不思議に思っていたのだけれど、ナルホド、そうなのか。
ご本人は「想定外」だからワインも飲んで食事もおなか一杯楽しんだのに、さてこれから歌うんだ、ということになった。こうなると歌手もピアニストもプロなんだけど、もう素朴なおばさんになって、歌って弾いて、ひと時を楽しみました。一旦歌うとなるとそこはさすがにプロです。
お二人に「無断で」映像を載せておこう。これもひとつの想定外。
     ワインでほてった顔でゴメンアソバセ。

かくして楽しい二日間の奥伊勢旅行は終った。松阪駅で鉄道愛好家の二人と別れて大阪鶴橋へ帰り着いたのが16時半頃。田舎の路線を乗り継いで帰宅した時はもう真っ暗であった。

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6-079 奥伊勢旅行6

2011-06-26 19:43:12 | 旅日記

風の谷通信No.6-079

原発問題は相変わらずだけど関ってばかりもいられない。

奥伊勢温泉フォレストピアの朝食を済ませて滝原宮へ向かう。一旦三瀬谷近くまで降り、そこから別流の川を遡る。既に10時近いから早朝と呼ぶには違和感があるがそれでも山の谷の底はまだ陽も射さない。宮の前でクルマを降りる。太い杉の木立の間を玉砂利を踏みながら本殿へ向かう。
この宮は伊勢神宮の別宮である。入り口の掲示板に記載された縁起を読むと、天照皇大神は崇神天皇の御世に大和の宮殿を出られ、次の垂仁天皇の御世に宮川の下流からこの地に移って鎮座された。その後、現在の伊勢に入られ鎮座されたと言う。
ある説によれば天照皇大神は政権を追われて以来安住の地を求めて畿内各地を放浪された。各地に仮宮殿を結ばれた場所がいまでは「元伊勢」の名前で残っている。この縁起記事にはたまたま崇神天皇と垂仁天皇の名前があるが、このどちらかの時代に王朝交代があったはすである。ほかにも継体天皇による王朝交代があったと言われる。ニホンの朝廷が万世一系であったというのは史実ではないだろう。余談であるが、飛鳥時代の蘇我家は天皇家と並立する権力者であっただろうし、南北朝は明らかな二王朝並立であった。
いずれにしても、権力を追われた初代権力者の祖神・天照皇大神が落ち着く場所を求めて大和近辺を放浪したことは想像に難くない。

     さて、閑話休題。入り口で例によって写真を撮り神域へ入る。門も柵もない。拝観料もない。ただただ静かに平穏に参拝することができる。現在の皇室が宮殿の奥深くでただただタミの平穏を祈っておられるのと同じ御心であろうと思う。

     参堂が通る杜はかくの如き巨木が林立する。

  お宮はごく質素なたたずまいである。神域には滝原宮と別に三柱の祭神の宮があったがどの写真を摂ったのかさっぱり判らなくなってしまった。この写真は境内の一番奥にあった滝原神宮であろうと思うけれども、それにしては簡素すぎるかな?
イヤ違った。これは一番入り口に近い宮だった。並宮・若宮・長由解のどれかだ。忘れた。

こういう場所を訪ねると、縄文や弥生の人々が深い杜の中で先祖神を祀りながらおだやかに暮らしていた様が偲ばれる。倭の産土神は平穏で偉大であっただろうと思う。こんな場所を放射能が汚そうとしているのだ。それは「現代の権力者たち」が呼び出した悪魔のエネルギーだ。彼らはなんともニホンに不似合いなものでこのクニを破壊しようとし、クニタミの苦労を放置して無益な論争を続けている。今一度、天照皇大神の御心を考えてみたら如何なものか。

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6-078 原発11 福井県が反発

2011-06-22 20:00:09 | 世相あれこれ

風の谷通信No.6-078

またしても原発の話題。いつになったら離れられるかしらん、と思いつつ。

政府と経済産業省原子力安全・保安院が、原発立地の福井県に対して原発再稼動に同意を求めた。これに対して県側は同意しなかった。報道によると、県側は安全上の疑問が解決されていないと考え、クニ側は原発の運転再開に安全上の支障は無いとしている。

疑問点はクニの説明である。原子力安全・保安院、黒木慎一審議官の説明では「フクシマの事故原因は津波による冷却機能の喪失であり、原発老朽化による影響はなかった、と言う。(つまりは地震で壊れたものではないということか。でもなんだか説明の筋がズレているな。)その安全性説明の根拠についての質問に対しては「すべて公表したデータだ」と言う。その実体はクニが全国の原発の緊急安全対策の実施状況についてこれまで評価した内容などを切り貼りしたものだとのこと。

県側がこれに納得するはずはない。重ねて、地震の揺れによる原発の破損はないことを示す客観的データの提示などを求めた。

このやり取りは県側に正当性がある。というのは、フクシマでは津波の襲撃よりも前に既に冷却装置が破壊されていたらしい/あるいは電源が破壊されていたらしいと、相当な確度で推測されている。つまりは、地震の揺れだけで原発が破壊されていたらしい。黒木審議官の説明はここで破綻している。しかしその点に触れないで「安全性」を主張している。典型的な問題隠しであろう。だから、出席した副知事や県議側が「安全性説明を信じられない」と反発するのは当然のこと。

現在読み進めている「原子炉 時限爆弾」に記載された過去の国内原発における各種事故の内容を読むととてもじゃないがこのまま原発を推進して行って良いとは思えない。クニの意思でゴリ押しする政策に対して「良識ある知識人」たちが反対している場合は、たいていクニの方針に無理がある。原発については反対する学者に対して迫害や差別を加えながらその活動を抹殺してゆくのだ。中には学者としての生命を奪ったものさえあった。(残念ながらアメリカでも同様の事例が報告されている。)原発安全神話を掲げてつツ走ってきた学者さんたちはここでどう動くのだろうか。いつまでも隠れていないで、顔を出しなよ。

さて、われわれ現在のニホン人は後の世代に対して罪なしと確信できるのだろうか。

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