風の谷通信 No.5-096
県内陸部の三木山崎断層に沿って県道23号線と中国自動車道
が走っていて、それらとほぼ直角に県道36号線(姫路大河内線)
が交差している。その交差点の前之庄から北へ向かうと雪彦山に
至る。せっぴこやまは日本に三つある「彦」山の一つとして知ら
れる。標高は915㍍程で低いが、険しい岩山らしい。
きょうは縁あってその麓近くまで出掛けた。前之庄から北へは
地図に里程が書いてない。数キロゆくと谷が深く狭くなり、山奥
の感じが強くなる。兵庫県にもこんな山里があるのか!といった
感じがする。夢前川の清流に沿って遡り新庄の大きな集落を過ぎ
てもう住家が無いだろうと思っていると、急に川沿いに鮎狩り場が
2軒あったり、ささやかながら仙境を思わせるような家が岩壁の
隙間に建っていたり、かと思うとかなり大きな自動車屋さんがあって
ついでに大きな集落が現れる。驚くこと頻りである。特にこの自動車
屋さんには驚いた。しつれいながらこんな深い谷の村であんなに
沢山の車を置いて経営が成り立つのだろうか・・・と訝しく思うほど
の地域である。恐らく昔は林業で栄えたのだろうと思えるたたずまい
の集落であるが今は何を生業にしているのであろうか。
こんな山里にこれだけの構えの邸宅が並んでいたらどんな生活だろ
うかと思うが、実は過疎の村だと(あとで麓のムラで)聴いた。いずこ
も同じ山里の景色である。この集落よりも更に奥に学校があった
という。地図に山之内小学校の名前が残っている。つまり、昔はそれ
だけの人口があったということか。昔の行政では独立した「村」だった
だろう。その(例えば)飾磨郡山之内村が夢前町になり、更に姫路市
夢前町山之内になったのだろうか。それで学校はなくなったという。
あのムラに住んでいたら学校へ通うのが大変だ。学校が前之庄にある
としてもやはり相当な長距離なので歩いては通えない。まして冬の雪
の季節には苦しいことであろう。毎日生きること自体が大仕事だろう
と推測できる。
過疎のムラの苦痛は自分のムラの苦境に照らし合わせて充分に
理解できるが、時たま訪ねる身には穏やかで心豊かな故里を思わ
せるたたずまいである。
緑豊かに水清く草は茂り人混みとは無縁で、なごやかな景色が
広がる。 楽しい旅だった。
しかし、わが身は便利な都会に住みながら、故里だけは昔の姿で
いてほしいという現在の世相はいささか身勝手だと思う。
県内陸部の三木山崎断層に沿って県道23号線と中国自動車道
が走っていて、それらとほぼ直角に県道36号線(姫路大河内線)
が交差している。その交差点の前之庄から北へ向かうと雪彦山に
至る。せっぴこやまは日本に三つある「彦」山の一つとして知ら
れる。標高は915㍍程で低いが、険しい岩山らしい。
きょうは縁あってその麓近くまで出掛けた。前之庄から北へは
地図に里程が書いてない。数キロゆくと谷が深く狭くなり、山奥
の感じが強くなる。兵庫県にもこんな山里があるのか!といった
感じがする。夢前川の清流に沿って遡り新庄の大きな集落を過ぎ
てもう住家が無いだろうと思っていると、急に川沿いに鮎狩り場が
2軒あったり、ささやかながら仙境を思わせるような家が岩壁の
隙間に建っていたり、かと思うとかなり大きな自動車屋さんがあって
ついでに大きな集落が現れる。驚くこと頻りである。特にこの自動車
屋さんには驚いた。しつれいながらこんな深い谷の村であんなに
沢山の車を置いて経営が成り立つのだろうか・・・と訝しく思うほど
の地域である。恐らく昔は林業で栄えたのだろうと思えるたたずまい
の集落であるが今は何を生業にしているのであろうか。
こんな山里にこれだけの構えの邸宅が並んでいたらどんな生活だろ
うかと思うが、実は過疎の村だと(あとで麓のムラで)聴いた。いずこ
も同じ山里の景色である。この集落よりも更に奥に学校があった
という。地図に山之内小学校の名前が残っている。つまり、昔はそれ
だけの人口があったということか。昔の行政では独立した「村」だった
だろう。その(例えば)飾磨郡山之内村が夢前町になり、更に姫路市
夢前町山之内になったのだろうか。それで学校はなくなったという。
あのムラに住んでいたら学校へ通うのが大変だ。学校が前之庄にある
としてもやはり相当な長距離なので歩いては通えない。まして冬の雪
の季節には苦しいことであろう。毎日生きること自体が大仕事だろう
と推測できる。
過疎のムラの苦痛は自分のムラの苦境に照らし合わせて充分に
理解できるが、時たま訪ねる身には穏やかで心豊かな故里を思わ
せるたたずまいである。
緑豊かに水清く草は茂り人混みとは無縁で、なごやかな景色が
広がる。 楽しい旅だった。
しかし、わが身は便利な都会に住みながら、故里だけは昔の姿で
いてほしいという現在の世相はいささか身勝手だと思う。